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2017.12.31

2017年のおわりに。。。(17)

で、ブログ書いてます。連続17日めの大晦日。。。(^o^)

やらなきゃならないこと、沢山ありました。
そのやらなきゃならいなこと、結構出来た年でした。

・父親の面倒を最後までみること。
・嫁サンとばあちゃん(義母)を一緒に暮らせるようにすること。
・つくしんぼの引っ越し先を決めること。
・次男にとりあえず学校を卒業させること。
・相続を乗り切ること。

今年の仕事は今年のうちに、とりあえず完了……です。

ぼくうみ続編を書き終えるのは、来年……の予定ということで。

やらなきゃならないと思いつつ、絶対にやらなきゃならないことって、そんなに多くない。
やってもやらなくてもどっちでもいいことの方が圧倒的に多いです。

死ぬまでにやり損なって後悔しそうなことだけ選んでしよっと。(^^;
黄色い新車のNboxで遠出したいなあ。。。

一年なんて、過ぎてしまえば、すぐセピア。

おしまいでーす。おわりでーす。また来年。。。


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2017年のおわりに。。。(16)

昨晩はつくしんぼの忘年会でした。
今宵は町田おやじの会の忘年会でした。

明日は何の予定もないです。
ないものねだりはしません。
やることがあったらやる、やることなかったら何にもしない。
明日になってから考えます。

ブログは書く予定ではいます。(^o^)

5年ぐらい前までは年末モードに入ると、アクセス数が増えました。
最近は全然増えません。あの頃の100分の1以下です。
完全に飽きられたな。。。(^^;

ま、いいか。
映画の営業用ブログとして目立ってただけゆえ。
役目を全うしたということで。。。

目立つことは、昔から好きでした。
特に、隠れた場所にいながら目立つ、というのが好き。
脚本家の仕事なんて、その最たるものでした。

隠れた場所から「発信」しているブログは好きでした。
パソコン通信にレインボーおやじの名前で何か書くのも大好きでした。(^^;

今は「発信」するの、楽しくないです。
埋没するから。

「発信」することが趣味で仕事だったからなあ。
「発信」でない楽しみを探すことが、来年の目標です。

次男が使っていたディスプレイを横取りしてきました。
PCはノート。ディプレイはゲームにしか使ってないし。
今まで使っていたやつと並べて、ダブル画面にしました。

便利にはなったけど、楽しくはないな。。。


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2017.12.29

2017年のおわりに。。。(15)

体調も年末にきて、結構大丈夫みたいな感じです。
波はありましたが、その波幅は小さくなり、今年は寝込むこともなく終われそうです。
60歳も近くなり、男の更年期を越えられたのかなあ???

沈没しなくて済んだのは、ぼくうみ続編の小説を書き続けていることも原因のひとつのように思えます。
毎月締め切りがあるっていうのが、適度な緊張感になっているような。。。
なので、終わらせてしまうと、また体調が落ちるような。。。
うーむ、不安神経症は相変わらずのようで。。。(^^;

ずーっと無料でアップしておいて、最後の章だけ有料にしようかな、とか思っていました。100円とか。
全編無料だとプロじゃないような気がして。(^^;

でも、やめました。
続編は、映画製作を応援してくれた方々への恩返しです。
他に何にも出来ないし。。。

だから、小説を読むか映画を観るかしていない人には、話がよくわからない。
それでいいと思っています。

本音は言えば、やっぱり本にしたいです。
ネットで発表した後に出版された小説も今では結構あるし。
あ、でも、それは人気のあった作品ばかりだ。

売れなかった小説を映画にするには、自主製作しかなかったように。
ぼくうみ続編を出版するには、自費出版しかないような。
やめた。
自腹は切らない。。。(^o^)

いっそのこと、今流行りのクラウドファンディングってのは???
やめた。
全然集まりそうもない。
もうヒロキのバックアップもないし。。。(^o^)


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2017.12.28

2017年のおわりに。。。(14)

続編にタイトルをつけるのはやめました。
「ぼくはうみがみたくなりました・その後」
そのまんまです。(^o^)
3月からスタートして、月1章ペース。慌てず騒がずマイペース。
12月までで10章まで続いてきています。

