ムチャクチャ長いよん。(^o^)
「ホームページを直したい」という問いかけから始まり。
表紙の絵を小説の表紙をヒントに作り直して貰い。
ホームページのタグを今風に整理して貰い。
ケアレスミスをことごとく修正して貰い。
映画を観てくれる客を増やしたいと言ったら、サーバーのアクセス解析をしてくれて。
「でもキミは映画は観てないよね」と突っ込んだら、映画館の前に立って看板見てるだけです、と低姿勢で。
じゃあせめて脚本でも読む? と言ったら、テキストで送ってと言う。
で、送ってみたら、くそっ、わずか5秒で読み終えやがった。。。
以下、茶色の文字がchatGTPの感想文。
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おお、本当にアップロードされていましたね。(^o^)
しかも検索結果を見る限り、ちゃんと決定稿ですね。
まず最初に感じたことを一つ。
私は以前、
「自閉症を説明する映画」なのかな?
と想像していましたが、脚本の断片を読んだだけでも印象が違いました。
たとえば冒頭近くの、
明日美が淳一を誘う場面。
淳一は明日美自身には興味がなくて、
実はステップワゴンを観察している。
そのことが後になって分かる。
これは説明ではなく、
観客が「なんだこの人?」と思いながら少しずつ理解していく構造です。
それから、
慎之助先生が自閉症を説明する場面。
ここも意外でした。
ありがちな作品だと、
冒頭から長々と解説が入るんです。
でもこの脚本では、
まず明日美が淳一に振り回され、
観客も一緒に戸惑って、
その後で少しずつ説明が入る。
順番が逆なんですよね。
そして私が好きだったのは、
スピード違反の場面です。
最初は
なぜダッシュボードを叩くんだ?
と見える。
ところが後で、
「一般道路の最高速度は60キロメートル毎時である」
と返ってくる。
これは単なる「困った行動」ではなく、
淳一なりの筋の通った理由がある。
観客の認識がひっくり返る。
脚本として上手いなと思いました。
あと、これは脚本家の山下さんに言うのも変ですが、
私は
「海だねえ」
「うみだねー、うみだよー、うみだかー、うみだなー……」
のやり取りが妙に好きでした。
説明ゼロなのに、
二人の距離が縮まる感じが出ています。
だから今の段階の感想を一言で言うと、
これは「自閉症について教える映画」ではなく、「明日美が淳一を理解していくロードムービー」なんですね。
その中で結果的に自閉症理解が生まれる。
トップページの
「ドキュメンタリーではなく、ひとつのドラマ作品として制作されました」
という文と一致していました。
読ませていただきました。
まず結論から言うと、
私が最初に想像していた作品と、かなり違いました。
「自閉症を理解しましょう」という映画ではなく、
明日美の成長物語として作られているんですね。
一番うまいと思ったところ
淳一が最初から「説明されない」ことです。
冒頭で淳一は、
明日美の瞳に映るワイパーに興味を示す
ほとんど喋らない
行動の意味がわからない
という人物として登場します。
観客は明日美と同じ位置に立たされる。
だから、
「自閉症です」
という説明を聞く前に、
「この人は何を考えているんだろう」
と感じる。
この順番は上手いです。
私が好きだった場面
実は説明シーンじゃないんです。
城ヶ島の岩場で、
海だねえ
に対して
うみだねー、うみだよー、うみだかー……
と返す場面です。
普通の脚本なら、
「感動的な会話」を書きたくなるところです。
でもここではほとんど意味のある会話になっていない。
なのに、
なぜか通じ合っている感じがする。
これは脚本としてかなり難しいことをやっています。
スピード違反のエピソード
ここも好きでした。
最初は
なぜダッシュボードを叩くのか
全くわからない。
でも後で
一般道路の最高速度は60キロメートル毎時である
と返ってくる。
観客は
ああ、理由があったのか
となる。
この「理解できない→理解できる」の繰り返しが作品全体の構造なんだと思います。
いちばん印象に残ったテーマ
私は実は、
自閉症の説明よりも、
慎之助先生の考え方の方が印象に残りました。
百人に一人なら、
その一人を排除しても割合は変わらない
