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2004.08.31

経験の大切さ

「習うより慣れろ」「百聞は一見に如かず」というのはまさに名言だと思います。
100冊を超える専門書の読破による知識なんて、100人を超える自閉症者との付き合いの足元にも及ばないことを、青年学級では、まさに身をもって体験させて頂きました。

ところが、本を何冊か読んだ程度の付け焼き刃の知識だけで自閉症のことをしたり顔で話す人たち、とっても多いです。特に自閉症児の保護者には多いんだよなあ。(^o^)
そういう人たちに会うと、ついつい苦笑してしまうわけで……。(^^;

ネット上の掲示板などによくあるケースなんですけど……。
診断を受けたばかりの新人お母さんの質問に「自閉症児は成長すれば多動はおさまりますよ~」「トイレもちゃんと自立するもんですよ~」なんてアドバイスしている先輩お母さんの書き込みなんか読むと、私は思わずギョッとしてしまいます。だってあてはまらない自閉症の人って大勢いるもん。。。
自分の子どものケースと、あとは数例しか知らないのに、自閉症のすべてを熟知しているかのように返答してしまってるんですよねえ。

ネットはつくづく恐いです。
新人お母さんは数年先輩お母さんのアドバイスを、頼って信じたい気持ちはわかりますけど、鵜呑みにしない方がいいです。子どもが同じタイプとは限りませんから。

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2004.08.30

フィードバック

青年学級には100人近くの自閉症者がいるわけです。そりゃもういろんな人がいました。医者じゃないので診断ではありませんが、自閉症か否かの判断はすぐにできるようになりました。100冊を超える自閉症関係の書物を既に読破した結果の基礎知識が少しだけ役にたちました。(^^;

きっちり高校まで卒業しているアスペルガーの人がいるかと思えば、身辺自立が身についていない重度の自閉の青年もいました。
喋れないのに、5ケタの割り算を暗算でやってしまう青年がいるかと思えば、何の問題もないような感じなのに、笑うことがどういうことかわからずに悩んでいる青年もいました。

自傷、他傷、パニック、そしてその応対なども否応なしに経験することになりました。
パンチを受けて、メガネのレンズは割れ、鼻血は吹き出し・・・。(^^;
でもそれ以上に、自分の息子にフィードバックできるいろんなものを体験させて貰えたことに価値がありました。

縦軸に自閉的傾向の重さ、横軸に知的障害の重さを置くと、グラフの中のいろんなところにみんなを置くことができて・・・。
そんなみんなと自分の長男…まだ3歳でほとんど何にもわからないのだけど…を比較すると、 客観的にいろんなことが見えてきて、いろんなことをフィードバックできました。

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2004.08.29

何がトクしたって・・・

普通の障害児の保護者の場合、自分の子ども以外の障害児に会う機会ってほとんどないわけです。ましてや、成人した障害者に会うことなどそれ以上にチャンスもなく……。
父親であれば、なおさらです。
で、保護者は専門家と称する先生たちのアドバイスや療育施設で出会ったごく少数の仲間の親たちからの情報、そして本やインターネットから仕入れる情報などに頼り、自分の子どもの将来を想像して悲観してたりする。

私も実際のところ、自分の息子以外の障害児にはほとんど会ったことのない奴でした。
そんな私が、障害者青年学級に参加するようになり、いきなり150人を超える成人の障害者と知り合いになれてしまったのです。
いろんなハンディをもつ人がいました。ダウン症もいれば脳性麻痺の車椅子の人もいる。てんかん系の人もいるし、交通事故による中途障害の人もいました。精神障害なんだろうなと思える人もいました。
さすがにアルコール中毒の方はいなかったようだけど……。(^o^)

もちろん、自閉症の人も重度から軽度まで大勢いました。
で、私にとって、何が一番得したことかというと……そういう成人した大勢の自閉症の人たちとの濃密(?)なつきあいの中から、息子へフィードバック出来るいろんなものを体験&会得できたことです。

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2004.08.28

はじめて垣間見る障害者福祉の世界

プレッシャーを感じたのは最初の数回だけでした。雰囲気に慣れて来ると、青年学級という場は私にとって、妙に心地よい環境だったりしたのです。

それまでの私は、障害者福祉の世界なんて覗いたこともない人間でした。
(あ、厳密にいうと、青年学級は公民館の社会教育事業なのですが・・・)
(スタッフとして参加している人達には福祉業界の人たちが多いわけで・・・)

