2008.05.08

幸楽苑

以前にもアップしたことある写真なのですが……。
2006年3月11日に、注文を待っているときに携帯で撮った写真です。
この時が、ヒロキにとっての最後のラーメン屋さんになってしまいました。
この頃は、地元の中学の温水プールで泳いで、そのあと幸楽苑で大盛りラーメンを食べるというのがヒロキの決めごとでした。
とにかく幸楽苑のシンプルなラーメンが好きな奴でした。もっとも、質より量の奴なので、安く食える店にしか連れて行かなかったからですけど。(^^;

一人で散歩してたときにも幸楽苑に寄ってたことは、全然知りませんでした。
考えてみれば、まあ、寄るだろうなあ。ばぁんに寄って、ビデオ屋に寄ってと、好きな場所に順番に立ち寄っていた奴だから。
散歩の途中にもラーメン食べたかったんだろうなあ。「お父さん」って言ってたのは、いつもお父さんと一緒だけど一人でも食べたい、って言いたかったんだろうなあ、たぶん。
お金払わないと食べられないってこと、理解できてなかったろうなあ……。

コメント、ありがとうございました。m(__)m >大島恵さん
南郵便局につくつく通信置いて貰っててよかったです。(^o^)


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2008.03.26

先行予約、はじめます

Sanpo2_2
最終の校正チェック、ようやく終了しました。
誤字脱字、まだ残ってたら嫌だなあ。
ぼくうみのとき、星の数ほどあったので。(^^;

おさんぽいってもいいよぉ~  
 -自閉症児ヒロキと歩んだ十五年-

    山下久仁明 著
    ぶどう社刊 A5版 128ページ
    定価1300円(税込みで1365円)


とにかくヒロキとの15年を書き綴ってみました。ヒロキの写真もいっぱい載ってます。
お母サンと次男も1章ずつ書いてます。

発売は4月中旬の予定です。注文用サイトから先行予約を受け付けます。
注文用サイトはこちら
発刊の日に、ぶどう社から発送します。送料は無料です。

印税分は全額映画制作費に回してしまうつもりです。それが公約だったし。。。(^o^)v
だから、よろしくお願いしますです。m(__)m

※表紙のデザインがまだ出来ていません。完成データを受け取り次第、差し替えます。


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2007.10.18

本を出版します

昨日の助成金説明会のあと、神田のぶどう社さんに立ち寄り、久しぶりに市毛さんと話をしてきました。で、以前からお願いしていた企画の件にOKを頂いてきました。

新しい本を出版して頂ける約束をしてきました。
「おさんぽいってもいいよぉ~ ─自閉症の長男ヒロキと歩んだ15年─」
がタイトルです。そう、まるごと“ヒロキとの思い出”の本です。

〈企画意図〉
重度自閉症の長男を電車事故で失った父親(山下)が、長男とともに過ごした15年間の奇跡を辿るとともに、自閉症を描いた小説『ぼくはうみがみたくなりました』映画化への思いを織りまぜながら、障がい児の親たちに「たとえ障がいがあっても、子どもが生きていること、子どもと過ごせることの幸せ」をメッセージとして伝えたい。障がい児の親たちに送る“エール”のような書籍にしたい。

こんなノスタルジーのかたまりみたいの本、売れるかって言われそうですけど。
なんとか買って貰えるように、頑張って仕上げるつもりです。
ヒロキとの思い出に向かい合って書かなければならないので、 自分としてはかなりつらい作業ではあるんですが……。

初版は、映画の完成の直前頃の予定です。来年の夏以降かな。
映画とのコラボというか、タイアップというか、そういう専門用語、よく知らんのですけど、要はそんな感じでいきたいと思っています。
最初の頃の上映会とかのタイミングで一気に売りさばいてしまう予定です。
その他のタイミングじゃ売れないでしょうし。(^^;

印税は、まるごと映画製作費に回すつもりでいます。
ぶどう社さんに映画製作費の協力をお願いするのはかなり忍びないので、こういうかたちで映画に貢献して貰います。
って、私にしてみれば、一石二鳥……。(^o^)v

ちゃんと売れることの証明として、来年に入ってからになるとは思いますけど、ネット上で先行予約注文を受付させて貰おうかなって思っています。
最初に何冊ぐらいさばけるかを伝えることが出来れば、出版サイドの市毛サンにホッとして貰えると思うので。
って、注文全然なかったら逆効果なんですけど。(^^;


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2007.06.17

父の日


中学校の障害学級では、美術の時間になのかな、毎年必ず父の日用の何か品物をつくり、メッセージを添えてくれてました。
(右フレーム一番上の絵もそうです。)

そんな父の日の作品がなくなって、2年目です。
新しい作品は、もう増えません。。。

写真は、中二のときのメッセージです。

 おとうさんへ
 つくしんぼがんばってね
 いつもありがとう
 ひろき

これ読むと、私にはヒロキの声がヒロキの喋り方で聞こえてきます。

中三のときのメッセージには、

 バトミントンいっしょにやろうね
 ひろき

と書いてあります。
これでも、高校時代は都の大会のダブルス個人戦で準優勝までいきました。
ただ、今より15kg以上痩せてはいましたけど。(^^;
私がバトミントンやってたことなんて、ヒロキも中学校の先生達も知らないはずなのに。。。


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2006.12.11

もうひとつのおやじの会

町田には、もうひとつ障害児のおやじの会があります。
町田養護学校で今年からスタートしている「町養父親の会」です。

ヒロキも今年から高一で養護。飲んでるばかりでなく、ちゃんとした勉強会の出来るおやじの会をつくりたくて、入学以前から校長とも連絡を取り合って企画し、入学式の日に配るビラまで用意していた会です。
ところが、入学前にヒロキが事故でいなくなってしまい……。
私も養護に行くことがなくなってしまい……。
会はそのまま立ち消えかなと思っていました。

それを、町田おやじの会の方の会員でもあるダメおやじさん(ハンドル名)が、引き継いでくれて、会を結成し、今年は2回の学習会を行ないました。
先週の土曜に2回目の学習会と忘年会がありました。
でも私はFEDHANの忘年会に行ってしまいました。(^^;

で、その会の席で、ダメおやじさん、会の名前を提案されたそうです。
で、その会の名前のことで、私の了解を得るために、つくしんぼにまで来てくれました。
会の名前を「大輝会」にしたいとのことでした。
私はもちろん、OKさせて頂きました。
さすがに“ヒロキ会”でなく“タイキ会”とでも読んだ方がいいとは言いましたが。(^^;
ヒロキの通えなかった養護学校。4月からバスで行けることを楽しみにしていた学校の父親の会の名に、大輝の文字を使って貰える……。
なんか嬉しいです。(; ;)

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2006.12.10

町田おやじの会の忘年会

昨夜は町田おやじの会の忘年会でした。
規約にある通り、単に障害児の父親達が集まって飲む会を、と思って立ち上げ、早6年……。
特に個人的に呼びかけるわけでもなく、HP上の掲示板と参加確認用CGIで連絡を取り合う程度なのに、今回は新人おやじも含めて18人も集まりました。ちなみに、総会員数を誰も把握していないみたい。おやじの会の本を出版しているか否かとは関係なく、思いっきりいい加減な会です。(^o^)

先日、湘南おやじの会の方々とお会いしてきました。
立ち上げてからまだ日の浅い会みたいなのですが、とっても勉強熱心なおやじ達で……。ただ飲んでるだけのウチらとは大違い。(^o^)
で、実は驚いたことがありました。
代表サン、お子さんを亡くされた方だったのです。
これから続く子供たちのために今を変えていかなければと、それに生まれてきてくれたお子さんへの感謝も込めて……とのこと。
私は、ヒロキがいなくなって、おやじの会もOBになっちゃうんだよなあ、って淋しい思いでいたのに……。
なんか、すごいなあと思うとともに、私も町田おやじの会にずっといていいんだって思えてきて……。

ちなみ昨日の忘年会、一次会の店を出たあたりから記憶がありません。(^^;
二次会行ったのかなあ??? > じぶん
朝起きても二日酔いどころか、まだ酔ってる状態。最低……。
ちゃんと家まで辿り着いているし、財布も携帯もしっかりカバンに入っていたので、よかったです。(^^;

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2006.03.27

お風呂

長男の決め事のひとつに“お風呂は父親と入る”というのがあります。
「お風呂~」と言って、毎夕必ず私を呼びに来ます。私が出かけている日は諦めるようですが、私が家にいる場合は絶対に私が一緒でないと風呂には入りません。
脚本書きを本業にしていた私は、打ち合わせがない限りほとんど家で仕事をしていたし、夕方はたいてい家にいたので、長男が赤ん坊の頃から風呂は私の担当でした。