で、ちょっと困ったことがありまして。
こいつ、いつになったら完成するのか???
終わりが見えません。

私は小説家ではなく、脚本家です。
正確には、元脚本家ですが。(^^;
で、脚本家っていうのは、たいてい全体の構成と長さを計算して書き始める癖がづいている人が多いです。たぶん。
私の場合は1時間もので120枚めど。
映画や2時間ものなら240枚めど。アニメ等の30分ものなら60枚めど。

ちなみに、脚本の枚数は20文字×10行の200字詰め原稿用紙換算で計算してます。
パソコンはもちろん、ワープロもなかった時代から書いているもので。
手書きの末期世代 & ワープロ第一世代 & 親指シフト世代。(^o^)v
脚本の場合は、ワープロ時代は「OASYS」で、最近では「O's Editor2」というシェアウェアソフトを使わせて貰っています。

小説を書く時は「一太郎」を使って、40字×20行を基準にしてます。
1ページ=800字詰め原稿用紙(?)っていう気分で書いています。
ぼくうみの場合は1章を15ページめどで書いてます。

ぼくうみの小説は、12章で終わっています。
なので、続編も長さを合わせようと思っていたのですが。
10章まできているのに、全然終わりそうもない。

行き当たりばったりで書いているからなあ。
次の章でどっちに行くかもあんまり考えていない。
登場人物たちにまかせているというか。
その方が私自身が面白いもので。。。(^^;


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2017.12.27

2017年のおわりに。。。(13)

ぼくうみの小説の続編を書こうと思って、何回かトライしてみました。
映画が完成して数年後ぐらいからかな。。。

数章目ぐらいまで書いてはみるのですが。
そのたびに体調不良に見舞われ、結局は執筆放棄。。。
うまく説明出来ないのですけど、私の体調不良は鬱の症状に似ていて。
気力体力は減退し、執筆意欲が消滅します。

小説を出版して貰うためには、まずはエンドマークまで書かなければ何も始まらない。
にもかかわらず、執筆途中でのリタイアの連続。。。
体調は年々悪化傾向だし。
いつしか、続編小説の完成を諦めていました。

それが今年の初め、父が亡くなった直後、やっぱり書いてみようかなという気になりました。

ばあちゃんがいなくなった後には、つくしんぼを頑張って。
ヒロキがいなくなった後には、映画制作を頑張って。
母がいなくなった後には、映画上映会を頑張って。
家族の誰かがいなくなると、私は何かを頑張り始めるみたいです。

本にならなくてもいいかな、と思えるようになりました。
市毛さんもいなくしまったし。
さやちゃん(ぶどう社を引き継いだ市毛さんの娘さん)には迷惑はかけられないし。
続編なので、他の出版社からというわけにもいかないし。

ネットで発表するだけでもいいや、と。
一気に最後まで書く自信はないけど、1章ずつ書いてネットに掲載。
連載小説みたいな感じであればなんとかなるかな、と。。。


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2017.12.26

2017年のおわりに。。。(12)

父がいなくなって、始めたことがあります。
ひとつが相続の手続、もうひとつが新居の新築。
そしてもうひとつ。
ぼくうみの続編小説の執筆、です。

ずっと書きたいと思っていました。
続編では、淳一クンに運転免許証を取らせたい。
そのアイディアをぶどう社の市毛さんに話したのは、ぼくうみの小説の出版直後。
2002~2003年頃。15年も昔のこと。
市毛さんは、書けたら出版しよう、と言ってくれました。

でも、なかなか書けませんでした。
一番大きな理由は、とにかくぼくうみを映画化したかったから。
続編書くより、どうすれば映画化出来るのか、そっちの方ばかり考えていました。
もともと、映画にしたくての、ノベライズ的な小説ゆえ。。。

小説がヒットするわけでなく、現実的に映画化は無理かなと次第に思うようになり。
そうなると、続編なんか書く気もなくなり、そのままズルズル。。。

自主製作による映画化を考えるようになった途端、ヒロキが事故でいなくなり。
その直後の勢いだけで、映画化をスタートし。
3年かけて完成。
さらに3年かけて自主上映での借金返済。

上映会の時に、よく言われました。
「続編をつくってください」

絶対に無理です、と答えてました。
映画を作れたのは奇跡だから。
もう一回作ると言ったって、もう寄付は集まりません。
寄付はヒロキが集めてくれたものだから。
「映画の続編は無理だけど、小説の続編は書こうと思ってます」