それまでの私は、とにかく人間関係を面倒臭がる奴でした。
特に、脚本家のような人間をやってると、出会った相手が信用できるかできないかとか、敵の人間なのか味方の人間なのかとかばかりで、人に会うたびに神経すり減らしていたし……。

そんなストレスが人間関係の中に全然ないんです。
ハンディをもつ青年たちはすごく心があけっぴろげで、神経使う心理合戦なんて全然必要なし。
おまけに気さくなメンバーも多く、ひたすらアクティブで元気百倍アンバンマン!!

私はそれまで、障害者の世界というのは暗く悲しんでばかりいるだけの存在だと思っていたんです。それを青年学級は見事なぐらいに否定してくれました。

でもって感じたのです。
ウチの息子も将来、案外元気に楽しく暮らせるようになるのかも、と……。

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2004.08.26

変な口約束

その、ずっと壁に背中をつけたままでいた私の同志が話かけてきました。20代後半に見える男性です。

「あのぉ~、また、来ますよね?」

その口ぶりは「あなたがもう来ないと言ったら、私も来ないと言えるんだけどなあ」と言いたいかのように聞こえました。
私は、実は迷っていたのですけど、心の中を見透かされてしまったことが悔しくて……とは言っても、壁に背中をくっつけている姿でバレバレだったわけですが……つい「来るつもりだ」と答えてしまっていました。(^^;

「本当ですよね? 本当に来ますよね? じゃあ一緒に来ましょう。私一人っていうのは嫌ですよ。絶対約束ですよ」

もしこのとき、彼と口約束しなかったら、私はもしかしたら、2度と青年学級に顔を出していなかったかも知れません。そのぐらい、100人を超える障害者集団を目のあたりにして衝撃を受けていた私だったのです。

で、結果的に、私は彼に感謝することになったようで……。m(__)m

青年学級は月に2回の日曜日、午前中から夕方まで行われます。
それとは別に、毎週木曜の夜にスタッフミーティングというのもありました。
というわけで、私の月に6回以上も公民館に通う生活が始まったのです。

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2004.08.25

壁に背中をつけたまま・・・

とんでもないところに来てしまった、と思いつつ……。
せっかく来たのだからとばかりに、一生懸命観察だけはしていた私でした。
とにかく、障害者たちは元気でした。不思議なぐらいに無邪気に元気なのです。。。

初対面の私に対して、気さくに話しかけてくる人もいました。
「どこから来たの?」「名前は?」「年はいくつ?」「何に乗ってきたの?」
一度答えたにもかかわらず、同じ質問をくり返したてきたり……。
そんな彼が、自分の息子と同じ自閉症だと知ったのは、それからずいぶん経ってからのことでした。

新しいスタッフの紹介、というコーナーもあり、私は見学者ということで断るつもりだったのですが、無理やり引っ張り出されて挨拶をさせられました。
そして、私の素っ気ない自己紹介に対しても、障害をもつ青年たちは拍手をおくってくれたりもして……。

結局私は、最後の最後まで、壁に背中をつけたままの状態でした。
そして、私と同様にこの日がはじめてという見学者の一人が私に声をかけてきました。彼もまた、ずっと壁に背中をつけたままの私の同志でした。(^^;

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2004.08.24

障害者青年学級開級式

平成5年6月のことでした。
自閉の長男が幼稚園に入れて貰えた年。私が33歳のときのことです。

「あのー、市の広報を見たのですが……」
勇気を出して公民館に電話をかけると……もうすぐ開級式なので、百聞は一見に如かず、直接来てくれとのこと。
場所は、市内にある市の福祉施設。(ちなみに、私はそこが何をするための施設なのかも知りませんでした)
とりあえずの見学のつもりでした。

指定された日時に、私はその福祉施設に出向いて行きました。とりあえずは見学のつもりでした。
さして広くもないホールに100人を超える大人の障害者が集っていました。
彼らは、歌って踊って、元気いっぱいでした。

