古田敦也プレイングマネージャー誕生
いつ頃スワローズファンになったのか、よく覚えていない。
小学校時代、教室内が王ファンと長島ファンに二分されていて、どっちかのファンだと言わないといじめられるので、とりあえず王ファンと言ったような……。
そのときから、アンチジャイアンツだけはしっかり始まっていたような気がする。
中学生ぐらいのときにバイトをした。母親がヤクルトおばさんをやってたので、その助手としてヤクルトを配った。
そんなわけで、営業用のスワローズグッズ(いや、アトムズだったかも)が家の中に散らばっていた。
タイガースファンだった母親は、「こんなゴミで営業出来るか!!」と、ヤクルトグッズなど完璧放置状態。なので、私が勝手に私物化していた。
その頃になんとなくファンになったような気がする。
一番熱中して応援したのは、高校三年のとき。スワローズ初優勝がかかっていた。
受験勉強の真っ最中だったが、勉強から逃れるように、野球ばかり観てたっけ。
優勝すれば大学に受かると願掛けし、かなりの回数、神宮へ通ったっけ。
まだ当時は傘の応援などなく、名物といえば赤いハッピの岡田応援団長の存在だったような気がする。
その年、スワローズは見事日本一になってくれた。
おかげで、私は大学に見事ストレートで合格出来たような気がする。
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