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2017.12.25

2017年のおわりに。。。(11)

2014年の夏、名寄と美瑛で上映会を開いて貰った時のこと。
その一週間程前から体調が急降下。
それでも行かないわけでは行かず、頑張って羽田まで行き、飛行機で旭川まで飛んではみたものの、体調は最悪。
不安障害、パニック障害が私の頭の中で渦を巻き。。。。
名寄ではお医者さんが、美瑛では看護師さんが付き添ってくれて、なんとか講演会を乗り切もたものの、このままもう本土には戻れずに死ぬのかな、って本気で思いました。
それ以来、外出がトラウマとなってしまいました。
今年はだいぶ出かけることが出来るようにはなったものの、絶対に行かなければならない予定があると、プレッシャーで体調悪くなる。。。

1ヶ月程前、大学時代のクラブの仲間で集まる機会があり、数年ぶりに出席しました。
ここ数年は、体調不良で参加出来なかったから、ほんと久しぶりでした。
「生きていたんだ」「わりと元気じゃない」とか言われました。(^^;
同期には、50歳過ぎてからランニング始めて、今ではフルマラソン走る元気な奴もいるけど。
脳腫瘍で手術した奴おり、難病で身体障害者手帳受けた奴おり、亭主に先立たれた奴おり。。。
その日来なかった奴の1人は、ALSと闘っている真っ最中とのこと。

先週は、同じクラブの後輩の葬儀がありました。突然死でした。

何があってもおかしくない歳になったってこと。
ダメな時はダメ。
いつ自分に順番が回ってきてもおかしくない。

まっいいか。
倒れたら、寝てればいいか。

諦めることで、だいぶ精神的に楽になってきたような気がします。


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2017.12.24

2017年のおわりに。。。(10)

さて、私の体調なのですが。

頭が膨らむような感覚。ボーッとなって、真っ白になって、意識がフェードアウト。
夏の終わりから秋にかけて、3週間~1ヶ月以上寝込んでしまうのが毎年の恒例でした。
たいていはセーターが必要な季節になると復帰するのも、毎年恒例。。。

去年もそうでした。
父が入院した頃から、一気に寒くなり、私の体調は上向きになりました。
いや、介護のしんどさから解放されたのが原因かも。(^^;

自律神経系の異常であることは間違いなさそうなのですが。
男の更年期と思い、専門医に2年近く通院して高い塗り薬を買わされたけど、結局症状は改善せず。
ひたすら原因不明。。。
もう一生、こんな感じの体調不良とつきあっていかなきゃならないんだろうと思っていました。
だから、つくしんぼを早く辞めたかった……わけで。。。

1月半ばから父の葬儀、四十九日、加えて相続絡みのあれやこれやと超多忙状態に。
一昨年の正月はしつこい頭痛と格闘してましたが、今年の方がよっぽど頭痛になりそう。。。
でも、私の場合、プレッシャーがかかると逆に頑張れるようで。
大丈夫でした。(^o^)

冬の寒い間はたいてい大丈夫なのですが。
でも春になるとダメかなあ、と思っていたけど、なんとかクリア。
それでも夏は苦手だからなあ、と思っていたけど、これもクリア。
さすがに秋は倒れるだおうなあ、と思っていたけど、冷夏が幸いしたのか、何日か横になることはあったけど寝込むことなくクリア。

で、戦々恐々としつつも、気がつけば11月。

丸1年、寝込まないですみました。
丸々1年ブッ倒れて寝込まなかったことなんて、ここ10年以上なかったこと。
私にしてみれば、奇跡に近い出来事。。。

父が向こうに行く時についでに私の病気も一緒に持って行ってくれた???
なわけないか。。。(^^;

そのうちに訪れるしっぺ返しの反動が恐い。。。(ToT)


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2017.12.23

2017年のおわりに。。。(9)

つくしんぼの引っ越しはなんとか一段落したものの。
私の体調の方はそう簡単に一段落というわけにはいかないようで。
外出恐怖症のトラウマは相変わらず。。。

ここ3~4年、悪化した体調不良がずーっと続いていて。
去年も夏から秋にかけて、やっぱり体調は最悪で。
でも完全に寝込まなかったのは、いや寝込めなかったのは、父親の介護があったからで。
フラフラになりながら、食事介助やオムツ交換とかをしてました。