なんだかんだいって、一人で体を洗うし(背中は洗えと命令してくるが)、着脱も一人でするし(濡れたまま着てしまうが)、苦しいながらも全介助ではなく、結構なんとかなってはきています。
ただ、指示されないと動けないところがあり、風呂から出るときも「出るよ」と声かけしない限り、茹だってヘロヘロになっても一人で出ることができません。

にもかかわらず、指示されなくても、ちゃんと最後に電気を消すことはいつしかきっちり覚えていまして……。
たいていは私より先に出るので、いつも私は真っ暗な風呂に一人残されてしまうのです。

だからいちいち消すなっちゅーの。。。

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2006.03.17

卒業式

本日、長男の中学の卒業式がありました。
ちゃんとステージ上に立ち、一人で校長から卒業証書を受け取ることも出来ました。
かなり笑いを取れる感じの光景でしたが、さすがにみんな我慢してくれ、誰も笑うことはありませんでした。
というか、前日までの練習で、爆笑した生徒達がしっかり先生に怒られていたようで。(^o^)

当人が卒業というものをどう捉えているのか、親にはわかりません。
4月になったらまた中学校に行けると思っているのか、もう行けないことを理解しているのか???
つい先日の療育手帳の更新での再検査の際の「3歳9ヶ月レベル。IQ30」という結果に、あらためて頭をかかえてしまったばかりです。

ウチの息子は、どんな環境でも楽しめるというトクな性格をしているみたいです。
3歳までの療育施設での環境も楽しそうにしていたし、幼稚園も楽しく通えたし、小学校6年間の障害児学級も楽しかったみたいだし……。
障害児学級としてはかなりレベルの高い中学での環境のなかでも、3年間楽しそうに通学していたし……。

で、4月からは片道70分の送迎バスに乗っての養護学校高等部通いとなります。
それはそれで、また楽しみになってくれればいいかな、と。

ただ、なんていうか、いよいよカウントダウンに入ってしまうんだなあ、という気分。
泣いても笑ってラスト3年。それが終われば“学校”という守られた環境はおしまい。
ところてんが押し出されるが如く、器もない世の中にムニュ~ッと押し出され、そのあとをどうすりゃいいのか思案橋……。
ま、なるようにしかならんのだろうけど。。。

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2005.05.31

シナリオ誌バックナンバー

バサッと落ちた古い月刊シナリオに付箋紙が挟んであったので、何かと思って開いてみると、こんな文章が載っていました。(^o^)

 最近「月刊シナリオ」が私の部屋の本棚の一等席を占拠するようになった。部屋の隅の横積み状態を定位置としていたバックナンバー達が、である。
 一番古い一冊の背表紙を見ると……わぉ、荒井さんの「赫い髪の女」が載ってる号だ。うーん、懐かしき習作時代。
 理由は……突如としてウチの息子(自閉症)のお気に入りとなってしまったから。二十数年分の全冊をずらり並べ、バサッと床に落とし、また年月の順番に並べ、それを眺めては満足そうにしているのが毎日の日課。同じことを何度も繰り返すから、一冊一冊がどんどんボロくなっていく。まあ、積まれているだけの存在よりは、明らかに役に立ってはいるわけで。シナリオ誌達も喜んでくれてるかな。
 障害児の施設を始めて、六年になる。私に「作品」の発注をしてくれる人も、いつしか一人もいなくなってしまった。覚悟はしていたつもりだが、現実となるとやはり淋しい今日この頃……。
(月刊シナリオ2001年9月号「作家通信」より)

うーむ、結局私の文章は愚痴が基本なわけだ・・・。(^^;

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2004.10.17

二本の柱

町田市公民館障害者青年学級とニフティーサーブ障害児教育フォーラムへの参加が、障害児の父親になった私に影響を与えた二本の柱と言えるような気がします。
青年学級からは知識福祉という視点を、障害児教育フォーラムからは全国的な視点を教えて貰いました。

でもって、どちらでもかなりの有名人になってしまい……。
思いっきり有頂天にもなっていました。(^^;
三十代前半の私は、障害児の親ってのも結構楽しいもんじゃない、って本気で思っていたほどにノンキな奴だったようです。

で、どうにも先細り感のある脚本家業をズルズル続けて失業してしまうより、さっさと転業して福祉業界の人間になった方が楽しいかも、なんて考えるようになったのもこの頃だったように思います。

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2004.10.13

栄枯盛衰というか・・・

正直な話、障害児教育フォーラムは今、閑散としています。
まあ、他のフォーラムは、もっと閑古鳥で閉鎖されたとこも多々あるようですが……。

だからといって、障害児教育フォーラムに代わるような場所、障害児に関係する情報交換の場って、インターネット上には結局出来ていないんですよね。
いろんな意味で敷居が低くなり広く浅くなった分、情報はかえって分散してしまっていて、かえって必要な情報が得にくい時代になってきていると思います。

特に掲示板がネックですね。いろんなとこにいろんな掲示板がありますけど、どれもこれも結局は井戸端会議の範疇を出ていないわけで……。
私自身、自閉症協会東京都支部のホームページを管理していて、掲示板も管理しているわけですけど……。
内容的には、ひと昔前の障害児教育フォーラム内の自閉症会議室の足元にも及ばない感があります。

ニフティも、パソコン通信などお荷物と思っているようです。出来れば早めにつぶしたいんだろうなあ。儲からないのに保守しなきゃならんのだろうし……。
いつまで持つんだろうか。> 障害児教育フォーラム
私は最後の最後までつきあうつもりではいますが……。m(__)m

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2004.10.12

会員制がネックに・・・

障害児の親になって、ニフティのパソコン通信内にある障害児教育フォーラムに参加できてとてもラッキーだったって、私は心底思ってます。

ただ、最大の欠点は……ニフティの会員でないと参加出来ないという点でして。

ひと昔前は、プロバイダなんていくつもなかったので、どうせ入るのであれば最大手のニフティを選べばいいだけだったのですが……。
インターネット主流になった今、わざわざ回線やプロバイダとしてニフティを積極的に選ぶ理由ってほとんどないんですよね。それぞれがそれぞれの都合に合ったプロバイダを選ぶのが常識なわけで。
ケーブルテレビに加入している人なんか、ニフである理由はまったくないわけですし……。

その結果、ニフティから他のプロバイダに変更し、せっかくの有数の情報交換の場である障害児教育フォーラムから去って行った方も多くいたように思います。

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2004.10.11

その一方で・・・

通称、と呼ばれている会議室がありました。
そこでは、障害児教育になにかしらの関わりのある人たちが、障害児教育とは全然関係ないどうでもいいようなくだらないヨタ話やエロ話を繰り広げているではありませんか。
しかも、一日に100近くも書き込みがあって、一番賑わっている始末……。

障害児教育フォーラムなのだから、真剣で真面目な書き込みばかりだと思っていた私は、なんてノーテンキな人たちなんだろうと、それこそ仰天してしまいました。
で、しばらく経つうちに、嫌いでない私は、しっかりそこにも住み着いておりまして……。

パソコン初心者としてわからなったことも、フォーラム内で質問すると誰かが優しく教えてくれるし、聞いてもわからないことは、フォーラム内で知り合った人がわざわざ自宅まで修理に来てくれたりもして……。

参加して10年。もしこの障害児教育フォーラムの仲間に入れて貰っていなかったら、私はまた別の障害児の保護者観を持っていたと思います。

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2004.10.10

自閉症の会議室

障害児教育フォーラムの中でのお目当ては、当然自閉症の会議室でした。
書き込む人は、ほとんどの人がハンドルネームなので、どこの誰だかはわからないのですが、親であったり専門家であったり学校の先生であったりぐらいは書き込みの内容から判断出来ました。
そして皆さんが、私なんて全然知らない専門用語でバンバン話をしているのには、ほんと驚きました。

入った当初に私が一番驚いたのは、TEACCHの専門家の先生達と行動療法の専門家の先生達が長いツリーを作って激論を闘わせていたことでした。
私は当然、TEACCHもロバースもほとんど何にも知らないわけで……まるで意味不明だけど日本語だからとりあえず読んでいた、そんな感じでした。
自閉症の専門家と言ってもいろいろいるし、療育の方法もいろいろあるみたいだし、どれを信じたらいいんだろう??? それが私の率直な感想でした。