私はというと、とにかく愕然としてしまいました。
何にも出来ず、壁に背中をつけたまま、身動き出来ませんでした。

とんでもないところに来てしまった……。

それが私の偽らざる気持ちでした。。。

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2004.08.23

障害者青年学級とは・・・

「ハンディをもつ青年たちの学習機会のための日曜学校のようなもの」
・・・とでも言ったら、想像して頂けるでしょうか。
漠然としていて、多分どんなものだかわからないだろうなあ……。(^^;

私も、市の募集記事を読んで、何だかさっぱりわかりませんでした。
ただ、藁にもすがりたい状態の私にとって、とにかく魅惑的な募集記事でした。なんていうか、障害のこと、福祉のことが理解できるような場所かも知れない……。
公民館と言えば、市が直接運営している公共施設。そこでやっている事業なのだから、いい加減なものではないだろうし……。

ただ、なかなか踏ん切りがつかない私でした。
どうにも未知の世界に飛び込んで行くような感じで、最初の一歩が踏み出せず……。
で、先送りしていると、10日後の市報にまた同じ募集記事が載っていて……。
「こんな募集があるんだけどさ、行ってみようかな」
どうしても自分で決断出来ず、おそるおそる嫁さんに判断をゆだねてみると、答えはあっけらかんとしたもの。

「行きたければ行ってみればいいじゃない」

まあ、そりゃそうなんだけど……。(; ;)

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2004.08.22

転機

長男の自閉に確信をもった頃に、手塚プロダクションをクビになり……。
そのことを心配してくれる人があちこちにいてくださり、フリーになった途端にかえって増えたことは、そりゃもうとってもありがたいことでした。m(__)m

で、その仕事にうまくのめり込めたときはいいのです。もともと好きな物書き仕事ですから。熱中できると楽しくてたまらない……。

ところが、どうにも乗らない仕事のときがしんどくてしんどくて……。
なんせ、振り向けば自閉の息子がいるわけで……。
ちょっとしたことで精神状態がダッチロールを始めるし……。
親として、まだまだ藁にもすがりたい頃でした。
このままだと、息子が云々というより、自分自身がどんどん落ちて行き、どうにかなってしまいそうな感覚に襲われ……。
かといって、どうすることも出来ず、悶々とした毎日……。

そんな頃だったと思います。たしか長男が3歳の4月か5月頃のことです。
市の広報にとある募集記事が載っていました。

「公民館主催 町田市障害者青年学級スタッフ募集」

これって一体なんなんだろう???

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2004.08.20

父親も息子も障害者

そんなわけで、私には、ちゃんと意志疎通が出来る人を障害者だと思わないというか思えないというか、そんな傾向があるようです。
だから、たとえば脳性麻痺で動きも喋りもぎこちなかったりする人でも、意思疎通があたりまえに出来る人の場合はあんまり障害者扱いしない奴です。
だよね? (って、誰に話しかけてんだか。(^o^))

だけど、長男が自閉症だと知ったときは、やはり相当にショックでした。
なにがショックだったかといえば、意思疎通が出来ないってこと……。
一緒に将棋も出来ないし、キャッチボールも出来ない……。
そう思うと、とにかく涙が出そうになりました。
かといって、実際に涙は出てきてくれなかったんですけど。(^^;

自分は死ぬまで障害児の父親なんだと思うと、可哀相で可哀相で……。
って、その時は子どもが可哀相だと思ってたようなんですけど、実際は自分自身が可哀相なだけだったみたい……。(^^;

今では「父親も障害者だし息子も障害児だし、オセロゲームならさながら「はさまれた私も障害者!!」なんてしょーもないギャグ言ってる奴ですけど……。(^^;

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2004.08.18

父親のこと

私の父親は、実は身体障害者です。耳が全然聴こえません。
ただ、中途失聴なので、ちゃんと喋れるし、戦後まもなくの流行歌なんかを風呂で歌ってたりもしてました。聴こえないから音痴なのか、もともと音痴なのかまではわかりませんでしたが……。(^o^)

自分の方からは喋れるので、手話を覚える気もない人でした。
自分の方は一方的に喋り、こっちの言いたいことは筆記させる人でした。それがとにかく面倒で……。
あ、過去形で書いてますけど、今もしっかり生きてますです。(^^;