父の痴呆はかなり進んでいました。
そもそもの原因(?)は自転車で転んで、膝のお皿を割ってしまったことから。
歩くのがしんどいらしく、勝手に外出してしまうという心配はなかったものの。

困ったのは一人で勝手に風呂に肺ってしまうこと。
一人で入ることは出来ても、一人で出ることが出来ない。
なので、気づかなかったら、その時点でアウト。
実際、何回かありました。そのたびに父は生死の堺を彷徨ってました。(^^;

去年、それでも柿が実る季節まで、元気でした。
取ってきた柿を冷蔵庫に入れておくと、一回に何個でも丸食いしてしまう。
食欲があるうちは元気。だから、偏食ではあったけど、そんなに心配もしていませんでした。
それが、11月に入り、ある朝、咳が止まらなくなり。。。
最後まで家でと思ってたのですが、さすがにどうにもならず、入院。
老人性の誤嚥性肺炎でした。

胃瘻は断りました。
当人にどうしたいかは聞いていません。もともと耳は聴こえないし、喋れなくなった時点で、意志のやりとりが出来ない状態。私の判断です。

正月明けの今年1月12日、永眠しました。
84歳でした。平均寿命以上です。


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2017.12.22

2017年のおわりに。。。(8)

つくしんぼが引っ越しして、1ヶ月が過ぎました。
電気のブレーカーがちょくちょく落ちたりはして改修工事はしたものの、設備的には特に不都合も起こっていないようです。
ま、横から見ていて、なんとなくですけど。

私の新居の部屋の窓から外を眺めると、つくしんぼの庭です。
子どもたちが遊んでいる姿が見えます。見え過ぎちゃって困ります。(^o^)
見ていて思うのは……子どもの順応性の方がよっぽど早いってこと。

玩具の絶対量が減ったり、庭が狭くなったり、自転車遊びがダメになったり、バットでボールが打てなくなったり、バスケットゴールがなくなったり、木の枝ブランコがなくなったり、柿の木がなくなったり。。。
引っ越しして、いろんなことが変わりました。

でも、「ないものねだり」してもねえ。
新たに「あるものさがし」すればいいだけ。

以前は、雨が降れば、泥んこで庭で遊べなかったけど、今は全面芝生だから汚れる心配はありません。庭が石だらけでなくなったから、転んでも怪我しません。
何よりも、全面芝だから、ゴルフが出来ます。
まだゴルフ遊びはやってないみたいだけど。。。(^^;

さて一方、道を隔てた旧つくしんぼの土地建物。
築70年だった木造の建物はパワーシャベルによって呆気なく壊され、庭の植木はもちろん、樹齢60年だった柿の木2本も、樹齢80年だった樫の木4本も、今はもうありません。
北西の角にあった井戸も埋められ、真っ平らになってます。

宅建用語での言うところの、「開発行為」の真っ最中。なんせ広いもので。。。
西側と北側の道は土地を削ってセットバック。道が広くなります。
つくしんぼが使っていた土地と畑の一部は、7棟の建売用の住宅地になります。来年2月頃には工事完了とのことです。

いやあ、つくしんぼは贅沢に土地を使っていたなあ。。。
空き地を見ていると思います。


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2017.12.21

2017年のおわりに。。。(7)

我が家の庭は母親の趣味(?)だったのか、日本庭園(?)みたいにしてありました。
ただ、手入れを全然してないので、雑草だらけ。。
石灯籠やら1トン近い巨石やらがごろごろ。どう考えても今どき不要なものばかり。

で、決断。
トトロ(どうだんつつじ)とモミジと梅とカリンとヒロキ桜だけを残し、他は一掃。全面芝生にしてしまいました。(^o^)

室内も放課後施設用にあちこち改装し。
大きな倉庫の代わりに小さな物置を並べて。
大きなブランコも業者の手を借りずに移動を完了し。
父の命日から10ヶ月後の11月中旬、我が家の1階につくしんぼが引っ越しました。

なぜ10ヶ月後?
「小規模宅地等についての相続税の課税価格の計算の特例」を使うためです。
脱税ではなく節税です。(^^;

つくしんぼの土地も、税理士・不動産鑑定士と相談し、「広大地評価の特例」を最大限利用しました。
脱税ではなく節税です。(^^;