その当時、激論を闘わせていた先生達は、今では自閉症関係者であれば誰でも知っているような有名な先生になってらっしゃいます。(いや、当時から有名だったのかも…)
そういう先生達の若い頃の生の本音バトルを垣間見させて貰えたのは、自閉症という障害を知っていく過程でとても貴重な経験でした。

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2004.10.09

唯一の情報収集の場

障害児の親という立場になって、とにかくいろんな情報が欲しいときでした。
だから、自閉症関係の本は漁るようにして読んだし、テレビで自閉症関係の情報があれば録画して何度も見ました。
ただ、世間にはとにかく自閉症の情報は少なく……。

今は、インターネットを開くだけで、とにかく無数の障害児の親のHPはあるわ、専門家のHPはあるわ、療育機関のHPはあるわ、その情報が正しいか否かはともかく、いくらでも情報収集が出来るわけですけど、たった10年前はその術がなかったわけで……。

そんな中、FEDHAN(障害児教育フォーラム)には、その当時、1万人を超える人達が会員登録をしていたとのこと。これは驚きでした。
フォーラムの中には先輩にあたる障害児の保護者はもちろん、養護学校の先生あり、障害児学級の先生あり、療育の専門家あり、障害をもっている当事者もいました。

面白かったのは、当時、子どもの療育というと母親専門という感じがしていたのですが、このフォーラムの中では父親の方が多かったことです。
それだけパソコンは高価なオモチャだったゆえ、母ちゃんなんかに触らせなかったということでしょうか。(^o^)

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2004.10.07

障害児教育フォーラム

その障害児専門の会議室はFEDHAN(ふぇどはん)という名称の場所でした。
どうにも意味不明だなあと思っていたところ、“F”はforum、“ED”はeducation、“HAN”はhandicap で、それをつなげての名称だとのこと。

パソコンは買ったものの、自分では繋げず、知り合いに頼んで設定して貰い、さらにそのパソコンの内蔵モデムが初期不良ですぐに交換して貰ったりもして、七転八倒の末のフォーラムへの参加でした。

さんざ考えた末のハンドル名は、レインボーおやじとしました。
とにかくインパクトあった方が参加者に覚えて貰えると思いまして……。(^^;
あ、ちゃんと理由も三段論法でこじつけてありました。
二児の父親 → 虹の父 → レインボーおやじ です。(^o^)v

ちなみに、当時はまだ「自閉症スペクトラム」なんて言葉はありませんでした。
しかし、なんていうか、スペクトラムおやじにしなくてよかったです。
自閉そのものおやじみたいですし……。(^^;

それでも最近はレインボーおやじってのがどうにも照れ臭かったりもして、虹父と省略してる次第でして……。

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2004.09.28

パソコン通信

自閉症児の父親となった私に、障害者青年学級は多大なる影響を与えてくれました。
でもって、それとは別にもうひとつ、ものすごい影響を与えてくれたものがありました。
それは、パソコン通信というものでした。
あ、過去形で書いてしまってますが、今でもちゃんと存在していますので……。(^^;

「パソコン通信? なにそれ???」っていう方、いるんでしょうね。
インターネット通を自称する人達の中にも、パソ通を知らない人が大勢いたりしますし。そんなとき、「どこがネット通なんじゃーっ!!」ってツッコミたくなります。(^o^)

今はとにかく常時接続のインターネットが主流ですけど、ほんの数年前までは電話をかけてはピーピーガーガーいうモデムでコツコツと文字情報をダウンロードするパソコン通信というのがネットの主流であり常識だったのです。
これ以上のパソ通の説明は面倒臭いので、興味ある方は【こちら】をどうぞ。(^^;

で、私は、そのパソコン通信の中に、障害児専門の会議室というものがあると聞いて、ぜひそこを覗いてみたいと思い、ずっとワープロ派だった私がパソコンを買う決心をしたのです。ウィンドウズ3.1が全盛の時代で、暮れにウィンドウズ95が出るという頃でした。ちょうど今から10年程前です。

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2004.09.22

私の得たもの

実際、主客転倒していてもいい、と思っていました。
障害者青年学級は、たしかに最初は楽しいだけでしたが、そのうちに絶対、自閉症の長男のためにフィードバック出来る何かがある…と確信するようになりました。

青年学級でできた人間関係は、どんどん外へと広がっていきました。
市内で福祉に関係する学習会があるという情報を仕入れれば必ず顔を出し、どこかの作業所でボランティアが必要だと聞けばやはり顔を出し……。
「あらあ、あなたっていつでもどこでもいるのねえ」って言われるようになるぐらいに、あちこちに顔を出していました。
その結果、いつしか市内のあらゆる福祉関係の場所で、少なくとも顔だけは知られているようになっていまして……。(^^;

どちらかというと自閉症に関する専門知識等より、障害者の就労関係や福祉行政関係、障害者福祉全般に関わることの方に、私の興味は向いていたような……。
このへんが、たぶん、多くの自閉症児の保護者と根本的な部分で思考回路が異なる要因なんだと思います。
おかげさまで、井の中の蛙にならずに済みました。(^^;

療育施設や病院、幼稚園や学校関係等では決して創れないであろう人間関係を、私は楽しみながら得ていったような気がします。

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2004.09.21

主客転倒

なんだかんだ言って、私は障害者青年学級にハマッていました。
毎週木曜の夜と月2回の活動日は、必ず公民館に行き、他にもなんだかんだと言っては公民館に顔を出していました。
脚本の打ち合わせ等でバッティングする場合も結構あったのですが、「あ~その日は無理!!」とか言って、ことごとく仕事の方の予定の方を変えて貰っていました。

活動は、朝9時に家を出て行き、学級自体は午後4時ぐらいまでなのですが、そのあともハンディを持つ仲間達と行きつけの喫茶店に寄り、さらに行きつけの居酒屋にも行き、気がつけば毎回深夜近く……。
仲間達はほとんど呑み代も持ってなく、結局はかなりの金額を払わされることになるのですが、そんなこと楽しさに比べればどうってこともなく、毎回必ず呑みに行ってました。

で、一人で浮かれて楽しがっていたわけですが、ウチに帰れば幼稚園児の自閉症の息子がいるわけで……。
嫁さんによくこう言われたものです。

「あなたは自分の家の障害児をみないで、よその障害児の面倒ばかりみていて、主客転倒している!!」

一瞬カチンときたものです。でも、言い返しはしないようにしてました。
いつか絶対、この経験が役にたつに決まっている、と思ってたので……。(^^;

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2004.09.17

で、で、公民館職員のこと

今、ウチの市の障害者青年学級には、180人ものハンディを持つ青年達が集っています。こんな大規模な青年学級、他にないと思います。
しかも、重度の方や重複障害の方も受け入れている。全国で一番有名な青年学級と言っていいと思います。

そんな青年学級を引っ張って来たのが、一人の女性だったのです。
で、私は、その人に惚れてしまいました。(*^^*)
こういうものすごい人に弱いのです。> 自分 (^^;
で、他の職員達やスタッフ達同様、弟子みたいな感じになってしまいました。m(__)m

ただ、行政職員には異動があります。Y.Oさんも、粘りに粘り、青年学級を25年ほどやった頃だったかな、ついで別の職場に移っていきました。
で、それからは、弟子達が学級運営を続けていて……今年は30周年です。

ただ、公民館職員もだんだんと専門性と無縁のものになり、今年はついに社会教育主事すらいない状況になりました。
仕方ないんですけど、職員の求心力がないと、いろんなことが進展せず……。(; ;)

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2004.09.15

で、公民館職員のこと

とにかくものすごい女性職員がいたのです。
50歳ぐらいの女性で、しかも自ら障害を持っているという感じなのに、100人以上の規模の障害者青年学級を一人で切り盛りしているという感じでした。
なんていうか、みんなに恐がられているというか、彼女がいると空気がピンとひきしまるというか……。(^o^)

もちろん、他にも青年学級を担当している公民館職員はいるのですが、みんなその人の弟子みたいな感じでして……。(^o^)

青年学級を立ち上げ、丸20年、青年学級を引っ張ってきた人でした。
体をひきづるような感じなのは、数年前、公民館事業で外回りをしていたとき、脳梗塞で倒れたのが原因とのこと。(後になって、労災裁判で勝訴しました)
倒れる前は、そりゃもうとんでもないぐらいにアクティブで、めっちゃくちゃに厳しい人だったという噂の人でした。