そんなわけで、私の場合、聴覚障害者の息子なのに、手話を覚えようともしませんでした。今思うと、早くに覚えておけばよかったなあ、って思うけど、あとのまつりかな。とにかく記憶力が……。(; ;)

で、私は、父親のことを障害者としてなんて全然意識してませんでした。
意志疎通は出来るし、将棋も指せるし、キャッチボールも出来たし……。
そもそもの仕事がトラックドライバーで、耳が聴こえなくても運転も出来たし。免許なんて、コツさえつかめば耳が聴こえなくったって更新出来たんだなあ、これが。(^^;

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2004.08.15

帰ってきました

佐渡ドライブ旅行から帰ってきました。
なんか気抜けしているのと夏バテ気味なのとで、元のペースでここに何か書く気になかなかなれません。(^^;

次男が佐渡行きのことを自分のホームページにアップしています。
http://www.geocities.co.jp/NeverLand-Homeroom/2663/sado.htm
よろしかったら覗いてみてください。m(__)m

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2004.08.06

脚本家稼業が嫌になってしまったわけ

書きたいものの企画は通らず、書きたくもないような仕事ばかり回ってくるのが三流脚本家の宿命であり……。
正直言って、嫌々書いてる作品なんていうのも結構ありました。
特にオタク系のメカものなんていうのは、完璧に専門外。私には面白くもなんともないのだけれど。金はやっぱり欲しいんだよな。だからついつい引き受けてしまい……。(^^;

そんな私の息子が自閉症だったわけで……。
仕事に集中しようにも、背後でパニック三昧に泣きわめくわけで……。
で、そうなると、私が書いてる作品なんてどうでもいい絵空事ばかりで……。
つくづく脚本家っていう仕事が嫌になってしまいました。

それに加えて、長年のワープロ仕事がたたり、頸椎がおかしくなって右手麻痺状態になっていまい……。
医者には「モノ書きの仕事をやめなさい」って言われるし……。

ずっとやってて仕事がなくなって途方に暮れてる脚本家より、さっさと転職しちゃった方がいいかなあ、なんて思う日々……。
でも、他にやりたい仕事なんてあるはずもなく……。


                 自閉の長男と嫁さんは家に残し、、、
                 1週間ばかり次男とドライブ旅行に行ってきます。
                 ゆえにココ、暫しお休みしますです。m(__)m

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2004.08.05

脚本家と言ったところで・・・

脚本家といっても、他の人気商売同様にピンからキリまでいるわけでして……。
私はどのあたりにいたかというと、今振り返ってみると、そうだなあ、1.5流から2流の間ぐらいだったのかなあ。いや、2流と3流の間だったのかも……。(; ;)
売れっ子脚本家のような知名度はまったくありませんでした。
だからといって、単価は安かったけど仕事が切れるということもなく、並のサラリーマン程度かそれ以上にはコツコツ稼いでいました。

ただ、私の場合、脚本家としての図抜けた才能があったわけでは全然なく、自分で言うのもなんですけど、これまたコツコツと努力と苦労を積み重ねて、やっと脚本家としての仕事をこなしていたレベルの存在でした。ゆえに、神経性胃炎&十二指腸潰瘍とのバトルが、カントクやプロデューサーとのバトル以上にしんどかったっけ……。
先日亡くなった大学同期の野沢や一期下の三谷なんかに嫉妬しまくっていたっけ……。(^^;
ゴールデンタイムの帯ドラが書きたくって脚本家を目指したはずなのに、結局ゴールデンタイムにはアニメしかやったことなかったっけ……。(^o^)

そんな程度の奴なので、廃業も時間の問題なんだろうな、って、頭の片隅でいつも考えていた私でした。。。

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2004.08.04

障害児なんだウチの子、って言えた?

子どもに障害があることを会社に言ってないお父さん、結構いるみたいで……。
私は「隠してなんかいないでさっさと言ってしまった方がいい」なんて偉そうに言ってしまったりするんですけど……。
よく考えると、私自身、長男が2~3歳だった10数年前、契約していた手塚プロの社長に全然息子の話をしてなかったんですよね。
えーとそれは……なぜだったんだろう???