お蔭さまで、畑が半分ほど残せました。

ちなみに、広大地評価の特例は今年の夏の税制改革で、平成29年度いっぱいで実質廃止となることに決まりました。
もし相続が来年だったら、全部ぼったくられ、畑が残ることもありませんでした。

ふと思います。
ウチの父親、畑を残したかったのかなあ。。。

何はともあれ、9桁の数字が私の通帳を素通りしていったとさ。
めでたしめでたし。(; ;)

↓↓↓


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2017.12.20

2017年のおわりに。。。(6)

小学校の頃、私は妹とともに習字を習っていました。
私の唯一の子どもの頃のおけいこごとです。
でも、途中でやめました。全然字がうまくならないからです。
そんなわけで、今でも下手クソなママです。(^^;

習字の教室は自宅の裏。
先生は、我が家の裏に住むオバサンでした。
口が悪く、いつも怒られてばかり。苦手なオバサン先生でした。

そのオバサン先生は、私が大学に入った頃、伊豆に温泉付の自宅を買って、オジサンと二人、転居して行きました。子どもはいませんでした。
でも、引っ越してまもなく、オジサンが亡くなり、オバサンはずっと伊豆で独り暮らし。
オバサンは裏の土地屋敷を売って引っ越して行ったのですが、土地全部ではなく、東側に建ててあったアパートは売らずに残し、家賃を小遣いにしていました。

そのアパートを売却したがっている、という話を管理中の不動産屋から聞き、久しぶりにオバサンに連絡を取ってみたら「遊びに来い」と。
で、伊豆は川奈の温泉別荘地までドライブ。。。
御歳95歳。杖は使っているものの、足が不自由だなんて口ばっかり。結構スタスタ歩けてるやん。
「売った資金で養老院に入る」と。
老人ホームではなくて、養老院だと。(^o^)

「元我が家」の裏、ということは、「つくしんぼ」の裏。
ちなみに、「現我が家」があるのも「つくしんぼ」の裏。
ゆえに、「現我が家」とそのアパートは隣地同士。これ、三段論法。。。

「隣の土地は借金してでも買え」って。
借金して買いました。

築50年のおんぼろアパートは解体させて頂き、平屋の新居を建てて引っ越し、独り暮らしだった嫁サンの母親を呼び寄せました。

95歳の裏のオバサンみたいに口うるさかったら勘弁だったけど。。。(^o^)


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2017.12.19

2017年のおわりに。。。(5)

つくしんぼの引っ越し先を、私なりに探してみました。
でも、なかなかありません。
土地建物を買うことなんて、つくしんぼには到底出来ません。
当然、賃貸です。
かといって、居酒屋の跡地とかコンビニの残骸なんかじゃだめなのです。そんなとこで始めたら、そこらへんの放課後等デイサービスと同じ穴のムジナです。そんなもんは「つくしんぼ」じゃないのです。

つくしんぼのコンセプトは「障害児の遊び場」なのです。「屋根のある公園」なのです。
療育なんてクソ食らえ! 放課後等デイサービスの理念なんてクソ食らえ! なのです。

いつしか、引っ越し先は1ヶ所しかなさそうだな、と思うようになりました。
我が自宅です。
つくしんぼを始めたいがゆえに、母の希望通りに建てた二世帯住宅です。

建物内は1階だけでもつくしんぼより広い。
庭の植木を伐採すれば庭も充分につくれる。

父がいなくなったら、1階の住人は誰もいなくなる。
我が家は、三人家族には広過ぎる。。。
我が家は、葬式が出来るくらいに広いのです。

ウチの家族なんか、どこかへ引っ越せばいいだけの話。
目の前に建っているマンションの最上階なんかでもいいかな、と思ったりもしました。
父親名義で借金すれば、相続税対策にもなるだろうし。
上から目線でマンションからつくしんぼを見降ろせるし。(^o^)

でも、買いませんでした。
喧嘩相手だった長谷工のマンションなんて、なんだかなあ。。。

こういう時って、風が吹くのです。
つくしんぼを始めた時もそうだった。
映画製作の時もそうだった。
風が吹き始めるのです。
風が吹いたら、風のまま。
ないものねだり、ではなく、あるものさがし。。。


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2017.12.18

2017年のおわりに。。。(4)

私のもともとの仕事は脚本家です。シナリオライターとも言います。
どっちでもいいです。
いずれにせよ、作家というより、ただの物書きですが。(^o^)