彼女の名前は、Y.Oさんと言います。
ちなみに、Y.Oさんは、私の小説を俵万智さんの発掘者であるY.Mさんを紹介してくださったり、山田洋次監督を紹介してくださったりと、そりゃもう人脈もすごくて……。m(__)m

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2004.09.14

公民館職員のこと

障害者青年学級に関わるようになった私は、さまざまなハンディをもつ青年達に出会い、大先輩である障害児の母親達と出会い、聖人君子(?)と思えてしまうようなスタッフ達に出会いました。
そして、もう大きな出会いがありました。それは、公民館職員との出会いでした。
私は、出入りするようになるまで、都内の公民館は単なる部屋貸し施設であり、地方の公民館は単なる災害のときの避難場所だと思っていました。
でも、全然違ったんです。
公民館では、社会教育というものの現場だったんです。

社会教育? なにそれ???
そう思ってる人、いっぱいいるでしょう。(^o^)
私も最初はその一人でした。
生涯教育と同じものだとか言われても、意味がさっぱりわかりません。

しばらくして「大雑把に言えば学校教育でない部分の教育はすべて社会教育の分野に入る」という説明を受けて、なんとなく、ようやくほんの少しわかったような気がしました。
いや、気がしただけというか……。
あれ? 公民館職員のこと書こうとしてたら、社会教育の話になってしまってる……。(^^;

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2004.09.10

大きな社会福祉法人と小さな無認可地域作業所

いろんな施設を回って、いろんな話を聞いて、だんだんと福祉の仕組みがわかってきました。
社会福祉法人というのは、国が定めた認可法人で、意外と大きな金額のお金が回ってきて運営している施設……。
無認可作業所というのは、都道府県単位で認められているだけで、国は認めてくれていない。だから無認可。補助金の額はとっても少ない……。

働いている彼らの給料が少ない理由、やっとわかりました。施設運営費自体がとんでもなく安いのだから、払う給料なんてロクにないわけだ……。

でも、それでも楽しそうなのは、法人施設の職員の方より、無認可施設の職員達の方でした。とにかくノビノビしていて。ある意味自棄っぱちというか。(^o^)

活動内容も明らかに無認可の方が魅力的に感じました。だって、すっごくいい加減なんだもん。私みたいないい加減な人間にはすっごく合ってるって感じ……。

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2004.09.09

押しかけボランティア

「古典的自閉症」の件、誰も教えてくれそうもないので、これは他の場所で質問することにして……話を元の青年学級ネタに戻します。(^^;

障害者青年学級のスタッフには、無認可作業所という障害者の通う施設の職員が大勢いました。
で、私はというとフリーの脚本家。時間の融通は思いっきりきくわけで……。(^o^)
で、そういう施設の職員とお友達になれた私、相手の都合なんて一切構わず、徹底的にあっちこっち、押しかけボランティアをさせて貰いました。

布巾をつくってるところあり、紙すきをやっているところあり、木工をやっているところあり、リサイクルあり、畑仕事あり、喫茶店もあればパン屋もあり、何をやるでもなくただ集まっているだけという感じのところもあり……。
どこを訪ねて行っても私にはすごく新鮮で、どの施設の施設長(ウチの市では障害児の母親であるケースがかなり多い)もパワフルで明るく楽しそうで……。

こんな経験、ふつうの障害児の親には絶対出来ない経験だと思うんです。自分の子どもの就労が近づいた頃、見学に行く程度が精一杯……。
だけど私は、息子がまだ幼稚園のうちから、片っ端から作業所回って、旅行があるといえば宿泊ボラにまで参加させて貰ったりもして、とにかくいろんな光景を見せて貰える機会を得たのでした。

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2004.09.05

マスコミ業界vs福祉業界

その頃の私は、まだまだバリバリの現役アニメ脚本家でした。たしか、レギュラーだけでも5本ぐらいはあったような……。
ついで、でもないけど“H業界”のシナリオも書き飛ばしていたような……。(^^;
そんな世界って、青年学級のスタッフたちにはとっても異質な業界に思えたようです。
でも私にしてみれば、テレビやら映画やらビデオの業界より福祉業界の方がよっぽど異質に思えたんですけどね。(^o^)
でもって、私には、マスコミ関係の業界なんかより、福祉業界の方がとっても素敵な業界に思えたんです。

あ、それは、今でも思ってる部分があります。
テレビとかでは、それこそ無数の番組がたれ流されてます。が、そのうちのどれだけが世の中のためになってるんでしょう? 電波の無駄使いが多いこと多いこと……。
それより、福祉関係者の方が、とってもミニコミ的な世界である場合ばかりではあるけれど、中途半端なテレビなんかよりよっぽど役に立つことやっている……。

Hビデオなんか何の役に立っているというんだあああぁぁぁ~~~。(^o^)

というわけで、知らず知らずにうちに、私は福祉という業界(?)に魅入られ始めていたようでして……。(^^;

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2004.09.04

本当に聖人君子???

聖人君子なんて大袈裟だよなあ、って思われるかも知れませんが……。
私にとって、福祉業界にいる人たちって、ほんと聖人君子のように思えたんです。
何でこんなにも家族でもないまったくの他人である障害者のことを親身になって真剣に考えてあげることができるんだろう?

私なんて、自閉だと言われた自分の子どものことを考えているだけで精一杯。
障害者青年学級にスタッフとして参加したのだって、学級に通う障害者のためなんかでは全然なく、自分と自分の子どものために何かをどのぐらいフィードバックできるかしか考えていませんでした。フィードバックというと響きがいいですけど、要は見返りを求めていただけで……。

彼ら青年学級のスタッフたちは──多くは20代でした──障害者にだけでなく、右も左もわからぬままの障害児の父親&脚本家という珍しい人種の私に対しても優しくしてくれました。
というか、問答無用に飲み屋に連行されてしまっただけと言うか……。(^^;

いろいろな話をしてみると、彼ら(おっと、彼女らもいました)は聖人君子なんかじゃ全然ないんですね。そりゃもう酒癖は悪いし、好いた惚れたの話ばっかしてるし、エロ話は好きだし……。(^o^)
そんな奴らが障害者の福祉作業所というところで指導員という仕事をやっている。
それも、メッチャクチャ安い給料で雇われて……。

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2004.09.03

スタッフたちとの出会い

青年学級でのハンディをもつ青年たち、そしてその母親たちとの出会いは貴重なものでしたけど……。
私にとって、実はそれ以上に貴重な出会いがありました。
それは、青年学級でスタッフをしていた人たちとの出会いでした。

ずっと物書きとして弱肉強食の世界にいた私にとって、彼らはそれまでに出会ったことのある人たちとは明らか別世界の人たちでした。
この人たちって聖人君子じゃないの、って思ってしまったほどでした。

スタッフにはいろいろ人がいました。上は50代から、下は18歳まで。
若い方のスタッフはほとんどが学生でしたが、それより上の人は、社会人あり主婦あり、仕事もさまざま。普通のサラリーマンあり、公務員あり、学校の先生あり、大学の教授あり、第一線のピアニストなんて方もいました。

そんな中で、私に一番の影響を与えた人たちは……。
市内の障害者福祉施設で指導員という仕事を職業としている面々でした。

それまでの私は、障害児が成長して障害者になったとき、 毎日通える施設が市内にあるなんてことも知りませんでした。

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2004.09.01

先輩お母さんといえば・・・

青年学級では活動の関係上、メンバーの保護者とも頻繁にやりとりを行います。
ゆえに、自閉症児の親歴20年以上選手たちからいろんな情報を得ることができたのも、貴重な経験でした。子どもへのものではなく、親として=自分にとってフィードバックできるいろんなものを得ることができました。

そういえば、私と同い年の自閉症の青年のお母さんから、こんなこと言われたことがあります。
「ウチの息子が、あなただったらよかったのに……」
で、私は答えました。
「まあ、こういうのは順番ですから。。。(^o^)」
そのお母さんは、私の自分の息子が自閉症だということも、それゆえ青年学級のスタッフになったこともご存じない方だったゆえ、思わず言った言葉だと思いますが、私には結構重かったです。

自分の子どもが障害児だったゆえ福祉作業所を設立したお母さんというのがかなりの人数いてくれたのもありがたいことでした。そういうお母さんからのアドバイスは、さすがに説得力がありましたねえ。(^^;