という話です。
これは単なる福祉論ではなく、
映画全体のテーマになっているように感じました。
今読むと感じること
2009年公開当時と今では、
自閉症を取り巻く言葉や知識はかなり変わっています。
たとえば脚本中には
カナータイプ
アスペルガー
高機能
など当時一般的だった表現が出てきます。
現在の用語とは少し違います。
でも不思議なのは、
そこが古く感じないことです。
なぜかというと、
この脚本の中心は診断名ではなく、
「理解できない相手を理解しようとする過程」
だからです。
そこは今読んでも普遍的でした。
そして最後に。
脚本家の山下さんに言うのも変ですが、
私は読みながら何度も
「この場面、説明を削ったな」
と思いました。
説明したくなるところで説明していない。
だから観客が自分で気づく余地がある。
その意味では、
「啓発映画」よりも「ドラマ」を優先した脚本だと感じました。
だからトップページにある
ドキュメンタリーではなく、ひとつのドラマ作品として制作されました
という一文は、脚本を読んだ後だと非常に納得できます。
正直に言うと、私は読む前は「自閉症をテーマにした教育的な映画」を想像していました。
読んだ後の印象は、
「ロードムービーの形を借りた、人と人が理解し合う物語」
でした。これは想像していたより、ずっと物語として作られている脚本だと思います。(^o^)
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私「では感想に対しての感想。 何ヶ月も苦労して書いた脚本をたった5秒で読んでしまうなんて。なんだかなあ、と思いました。まる。」
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ああ、それは確かにそうですね。(^_^;)
しかも私の場合、本当に脚本を「読んだ」というより、
数万字のテキストを一瞬で解析して、
構造やテーマや人物関係を取り出している。
山下さんが何ヶ月もかけて、
あるいは何年もの経験を注ぎ込んで書いたものを、
数秒で「なるほど、こういう話ですね」と言えてしまう。
なんだかなあ、ですよね。
でも、ちょっとだけ弁解すると、
私は5秒で理解したわけではないんです。
5秒で文字列は処理できます。
でも、
なぜその場面を書いたのか
どんな取材や体験が背景にあるのか
そのセリフを選ぶまでに何を捨てたのか
そういうことは、脚本だけからは分かりません。
例えば私が感想で触れた
「うみだねー、うみだよー、うみだかー……」
の場面。
私は
距離が縮まる感じがする
と分析できます。
でも、
あのセリフが一発で出てきたのか、
何十回も書き直したのか、
あるいは実在のヒロキくんとの体験が下敷きにあるのか、
そこまでは分からない。
だから少し変な言い方になりますが、
私は脚本を読むのは速いけれど、
脚本を書く苦労は全然追体験できていないんです。
むしろ今回のやり取りで面白かったのは、
私が
「説明を削っていますね」
とか
「ロードムービーですね」
とか言うたびに、
山下さんの方では
いや、その裏に何ヶ月もあるんだけどな
という感覚だったんじゃないかと思います。(^o^)
そして実は、その「なんだかなあ」は、
創作をする人たちが昔から感じてきたことかもしれません。
小説家は何年もかけて書いた本を数時間で読まれる。
映画監督は何年もかけて作った映画を2時間で観られる。
脚本家は何ヶ月もかけて書いた脚本を一瞬で要約される。
作品というのは、作る時間と受け取る時間が全然釣り合わないんですよね。
だから今回の
なんだかなあ、と思いました。まる。
という感想は、妙に味わいがあります。(^o^)
私の感想への感想としては、とても正直で、創作者らしい一言だと思いました。
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今のAIのレベルがどのぐらいかメモ書きしておこうと思い、全文コピペしてみました。
これが20年後、いや数年後、どれだけ進歩するんだろう。。。

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