脚本家って、作家の類はたいていそうだけど、他人の真似が許されません。
真似がバレると、「パクッた奴」と叩かれる。
東京オリンピックの最初に決まったシンボルマークの時みたいに。。。

なので、オリジナルであることにこだわります。
自分の企画であることにこだわります。
ローソンもファミマも、セブンイレブンをパクッて大きくなったけど、脚本家はそれが許されない。
ま、原作物は別ですけど。でも、原作物は自分の作品ではありません。他人の作品です。

2012年、つくしんぼはアバウトだった東京都単独の福祉事業から厳格な国の放課後等デイサービス事業に仕方なく移行しました。
東京都と町田市に脅されたからです。
脅しには屈しませんでした。が、補助金がなくなることには屈しました。
で、移行はしてみたものの、私のアバウトな性格と四角四面の制度が相容れるはずもなく。。。
私はますますつくしんぼがやめたくなりました。

本気でやめようと思いました。
本気でやめようと思うと、やってくれる人が現れ。。。
で、2014年、つくしんぼの代表もNPOの理事長も次世代にバトンタッチしました。

やめたらのんびり出来る。のんびりしながらやっとぼくうみの続きも書ける。そんなこと思っていましたが、思ったようには行きませんでした。
自分の体調はするわ、父親の介護が始まるわ。

父親の介護が始まった頃から、つくしんぼの引っ越し先を考えるようになりました。
相続税を払うためには、つくしんぼの土地を売ることになるだろうと思ったので。。。

自分が代表で続けていたら、とっととやめてしまっていたでしょうけど。
次世代に任せた時点で、そう簡単にやめるわけにもいきません。

そんな時、思いました。
あ、自分は作家だったんだ、と。

「ぼくうみ」の企画・原作・脚本だったように、自分は「つくしんぼ」の企画・原作・脚本・制作・監督だったんだ、と。

「つくしんぼ」の脚本・制作・監督業は交代したけど、企画・原作者であることには変わりない、と。

腐っても作家根性、なんでしょうね。
雨後のタケノコ、二番煎じだらけの最近の放課後等デイサービスとは違う。
「つくしんぼ」は私のオリジナル作品だったんだ、と。


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2017.12.17

2017年のおわりに。。。(3)

父が元気に畑をやっている頃は、考えること自体を先送りしていました。
先のことなんてあんまり考えたくないゆえ。
ヒロキがいなくなって以来、考えること自体を放棄してました。
自分が畑やるようになるなんてことも考えたことありませんでした。

それが、3~4年前ぐらいだったかなあ。
父が自転車でコケて膝のお皿割って動けなくなり。
一人で風呂にも入れなくなり。
耳が聴こえないから身障手帳は持っていたけど、それとは別に介護認定して貰ってデイサービスのお世話になり。

その頃から、考えざるを得なくなりました。
祖母・ヒロキ・母の時とは違うのです。
なんせ相続が絡むゆえ。。。

最初に自分で相続税計算をした時のことでした。
驚きを通り越して、笑ってしまいました。
いやあ、こんなにぼったくられるとは。。。(^^;;;

「それだけ裕福だってことでしょ」
はい。たぶんそうです。
でも、土地はあるけど、金はない。。。
「じゃあ、土地を売ればいいでしょ」
はい。たぶんそうです。
でも、そうなると、つくしんぼの存続は不可能。。。

ヒロキがいなくなって以来、つくしんぼを続けていること自体がしんどかった私です。
いつもやめるタイミングを考えていました。
それが、正当な理由でやめられるのだから、これはこれでいいのかな。。。

体調は年々悪化の一途。
自分が代表を続けていたら、たぶんつくしんぼは今頃消滅していたと思います。
でも、タイミングってあるのかなあ。
私の代わりにつくしんぼをやってくれる人たちが現れました。

これって何なんだろう? ずいぶん考えました。
で、私なりに出した結論。
「ヒロキはつくしんぼをやめちゃいけないって思っている???」


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2017.12.16

2017年のおわりに。。。(2)

一昨日の12月14日、父の一周忌を執り行いました。木曜日。平日です。
四十九日は土曜日にしましたが、そもそも父の葬儀が家族葬。参列者は両親の家族のみ。全員が60歳以上。誰も仕事をしていない。わざわざ土日にやる必要がないことに気づいた次第です。