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2004.08.31

経験の大切さ

「習うより慣れろ」「百聞は一見に如かず」というのはまさに名言だと思います。
100冊を超える専門書の読破による知識なんて、100人を超える自閉症者との付き合いの足元にも及ばないことを、青年学級では、まさに身をもって体験させて頂きました。

ところが、本を何冊か読んだ程度の付け焼き刃の知識だけで自閉症のことをしたり顔で話す人たち、とっても多いです。特に自閉症児の保護者には多いんだよなあ。(^o^)
そういう人たちに会うと、ついつい苦笑してしまうわけで……。(^^;

ネット上の掲示板などによくあるケースなんですけど……。
診断を受けたばかりの新人お母さんの質問に「自閉症児は成長すれば多動はおさまりますよ~」「トイレもちゃんと自立するもんですよ~」なんてアドバイスしている先輩お母さんの書き込みなんか読むと、私は思わずギョッとしてしまいます。だってあてはまらない自閉症の人って大勢いるもん。。。
自分の子どものケースと、あとは数例しか知らないのに、自閉症のすべてを熟知しているかのように返答してしまってるんですよねえ。

ネットはつくづく恐いです。
新人お母さんは数年先輩お母さんのアドバイスを、頼って信じたい気持ちはわかりますけど、鵜呑みにしない方がいいです。子どもが同じタイプとは限りませんから。

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2004.08.30

フィードバック

青年学級には100人近くの自閉症者がいるわけです。そりゃもういろんな人がいました。医者じゃないので診断ではありませんが、自閉症か否かの判断はすぐにできるようになりました。100冊を超える自閉症関係の書物を既に読破した結果の基礎知識が少しだけ役にたちました。(^^;

きっちり高校まで卒業しているアスペルガーの人がいるかと思えば、身辺自立が身についていない重度の自閉の青年もいました。
喋れないのに、5ケタの割り算を暗算でやってしまう青年がいるかと思えば、何の問題もないような感じなのに、笑うことがどういうことかわからずに悩んでいる青年もいました。

自傷、他傷、パニック、そしてその応対なども否応なしに経験することになりました。
パンチを受けて、メガネのレンズは割れ、鼻血は吹き出し・・・。(^^;
でもそれ以上に、自分の息子にフィードバックできるいろんなものを体験させて貰えたことに価値がありました。

縦軸に自閉的傾向の重さ、横軸に知的障害の重さを置くと、グラフの中のいろんなところにみんなを置くことができて・・・。
そんなみんなと自分の長男…まだ3歳でほとんど何にもわからないのだけど…を比較すると、 客観的にいろんなことが見えてきて、いろんなことをフィードバックできました。

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2004.08.29

何がトクしたって・・・

普通の障害児の保護者の場合、自分の子ども以外の障害児に会う機会ってほとんどないわけです。ましてや、成人した障害者に会うことなどそれ以上にチャンスもなく……。
父親であれば、なおさらです。
で、保護者は専門家と称する先生たちのアドバイスや療育施設で出会ったごく少数の仲間の親たちからの情報、そして本やインターネットから仕入れる情報などに頼り、自分の子どもの将来を想像して悲観してたりする。

私も実際のところ、自分の息子以外の障害児にはほとんど会ったことのない奴でした。
そんな私が、障害者青年学級に参加するようになり、いきなり150人を超える成人の障害者と知り合いになれてしまったのです。
いろんなハンディをもつ人がいました。ダウン症もいれば脳性麻痺の車椅子の人もいる。てんかん系の人もいるし、交通事故による中途障害の人もいました。精神障害なんだろうなと思える人もいました。
さすがにアルコール中毒の方はいなかったようだけど……。(^o^)

もちろん、自閉症の人も重度から軽度まで大勢いました。
で、私にとって、何が一番得したことかというと……そういう成人した大勢の自閉症の人たちとの濃密(?)なつきあいの中から、息子へフィードバック出来るいろんなものを体験&会得できたことです。

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2004.08.28

はじめて垣間見る障害者福祉の世界

プレッシャーを感じたのは最初の数回だけでした。雰囲気に慣れて来ると、青年学級という場は私にとって、妙に心地よい環境だったりしたのです。

それまでの私は、障害者福祉の世界なんて覗いたこともない人間でした。
(あ、厳密にいうと、青年学級は公民館の社会教育事業なのですが・・・)
(スタッフとして参加している人達には福祉業界の人たちが多いわけで・・・)

それまでの私は、とにかく人間関係を面倒臭がる奴でした。
特に、脚本家のような人間をやってると、出会った相手が信用できるかできないかとか、敵の人間なのか味方の人間なのかとかばかりで、人に会うたびに神経すり減らしていたし……。

そんなストレスが人間関係の中に全然ないんです。
ハンディをもつ青年たちはすごく心があけっぴろげで、神経使う心理合戦なんて全然必要なし。
おまけに気さくなメンバーも多く、ひたすらアクティブで元気百倍アンバンマン!!

私はそれまで、障害者の世界というのは暗く悲しんでばかりいるだけの存在だと思っていたんです。それを青年学級は見事なぐらいに否定してくれました。

でもって感じたのです。
ウチの息子も将来、案外元気に楽しく暮らせるようになるのかも、と……。

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2004.08.26

変な口約束

その、ずっと壁に背中をつけたままでいた私の同志が話かけてきました。20代後半に見える男性です。

「あのぉ~、また、来ますよね?」

その口ぶりは「あなたがもう来ないと言ったら、私も来ないと言えるんだけどなあ」と言いたいかのように聞こえました。
私は、実は迷っていたのですけど、心の中を見透かされてしまったことが悔しくて……とは言っても、壁に背中をくっつけている姿でバレバレだったわけですが……つい「来るつもりだ」と答えてしまっていました。(^^;

「本当ですよね? 本当に来ますよね? じゃあ一緒に来ましょう。私一人っていうのは嫌ですよ。絶対約束ですよ」

もしこのとき、彼と口約束しなかったら、私はもしかしたら、2度と青年学級に顔を出していなかったかも知れません。そのぐらい、100人を超える障害者集団を目のあたりにして衝撃を受けていた私だったのです。

で、結果的に、私は彼に感謝することになったようで……。m(__)m

青年学級は月に2回の日曜日、午前中から夕方まで行われます。
それとは別に、毎週木曜の夜にスタッフミーティングというのもありました。
というわけで、私の月に6回以上も公民館に通う生活が始まったのです。

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2004.08.25

壁に背中をつけたまま・・・

とんでもないところに来てしまった、と思いつつ……。
せっかく来たのだからとばかりに、一生懸命観察だけはしていた私でした。
とにかく、障害者たちは元気でした。不思議なぐらいに無邪気に元気なのです。。。

初対面の私に対して、気さくに話しかけてくる人もいました。
「どこから来たの?」「名前は?」「年はいくつ?」「何に乗ってきたの?」
一度答えたにもかかわらず、同じ質問をくり返したてきたり……。
そんな彼が、自分の息子と同じ自閉症だと知ったのは、それからずいぶん経ってからのことでした。

新しいスタッフの紹介、というコーナーもあり、私は見学者ということで断るつもりだったのですが、無理やり引っ張り出されて挨拶をさせられました。
そして、私の素っ気ない自己紹介に対しても、障害をもつ青年たちは拍手をおくってくれたりもして……。

結局私は、最後の最後まで、壁に背中をつけたままの状態でした。
そして、私と同様にこの日がはじめてという見学者の一人が私に声をかけてきました。彼もまた、ずっと壁に背中をつけたままの私の同志でした。(^^;

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2004.08.24

障害者青年学級開級式

平成5年6月のことでした。
自閉の長男が幼稚園に入れて貰えた年。私が33歳のときのことです。

「あのー、市の広報を見たのですが……」
勇気を出して公民館に電話をかけると……もうすぐ開級式なので、百聞は一見に如かず、直接来てくれとのこと。
場所は、市内にある市の福祉施設。(ちなみに、私はそこが何をするための施設なのかも知りませんでした)
とりあえずの見学のつもりでした。

指定された日時に、私はその福祉施設に出向いて行きました。とりあえずは見学のつもりでした。
さして広くもないホールに100人を超える大人の障害者が集っていました。
彼らは、歌って踊って、元気いっぱいでした。

私はというと、とにかく愕然としてしまいました。
何にも出来ず、壁に背中をつけたまま、身動き出来ませんでした。

とんでもないところに来てしまった……。

それが私の偽らざる気持ちでした。。。

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2004.08.23

障害者青年学級とは・・・

「ハンディをもつ青年たちの学習機会のための日曜学校のようなもの」
・・・とでも言ったら、想像して頂けるでしょうか。
漠然としていて、多分どんなものだかわからないだろうなあ……。(^^;