なんとなく長男が自閉症だとわかった頃、私は手塚プロの契約社員だったにもかかわらず、約半年間ほとんど仕事もせずに自閉症の本ばかり読み漁っていて、そのくせ給料もちゃっかり貰っていて……。
そんな状態だったから、言えなかっただけのような……。(^^;

でもって、長男の自閉症が確信した頃、6~7年在籍していた手塚プロダクションを晴れてクビになりました。まっ、そりゃそーだ。仕事をしない給料ドロボーをいつまでも雇ってても意味ねーし。(^o^)

そんなわけで、私の場合、完全フリーの脚本家としてのスタートと自閉症児の父親としてのスタートは、ほぼ一緒だったわけです。

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2004.08.03

長男が自閉症だということを直感的に察した頃

ウチの長男に自閉症という診断がおりたのは、たしか4歳ちょっと前だったように記憶しています。
ということは、それまでの期間=私が直感的に障害があると判断した1歳前からの約3年の間、長男には診断名がない状態の障害児だったわけです。
厳密に言えば、診断を受けるまでは障害児ではないわけなんですけど……。
でも、誰がどう見てもウチの長男は健常児には見えなかったわけで……。(^o^)v

その3年近くの間、ウチでは東京都でも思いっきり有名な病院に通っていたのですが、それでも、担当のお医者サンは何にも告知してくれなかったわけで……。

そんなわけで、虹父、いや、知る人ぞ知るレインボーおやじの名言(?)の中に次の一文があるわけです。
「医者の診断より親の判断」
…って、FEDHANを知らない方には何のことかわからんでしょうけど。。。

でもって、長男が自閉症だと直感的に察した頃、私はまだ手塚プロダクションの専属の契約社員として文芸の仕事をしておりまして……。
手塚治虫先生が亡くなったのが昭和64年(=平成元年)。ウチの長男が生まれたのが平成2年。
このへんの微妙な時間差のことを、実はよく覚えていないのですが……。(^^;

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2004.08.02

第4段階~受容・立ち直り・昇華の時期

受容・立ち直り・昇華か……。
そんな境地に達することが出来るのは、聖人君子のような親だけではないでしょうか。私みたいな奴には、間違っても無理だと思います。(^^;

息子の自閉症のことでは、それなりにショックも受けたし、落ち込みもしたし、悩みもしたように記憶しています。
でもほんと、性格ですかね、いつまでもクヨクヨし続けてられないんです。クヨクヨしていることも、なんていうか、飽きてしまうんですね。で、なんか面白いことないかなあ、と。
障害児の父親になってしまったからには、死ぬまで障害児の父親やってかなきゃならないんだから、障害児の父親として楽しめる方法はなにかなあ、と……。(^o^)

そういう意味では、第4段階もどき~プチ受容・プチ立ち直り・プチ昇華の時期であれば、息子の自閉症がわかって半年ぐらいの頃には、既に達してしまっていたような気がします。

で、結論。
人間の心理的反応の4段階は、説得力があるようで、自閉症の親には全然あてまらなかったりするものである、と。。。(^^;

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2004.08.01

第3段階~悲しみの時期

この「悲しみの時期」ってのも短かったような気がします。
せいぜい発作的に3日程度でしょうか。(^o^)

自閉症児の生まれてくる確率は、当時1万人に4~5人と言われていました。
ということは、ウチは2000人に1人の悲劇的な家庭なんだ……と悲しみにうちひしがれてみようと思ったりもしたんですけど、主人公になりきれない性格なんでしょうか、私の場合、3日も悲しみが続かなかったような。。。

悲しんでても何にも変わりませんし。
次を考えてしまう性格なんでしょうね。さてこれからどうしよう、と。。。

ふと思ったんですけど……。
人間の心理的反応の4段階というやつに自分を当てはめて考えてみようと思ったんですけど、第1段階から~第3段階まで、ことごとくマッチしてません。(^^;
で、なかなか第4段階にいけない理由もわかったような気がしました。
1~3が当てはまってもいないんだから、第4段階「受容・立ち直り・昇華の時期」という考え方自体も自分に当てはまるわけない、と。。。

ちょっと考察に失敗してしまったようだけど、まあいいや……。(^^;

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