父の命日は今年の1月12日。
厳密には一周忌は来月になるわけですが、正月と年末を避けたくて、ひと月繰り上げた次第です。

父がいなくなって11ヶ月が経ちました。
母がいなくなって9年目です。
ヒロキがいなくなって12年目です。
祖母がいなくなって17年目です。

葬式は4回とも私が仕切りました。すっかりベテランです。自慢出来ることじゃないけど。(^^;
4回も葬式やったら、家族が7人から3人に減ってしまいました。

自分が生まれ育ったオンボロ家を福祉施設として使うべく、二世帯住宅を新築して両親と祖母に転居を促したのが1995年。22年前。
新築にあたっての母の要求は「自宅で葬式がやれる家にせよ…」とのこと。

祖母の葬式は新宅でやりました。
ヒロキの葬式は旧宅の「つくしんぼ」でやりました。
母の葬儀は、家でやるのは大変なことを痛感していたので、新宅でなく、葬祭ホールを借りました。
でも、父の葬儀はまた新宅でやりました。

今の時代に葬式の出来る家なのです。
広いです。広過ぎるのです。(^o^)


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2017.12.15

2017年のおわりに。。。(1)

まだ半月あるけど、今年の私の我が家での業務は早々に完了です。
今年のうちにやらなきゃならないこと、全部終えました。たぶん。
あとはぼちぼち掃除やら片づけものやらするだけ。
こんな早くの店じまい、これまでにないです。たぶん。(^o^)

2004年、ここのブログを始めて。。。
2006年、ヒロキがいなくなった年から、1年の終わりにその年の総括のような文章をなんとなく連日で大晦日まで書き綴ってきました。

今ちょっと数えてみたら、2006年が16日連続、2007年が6日連続、2008年が16日連続、2009年が4日連続、2010年が7日連続、2011年が10日連続、2012年が8日連続、2013年が14日連続、2014年が4日連続、2015年が3日連続、2016年が3日連続……でした。

忙しかったり体調の悪かったりすると、短くなっていたような。
ここ3年は短いなあ。
3日とか4日じゃ、連続のうちに入らんなあ。

早々の店じまいと、今年ほどブログを書かなかった年もなかったゆえ。
12年目はちと長めの年末ブログにしてみようと思います。
今日から始めれば、大晦日まで17日連続。過去最長。(^-^)v

でも、初日の文章には何の中身もなかったりしてます。(^^;


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2017.12.13

ぼくはうみがみたくなりました・その後(10)

10章をアップしました。
書き降ろしのままなので、また誤字脱字とかのミス多いかも。m(__)m

ぼくうみの続編小説「ぼくうみ・その後」は【こちら】

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2017.12.03

地鎮祭

先週、土地の売買契約が完了しました。
で、すぐに開発前の地鎮祭。。。

で、これでもう明日から築70年の私の生家でもあるつくしんぼはパワーシャベルでぶっ壊されます。。。

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2017.12.02

久しぶりの取材旅行

久しぶりなんてもんじゃありません。
前回は、えーと、まだ20世紀でした。たぶん。(^^;

新車の黄色いN-BOXでのドライブ気分で、栃木まで行ってきました。
目的地は、鹿沼自動車教習所。

こういう実践を続けている教習所です。

梅永先生とは、FEDHAN時代からの知り合いゆえ、かれこれ20年???
いやはや。。。

なんせ、淳一クンに免許取らせるゆえ。
社長の古澤さんにいろんな話を伺ってきました。

古澤社長とは、宇都宮でのぼくうみ上映会の時に知り合いになりました。
障害者に運転免許を取得させている教習所が本当にあると知って、ビックリしました。
そのうち遊びに行くと約束したまま、かれこれ5年???

古澤社長の考え方や話が面白くて、ついつい長居しちゃいました。
話した内容は、ヒミツ。
そのまんま小説に使ってしまおうと画策中。
いや、社長のキャラ自体、頂いてしまおう。。。(^o^)v

鹿沼まで行ったついで、足を伸ばして日光にも行ってきました。
日光はウチの両親が初めて買ったパブリカで、初めてドライブで行った場所。

おぉ、こんな車だったような。なんとなくしか記憶ないけど。
小学校の時だから、かれこれ50年???

行った記憶のある東照宮、華厳の滝、中禅寺湖と回ってきました。


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