私も、市の募集記事を読んで、何だかさっぱりわかりませんでした。
ただ、藁にもすがりたい状態の私にとって、とにかく魅惑的な募集記事でした。なんていうか、障害のこと、福祉のことが理解できるような場所かも知れない……。
公民館と言えば、市が直接運営している公共施設。そこでやっている事業なのだから、いい加減なものではないだろうし……。

ただ、なかなか踏ん切りがつかない私でした。
どうにも未知の世界に飛び込んで行くような感じで、最初の一歩が踏み出せず……。
で、先送りしていると、10日後の市報にまた同じ募集記事が載っていて……。
「こんな募集があるんだけどさ、行ってみようかな」
どうしても自分で決断出来ず、おそるおそる嫁さんに判断をゆだねてみると、答えはあっけらかんとしたもの。

「行きたければ行ってみればいいじゃない」

まあ、そりゃそうなんだけど……。(; ;)

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2004.08.22

転機

長男の自閉に確信をもった頃に、手塚プロダクションをクビになり……。
そのことを心配してくれる人があちこちにいてくださり、フリーになった途端にかえって増えたことは、そりゃもうとってもありがたいことでした。m(__)m

で、その仕事にうまくのめり込めたときはいいのです。もともと好きな物書き仕事ですから。熱中できると楽しくてたまらない……。

ところが、どうにも乗らない仕事のときがしんどくてしんどくて……。
なんせ、振り向けば自閉の息子がいるわけで……。
ちょっとしたことで精神状態がダッチロールを始めるし……。
親として、まだまだ藁にもすがりたい頃でした。
このままだと、息子が云々というより、自分自身がどんどん落ちて行き、どうにかなってしまいそうな感覚に襲われ……。
かといって、どうすることも出来ず、悶々とした毎日……。

そんな頃だったと思います。たしか長男が3歳の4月か5月頃のことです。
市の広報にとある募集記事が載っていました。

「公民館主催 町田市障害者青年学級スタッフ募集」

これって一体なんなんだろう???

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2004.08.20

父親も息子も障害者

そんなわけで、私には、ちゃんと意志疎通が出来る人を障害者だと思わないというか思えないというか、そんな傾向があるようです。
だから、たとえば脳性麻痺で動きも喋りもぎこちなかったりする人でも、意思疎通があたりまえに出来る人の場合はあんまり障害者扱いしない奴です。
だよね? (って、誰に話しかけてんだか。(^o^))

だけど、長男が自閉症だと知ったときは、やはり相当にショックでした。
なにがショックだったかといえば、意思疎通が出来ないってこと……。
一緒に将棋も出来ないし、キャッチボールも出来ない……。
そう思うと、とにかく涙が出そうになりました。
かといって、実際に涙は出てきてくれなかったんですけど。(^^;

自分は死ぬまで障害児の父親なんだと思うと、可哀相で可哀相で……。
って、その時は子どもが可哀相だと思ってたようなんですけど、実際は自分自身が可哀相なだけだったみたい……。(^^;

今では「父親も障害者だし息子も障害児だし、オセロゲームならさながら「はさまれた私も障害者!!」なんてしょーもないギャグ言ってる奴ですけど……。(^^;

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2004.08.18

父親のこと

私の父親は、実は身体障害者です。耳が全然聴こえません。
ただ、中途失聴なので、ちゃんと喋れるし、戦後まもなくの流行歌なんかを風呂で歌ってたりもしてました。聴こえないから音痴なのか、もともと音痴なのかまではわかりませんでしたが……。(^o^)

自分の方からは喋れるので、手話を覚える気もない人でした。
自分の方は一方的に喋り、こっちの言いたいことは筆記させる人でした。それがとにかく面倒で……。
あ、過去形で書いてますけど、今もしっかり生きてますです。(^^;

そんなわけで、私の場合、聴覚障害者の息子なのに、手話を覚えようともしませんでした。今思うと、早くに覚えておけばよかったなあ、って思うけど、あとのまつりかな。とにかく記憶力が……。(; ;)

で、私は、父親のことを障害者としてなんて全然意識してませんでした。
意志疎通は出来るし、将棋も指せるし、キャッチボールも出来たし……。
そもそもの仕事がトラックドライバーで、耳が聴こえなくても運転も出来たし。免許なんて、コツさえつかめば耳が聴こえなくったって更新出来たんだなあ、これが。(^^;

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2004.08.06

脚本家稼業が嫌になってしまったわけ

書きたいものの企画は通らず、書きたくもないような仕事ばかり回ってくるのが三流脚本家の宿命であり……。
正直言って、嫌々書いてる作品なんていうのも結構ありました。
特にオタク系のメカものなんていうのは、完璧に専門外。私には面白くもなんともないのだけれど。金はやっぱり欲しいんだよな。だからついつい引き受けてしまい……。(^^;

そんな私の息子が自閉症だったわけで……。
仕事に集中しようにも、背後でパニック三昧に泣きわめくわけで……。
で、そうなると、私が書いてる作品なんてどうでもいい絵空事ばかりで……。
つくづく脚本家っていう仕事が嫌になってしまいました。

それに加えて、長年のワープロ仕事がたたり、頸椎がおかしくなって右手麻痺状態になっていまい……。
医者には「モノ書きの仕事をやめなさい」って言われるし……。

ずっとやってて仕事がなくなって途方に暮れてる脚本家より、さっさと転職しちゃった方がいいかなあ、なんて思う日々……。
でも、他にやりたい仕事なんてあるはずもなく……。


                 自閉の長男と嫁さんは家に残し、、、
                 1週間ばかり次男とドライブ旅行に行ってきます。
                 ゆえにココ、暫しお休みしますです。m(__)m

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2004.08.05

脚本家と言ったところで・・・

脚本家といっても、他の人気商売同様にピンからキリまでいるわけでして……。
私はどのあたりにいたかというと、今振り返ってみると、そうだなあ、1.5流から2流の間ぐらいだったのかなあ。いや、2流と3流の間だったのかも……。(; ;)
売れっ子脚本家のような知名度はまったくありませんでした。
だからといって、単価は安かったけど仕事が切れるということもなく、並のサラリーマン程度かそれ以上にはコツコツ稼いでいました。

ただ、私の場合、脚本家としての図抜けた才能があったわけでは全然なく、自分で言うのもなんですけど、これまたコツコツと努力と苦労を積み重ねて、やっと脚本家としての仕事をこなしていたレベルの存在でした。ゆえに、神経性胃炎&十二指腸潰瘍とのバトルが、カントクやプロデューサーとのバトル以上にしんどかったっけ……。
先日亡くなった大学同期の野沢や一期下の三谷なんかに嫉妬しまくっていたっけ……。(^^;
ゴールデンタイムの帯ドラが書きたくって脚本家を目指したはずなのに、結局ゴールデンタイムにはアニメしかやったことなかったっけ……。(^o^)

そんな程度の奴なので、廃業も時間の問題なんだろうな、って、頭の片隅でいつも考えていた私でした。。。

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2004.08.04

障害児なんだウチの子、って言えた?

子どもに障害があることを会社に言ってないお父さん、結構いるみたいで……。
私は「隠してなんかいないでさっさと言ってしまった方がいい」なんて偉そうに言ってしまったりするんですけど……。
よく考えると、私自身、長男が2~3歳だった10数年前、契約していた手塚プロの社長に全然息子の話をしてなかったんですよね。
えーとそれは……なぜだったんだろう???

