« 父親の遺言、のようなもの。(1) | トップページ

2017.02.10

父親の遺言、のようなもの。(2)

1月8日。亡くなる4日前の原子クンの通訳の録音も起こしてみました。
誤字脱字ご容赦。m(__)m

---

お前のことは覚えてる。話したことはないけどな。障害児のことはよくわかっている感じだった。正直変な奴とは思っていたけど、話しをしないからよくわからない奴だなと様子を見に行っていたよ。

障害児を遊ばせる場所がなくなると、障害児は困ることになるから、どうにか残す手段を考える必要を久仁明は考えているのはわかっているから、あとはその通りにすればいいし、あの土地も人手に渡して何もなくすくらいなら、その方がいいだろう。先祖もこうなるという覚悟はあったろうし、形として残せるならそれでいいと思う。
あとは家のことだが、あとは孫のことだと思うが、敦也は正直小学生の時は元気だったが、高校の頃から何を考えているか、なんというか障害児のようになってしまって、あいつも男としての覚悟がなくなってしまったから、自信をつけることをいろいろさせないといけないと思うし、心配ではあるし、母さんも亡くなる前に気にしていたようだから、あいつは突き放すことはしないで、きちんと面倒をみてやって欲しいというのはあるな。
あいつは一人で山下の家を継ぐわけだから、教育はきちんとしないと、呑気なあいつではどうにもならないから鍛え直す必要はある。鍛え直すというより、心配で仕方なく、どうすればよいと悩むところではあるよな。
久美子さんには苦労をかけて暮らしも大変になると思うが、正直久美子さんの話をあまりしなかったからよくわからないが、よろしく言っておいて欲しい。
久仁明は仕事はこれから何か考えているだろうから、なんとか頑張れよという他はない。苦労はいろいろあったろうが、苦労はよいこともあるから、よいことがあると信じてやっていくしかないよな。
俺も耳をおっつぶれた時は絶望にうちひしがれたが、ここまで生きてこれたわけだし、障害者になって話しが聴こえなくても考えは前より相手が何を考えているのかが悟りやすくなったから、悪いばかりでもないと今では思っているし、障害があることで今の辛さも我慢できた点ではよかったのかも知れないし、障害もまんざらではないというのが俺の人生の結論というか、今の心境だから、まだ死なない気もするが、先はわからんので、言うことは言うのはきちんとしたいので、ここまで言っている。なんとか生きられるところまで頑張ってみようと思うから、家にも帰りたいというのもあるが、難しいようだし、日々を頑張って生きようというのが俺の今の心境だな。
あとは休むから、このぐらいでよい。

望んでなったわけではないというのはあるが、障害者になってしまったときは我慢できるのか気になっていたが、話をすることが出来なくなったということだけで、話をしなくても通じることはたくさんあったということは話しておきたい。考えることが多くなって話をすることは少なくなったが、人の話を聞かなくてもわかる世界があるというのは知って貰いたい。あと、障害のことで後ろめたいと思うことはあったが、我慢出来ない苦しさはそのことだけで障害自体は困ったことではないと思う。

|

« 父親の遺言、のようなもの。(1) | トップページ

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/31585/64874507

この記事へのトラックバック一覧です: 父親の遺言、のようなもの。(2):

« 父親の遺言、のようなもの。(1) | トップページ