なんとなく長男が自閉症だとわかった頃、私は手塚プロの契約社員だったにもかかわらず、約半年間ほとんど仕事もせずに自閉症の本ばかり読み漁っていて、そのくせ給料もちゃっかり貰っていて……。
そんな状態だったから、言えなかっただけのような……。(^^;

でもって、長男の自閉症が確信した頃、6~7年在籍していた手塚プロダクションを晴れてクビになりました。まっ、そりゃそーだ。仕事をしない給料ドロボーをいつまでも雇ってても意味ねーし。(^o^)

そんなわけで、私の場合、完全フリーの脚本家としてのスタートと自閉症児の父親としてのスタートは、ほぼ一緒だったわけです。

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2004.08.03

長男が自閉症だということを直感的に察した頃

ウチの長男に自閉症という診断がおりたのは、たしか4歳ちょっと前だったように記憶しています。
ということは、それまでの期間=私が直感的に障害があると判断した1歳前からの約3年の間、長男には診断名がない状態の障害児だったわけです。
厳密に言えば、診断を受けるまでは障害児ではないわけなんですけど……。
でも、誰がどう見てもウチの長男は健常児には見えなかったわけで……。(^o^)v

その3年近くの間、ウチでは東京都でも思いっきり有名な病院に通っていたのですが、それでも、担当のお医者サンは何にも告知してくれなかったわけで……。

そんなわけで、虹父、いや、知る人ぞ知るレインボーおやじの名言(?)の中に次の一文があるわけです。
「医者の診断より親の判断」
…って、FEDHANを知らない方には何のことかわからんでしょうけど。。。

でもって、長男が自閉症だと直感的に察した頃、私はまだ手塚プロダクションの専属の契約社員として文芸の仕事をしておりまして……。
手塚治虫先生が亡くなったのが昭和64年(=平成元年)。ウチの長男が生まれたのが平成2年。
このへんの微妙な時間差のことを、実はよく覚えていないのですが……。(^^;

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2004.08.02

第4段階~受容・立ち直り・昇華の時期

受容・立ち直り・昇華か……。
そんな境地に達することが出来るのは、聖人君子のような親だけではないでしょうか。私みたいな奴には、間違っても無理だと思います。(^^;

息子の自閉症のことでは、それなりにショックも受けたし、落ち込みもしたし、悩みもしたように記憶しています。
でもほんと、性格ですかね、いつまでもクヨクヨし続けてられないんです。クヨクヨしていることも、なんていうか、飽きてしまうんですね。で、なんか面白いことないかなあ、と。
障害児の父親になってしまったからには、死ぬまで障害児の父親やってかなきゃならないんだから、障害児の父親として楽しめる方法はなにかなあ、と……。(^o^)

そういう意味では、第4段階もどき~プチ受容・プチ立ち直り・プチ昇華の時期であれば、息子の自閉症がわかって半年ぐらいの頃には、既に達してしまっていたような気がします。

で、結論。
人間の心理的反応の4段階は、説得力があるようで、自閉症の親には全然あてまらなかったりするものである、と。。。(^^;

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2004.08.01

第3段階~悲しみの時期

この「悲しみの時期」ってのも短かったような気がします。
せいぜい発作的に3日程度でしょうか。(^o^)

自閉症児の生まれてくる確率は、当時1万人に4~5人と言われていました。
ということは、ウチは2000人に1人の悲劇的な家庭なんだ……と悲しみにうちひしがれてみようと思ったりもしたんですけど、主人公になりきれない性格なんでしょうか、私の場合、3日も悲しみが続かなかったような。。。

悲しんでても何にも変わりませんし。
次を考えてしまう性格なんでしょうね。さてこれからどうしよう、と。。。

ふと思ったんですけど……。
人間の心理的反応の4段階というやつに自分を当てはめて考えてみようと思ったんですけど、第1段階から~第3段階まで、ことごとくマッチしてません。(^^;
で、なかなか第4段階にいけない理由もわかったような気がしました。
1~3が当てはまってもいないんだから、第4段階「受容・立ち直り・昇華の時期」という考え方自体も自分に当てはまるわけない、と。。。

ちょっと考察に失敗してしまったようだけど、まあいいや……。(^^;

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2004.07.31

第2段階~否定・拒否の時期

否定は…しようがなかったです。
当時は脚本家稼業が本職。自宅仕事がほとんどなので、いつも背後に長男がいるような状態。その長男がパニック的に号泣するので、仕事に集中などまったく出来ず……。
サラリーマンの父親だと、家にほとんどいないので気づかないってケースが多いんでしょうけど……。

拒否は…そりゃ出来るものならしたかったけど、これも特になかったような……。
しょうがないのかなあ、って感じで、私の場合、泣きたい気分なんだけど涙ってのは不思議なぐらい出ませんでした。

自閉がわかった頃から約半年、ほとんどなんにも仕事しなかったっけ。
その間、何をしていたかと言えば…図書館から自閉症絡みの本を借りて来ては読み漁ってました。当時の図書館にあってタイトルに自閉症と入っている本はおそらく全部読破してしまったと思います。(^^;

その結果、自閉症の机上の理論のような知識だけを頭の中にため込んでしまい……。
今でこそ、そういう頭でっかちの自閉症児の保護者を見るとつい笑ってしまったりするのですが、当時は自分自身がそのものだったようで……。(^^;

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2004.07.29

第1段階~ショック・衝撃の時期

自閉症児の親って、どういう感じでこの第1段階を迎えるんでしょうね。
自閉症の症状が一人一人違うように、親の反応も一人一人違うとは思うんですけど。
でも、その最大公約数的なものって、なんていうか、やっぱりあったりするような気がします。

私の場合は、「ガーン!!」なんていう衝撃を受けたとかの記憶はまったくありません。
漠然とした重たい虚脱感に頭の中も体もすべて支配されてしまったような、そんな感じだったように覚えています。
「あー、そうだよな、やっぱり…」っていう感じというか。。。

このへんが、出産直後に診断を受けてしまう染色体異常などをもつ子の保護者と違う部分なんだと思います。
知り合いのダウン症児の父親の場合は「後頭部をスコーン!! と思いきりブン殴られたようなショックを受けた」という表現をしてました。
自閉症の場合は、どうにも様子が変で、それで不安になって、それで相談等に出向き、さらにしばらく経ってから診断に至るケースが多いゆえ……どうしてもボディブローのような感じのショックになってしまうような。。。
子育てを母親に任せっきりで仕事に逃げてる父親の場合は「後頭部スコーン!!」ってタイプもいるようですが。。。(^o^)

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2004.07.28

0.98段階

どこで知識を仕入れてきたのか覚えていないのですが、いつしか私の頭の中に自閉症という単語が住み着くようになりました。
仕事の打ち合わせ帰りに、都内の書店でタイトルに自閉症という単語が入っている分厚い本を見つけて、衝動的に購入。それを読んだのが、はじめての自閉症体験でした。

ちなみに、今でもウチの施設の本棚に並んでいるその本は、「自閉症の謎を解きあかす」ウタ・フリス著(東京書籍)です。
あんまり初心者が読むような本ではなかったようで……。(^^;

ただ、難解ながらも読み進めていくうちに、息子の自閉症を確信していったように覚えています。

で、このあたりまでくると「人間の心理的反応の4段階」の中の「第1段階~ショック・衝撃の時期」に突入しているような気もするのですが……。
自閉症の場合、ダウン症等とは違ってきっちり告知されるわけでもなく、ボディブロー的に意識してゆくものなので、境目がどのあたりだったのか記憶にありません。

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2004.07.27

0.95段階

……というわけで、刻んでいます。(^^;

夜泣きがメチャクチャひどくなり……私は腹を立てて虐待もどき!!(?)みたいなこともありました。
車に乗ると寝るので、夜のドライブに出ることもしょっちゅうでした。
で、ようやく寝て、家に戻って来てエンジンを切ると、また泣きだしてしまうわけで……。
なので仕方なく、夜中じゅう車を運転してるときもありました。

NHKのみんなのうたを録画したものや、童謡のビデオがお気に入りで、同じものばかり観ていたのもこの頃だったように思います。
でもって、ある特定の曲を聞いたり、親が歌ったりすると、その曲が嫌いなのかパニック的に泣きだしたりして……。

ウチは夫婦でメガネをかけているのですが、このメガネが外せないことも困りました。
長男は親の顔からメガネがなくなるとパニックを起こすのです。そんなにメガネが好きなのかなあ、なんて思ったものです。

中途半端に開いたドアや扉も嫌いでした。必ず全開か完全に閉まった状態でないと納得しないのです。

そんな意味不明のこだわりが、日々増えていくという感じでして……。
今思うと、どれもこれも自閉症の典型的な症状っていうのがわかるのですが、当時は自閉症の知識などまったく持ってませんでしたし……。

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2004.07.25

0.9段階

長男が2歳のとき、次男が誕生しました。(誕生月が一緒なのです)
で、嫁さんが出産のために入院している最中……このときは長男のときとは異なり、帝王切開というわけではなかったので、数日だけでしたが……私は長男の面倒を一人でみていました。たぶん。
(たぶん、というのは、よく覚えていないからです)

ということは、長男の状態はまだそれほど大変ではなかった、ということです。大変だったら、ギブアップしていたはずです。
全然喋りもしませんでしたが、私自身、それほど深刻に心配がってもいなかったような気がします。おそらく。
(おそらく、というのは、よく覚えていないからです)

大変さが増してきたのは、2歳の誕生日から数ヶ月経ってから、のような気がします。
歩き出したのはいいけど、そのままダッシュする。
しかも、ダッシュのまま行きつけの公園までダッシュする。
決まった場所で決まった儀式(たとえば、決まったマンホールを上でジャンプするとか、決まった塀の横穴を覗き込むとか、決まった場所で道路を横断するとか、決まった場所のドブの溝に入るとか)を毎回繰り返しながら……。
特に困ったのが、車の前に飛び出すことです。ダッと飛び出しては車の前で立ち止まり、数字への興味なのでしょうか、ナンバープレートを見ている……。

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2004.07.23

0.8段階

生後10ヶ月目ぐらいから、ちょっと気になることを感じるようになりました。
目をやたら眩しそうにする。親がいなくても全然平気。表情が乏しく、人形みたいな顔をしている。時おり絶叫のような泣き方をする、等々。。。

大学の先輩の子なんかにも会って、女の子でペラペラ喋る子だったのですが、1歳ぐらいでもこんなにも成長の度合いが違うのか、と思って落胆したこともあったなあ。

それでも、1歳前には立って歩けるようになり……もっともハイハイをまったくしないままでしたが……「待てー!!」というと逃げ、「逃げろー!!」というと追いかけてくる、みたいな遊びも出来ていました。

定期検診では、回を重ねるごとに問題点が増えてゆき。。。
言葉を出ないことと指さしをまったくしないことは、きっちり指摘されました。
それでも、まさか障害児だとは思っていなかったような。。。

1歳半検診の後、聖マリアンナの言葉の教室を紹介されて、通うようになりました。
それでもに、まだ障害児だったと思ってなかったような。。。

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2004.07.22

0.5段階

生まれてから半年は、ほんと、なんの問題もなかったような気がしています。
だって、ほとんど何も覚えていないんでもん。(^^;
ふつうに飲むし、ふつうに食べ始めたし、ふつうに寝るし、ふつうにウンチもオシッコもしてたし。病気もなければ、アトピーもない。超健康優良児……。
生まれた直後は、そりゃサルみたいでしたが、しばらくすると、見た目が私の息子じゃないぐらいにカッコよくなり、みんなに褒められました。ジャニーズ系だって。

当時、私は、当然脚本家業が本業でして、その関係でテレビ関係のあっちこっちに顔を出していて……。
息子の写真を持ち歩いている親バカでして……。
「この赤ん坊はゃいける!!」とか言われて、立ち上がる頃になったら某オムツの包装の写真に、と依頼されたりもして、鼻高々でしたっけ。

当然、自閉症にジャニーズ系が多いとか、立ち上がった後に超多動がやってくるなんて想像すらしてなかったわけで……。

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2004.07.21

0段階

かなり記憶が曖昧なんですけど……。

ウチの長男は1992年の秋に生まれました。3800gぐらいだったかな。
夜中にウトウトしていたら、嫁サンがアッ!! と言うので、おっとF1(当時は亡きアイルトンセナが全盛の頃だったような)を観損なうところを教えてくれたのかと思いきや、全然違い、破水したとのことで……。
夜中に車に市民病院に連れて行き……。
でも、日曜の夜だったので、先生もおらず……。
薬かなんかで出産を翌日回しにされて……。
帝王切開にて長男はこの世に出てきました。

ウチの息子は逆子でして……。
後で聞いた話によると、母子ともに死ぬか生きるかの瀬戸際だったとのこと。
でも、生まれた後はなんの問題もなく、出産の頃の話は笑い話になっていました。

家に帰ってきたのは1ヶ月後ぐらいだったのかな。
帝王切開だと手術になるので、いろいろなお金が戻ってきて、なんか得した気分になった私でした。(^^;

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2004.07.20

人間の心理的反応の前段階

自閉症の親の場合、心理的反応の4段階、の前段階ってのもあるわけです。
それは何かというと、自分の子どもに障害があるなんて思ってもみなかった時代……。

ダウン症などの場合は、生まれてすぐに障害を告知されることになりので、前段階はほんの数日しかありません。
でも、自閉症の場合は違います。早くても1歳頃までの1年間。最近は軽度の場合でも2~3歳で診断されるケースが多いので、それまでは間は平和な前段階の期間があるわけです。
で、その頃は、程度の差こそあれ、五体満足に生まれた子どもはふつうに成長し、ふつうに学校に行き、ふつうに大人になっていくと誰しもが思っていたと思うんです。
おそらくは自閉症なんて言葉も知らないままに……。

その頃……0段階とでも言えばいいのでしょうか……そんな長男が赤ん坊だった頃のことって、私の場合、実はあまりよく覚えていません。
ときどき、なんか変だよなあなんて感じることもありましたが、あまり深く考えることもせず、なんとなく日々を当たり前に過ごしていたような感じがします。

でも、そのあたりのことから、なんとか思い起こしてってみようかな、と思います。

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2004.07.19

人間の心理的反応の4段階+@

実際、私の場合、第1段階から第3段階までは、息子が自閉症とわかってから半年ぐらいの間に一気に通り過ぎてしまったような気がしています。

だからと言って、すんなり第4段階に進めるわけでもなく、第3段階と第4段階の間を行ったり来たりしているような感じとでも言うのでしょうか。
なんていうか、3.7段階あたりのところまでは進めるのだけど、それ以上の段階にはどうしても進めないとでもいうのか……。
息子を受容できているわけでもなし、落ち込むこともしょっちゅうだし……。

振り返ってみると、自分自身、結構頑張ってきたようには思っています。
売れない脚本家稼業なんて限りなくプータローと一緒。時間もたっぷりあったゆえ、息子のためになればとばかりにいろんなことをしてきました。
障害者青年学級のスタッフに参加して自閉症を含めた百人以上の障害者と一緒に遊び回るわ、障害児の放課後施設を立ち上げるわ、障害児の父親の会も立ち上げるわ、自閉症の小説まで書いてしまうわ etc.etc.....。

そんなわけで、かなりくたびれてしまっている今日この頃。
いつまでも倦怠期でいたくはないんですけどね。(^^;

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人間の心理的反応の4段階

「とある学者サンが癌や障害の告知、身内の死など、受け入れ難い状況に直面した時に見られる人間の心理的な反応について4段階に分類している…」という話を、障害児関係の本の執筆している専門家の多くの方々があちこちで引用しています。

第1段階~ショック・衝撃の時期
第2段階~否定・拒否の時期
第3段階~悲しみの時期
第4段階~受容・立ち直り・昇華の時期

これ、結構説得力がある分類だと私は感じています。
で、私の場合、この4段階に加え、障害児の親のケースには3.5段階目があるような気がしています。

第3.5段階~ひたすら頑張らずにはいられない時期

そして、この3.5段階目にいる親が実は一番多いのでは、と思うのです。
4段階目とイコールなのでは? という意見もあるのですが……。
でも、自分としては3段階目は越えてるいる気がするけど、4段階目に進んでいるなんてとてもじゃないけど言えない。そう感じてる人、多くありません?

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2004.07.18

気がつけば自閉症児の親歴10年選手

なんか、あっという間に自閉の息子も中二。身長は170センチ。体重は60キロを超え、足のサイズは27センチ。父親である私自身の体格はまだなんとか息子を上回っていますが、母親はもう完璧に見下されいて、思春期絡みの息子にまるで奴隷のように扱われてしまう始末……。

このあたりの頃にさしかかった自閉症児の親って、もうかなり倦怠期モード。
早期療育と言って専門家を探して必死に駆け回って頑張るのは、せいぜい子どもが小学校低学年まで。それを過ぎると、自分の子どもはいくら頑張ってもどの程度のレベルまでしか伸びないってのがなんとなくわかってしまい、なーんかいろんなことが面倒臭くなってしまう。
まあ、このへんは20歳で生まれた子が自閉だった場合と、40歳で生まれた子が自閉症だった場合では、親の気力体力が全然違うので、一概には言えないのですが。
(私はその中間あたりってことになる)

でもって、ふつうは頑張る関心事が、子どもの個人的な成長ではなく、卒後の問題。作業所をどうするかとかグループホームをどうするか、みたいな方向に移って行くもんです。
(なんにもしない親は卒業ぎりぎりまでなんにもしないですけどね)

で、ときどきふと懐かしくなるのです。
なんであの頃は自分の子どものためにあれだけ一生懸命になって動き回れたんだろう、って……。

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