« (1+2+3+4+5+6+7+8+9)+1 | トップページ | 休みたいと言いつつ・・・ »

2006.10.05

後悔・・・

さて。
私は「電柱にのぼってはいけない」と聞いても、屋根や木や崖にのぼってはいけないとは思いつかない子どもであった。
屋根は高い。これは知っていた。
木も高い。あ、いや、低い木もあるけど。でも少なくとも、高い木は高い。これも知っていた。
崖も高い。これも木と同じく、高い崖は高い。これも、わかってたはず。
それでもなぜか、「電柱も、屋根も、高い木も、高い崖も、どれも『高いところ』である」とは考えなかったし、「高いところにのぼってはいけないらしい」とは考えなかった。理解する力がなかったわけではない。
ひとから言われていたら、「ほんとだね!」と納得したと思う。
ただ、思いつかなかっただけ。考えてみなかったのだ。
並べてみよう、くらべてみようなんて、考えなかったのだもの。
どうも、「あれはあれ、これはこれ」で完結してしまい、ヨコの連想がはたらきにくいアタマをしていたらしい。

ニキ・リンコさん著『俺ルール! 自閉は急に止まれない』P69~71 より


この文章、もっと早く読みたかったです。
幼児期のニキ・リンコさんですらこんな感じだったとすれば。。。
15歳でも3歳9ヶ月レベルだったヒロキがどんな感じだったか。。。

ヒロキは、街を歩くときの交通ルール、結構かなりちゃんと入っていたんです。
道を歩いているときには車が来るから危険だということはちゃんと知っていた。

でも、線路に入ると電車が来て危険だということは知らなかった。
ちゃんと教えておけば、納得してくれたと思う。たぶん。。。

« (1+2+3+4+5+6+7+8+9)+1 | トップページ | 休みたいと言いつつ・・・ »

コメント

初めまして。
何となくブログを検索していた時に立ち寄って、読ませて頂きました。
唐突ですが、去年友人を事故で亡くしました。そんなに近い間柄ではなかったので、普段は思い出す事もなく会えば一緒に遊ぶ‥そんな関係だったのに、亡くなってからは頻繁に彼のことを思い出します。誰かを亡くすというのは、心の中にその人が強く生きるようになるってことなのかなぁと考えたりします。
近くない関係でもそうなのに、それがもし娘や主人だったらと時々考えます。想像もつきませんが、どうであれ生きていくのだろうなと思っています。
お腹にいる子を失ったことはあります。その時から命の終わりは初めから決まっているのだと考えるようになりました。だとしたら、短い命をわかった上で私のお腹に宿ってくれた子は、私に何を伝えようとしてくれていたんだろうと考えます。友人の命が消える事で私に何かを伝えようとしているなら、それは何だろうと考えます。
今新しい命がお腹に宿っていますが、私たちを選んで来てくれた事にはどんな意味があるのだろうかと考えます。無事に産まれるかも、何かアレルギーや障害を持って産まれるかも分かりませんが、なるべきようになるのだと思って運に身を任せる覚悟です。
どんな出来事もどんな結果も意味があるのだとしたら、私はそれに答えるために生きているのだろうかと思います。
こんな事は多くの方から耳がタコになるくらい聞かされたのかもしれませんが‥コメントを書かずにはいられませんでした。
映画の完成を応援しています。
長々と失礼いたしました。

自分の生きている意味、って、最近は面倒なので、自分で“余生”とか言ってあんまり考えないようにしています。(^^;
考えなくても、自分の死ぬ瞬間には悟れることだろうし。。。

生きている意味を問われても答えられないけど。。。
一番大切な宝物はと問われたら「ヒロキとの15年間の思い出」と胸を張って答えられます。(^^;

ヒロキくんはわかっていたと思いますよ。わかっていなければもっと悲惨な事になっていたのではないでしょうか?
ただ、距離感がわからなかったのかもしれません。

自分が感じる安全な距離感と実際の距離感との微妙な感覚が違ってしまったんでしょうねと私は思います。(例えば斜視などでも遠近感が図れなかったりする事もありますし)

ヒロキ君は自分では電車との距離があると思ったかもしれなかったのに、そうじゃなくてきっと「あれ?」と思ったかもしれません。

線路と線路の間にね、なぜかロープが張られてるんです。
で、ヨッコラショとまたがないと反対側の線路に行けないんです。
で、ロープの手前だと、電車と接触してしまうんです。
あのロープがなければなあ、って、上から見降ろして(事故現場は陸橋から見降ろせる場所なので)思ってしまうのです。

初めまして。
私はアスペルガー症候群の女です。
夫もアスペルガー症候群で、二歳の息子は発達障害の疑いあり、だそうです。

自閉症で検索をかけたら、偶然このページにたどり着きました。
そして、あれ?この人どこかで見たことがあるぞ?と思いました。
義母が「自閉症の特集してたから撮っといた」と渡してくれたビデオの中で拝見した方でした。

あの番組は私にとってとても衝撃が大きかったです。
あるお母さんが『息子があと十年しても社会生活が送れないときは、一緒に逝きます』と言われたのを聞いて、自分が殺すと言われたような気持ちになりましたし・・・

レインボーおやじさんとヒロキくんのエピソードも見ました。
ちらっと話を聞いただけで、ヒロキくんにはまだ町を一人で歩く能力がなかったんだ、とわかりました。
でもこれは、同じ障害を持っているから気付いたことなのかもしれません。

ニキ・リンコさんの書かれていることは全くその通りで、知能指数の高い私もそういったことがなかなか理解できません。
私の場合、注意力が幼児なみに低いそうで、大人になった今でも他のことに気をとられていると、車がすぐ近くまで来ていても気付かなかったりします。
人と話をしながら歩いていると、縁石やガードレールにぶつかります。
自閉症の場合、交通ルールがわかっていても安全ではないということだと思います。

あのビデオを見てから、「私みたいな健常者と自閉症者のボーダーにいるような人間が、もっと自分の行動と心の中をオープンにしていかないといけないのかな・・・」と日々考えています。
知能に障害がなくても、同じ一続きの認知障害を持っているのですから、自閉症の人たちを死なせないために、何かの役に立つのではと思うのです。
自閉症者の役に立ちそうなホームページでも作ろうかな、と思案中です。

映画、完成したら見に行きたいです。
がんばってください。

>ちらっと話を聞いただけで、ヒロキくんにはまだ町を一人で歩く能力がなかったんだ、とわかりました。

うーん、完璧じゃなかったけど、ヒロキはじゅうぶん町を歩くだけぐらいの能力は持っていたと思っています。
バランスの悪さが能力不足だとは、私はあんまり思ってません。だとしたら、世の中には一人で散歩出来ない人だらけになってしまいます。運動神経の衰えた老人の散歩も言語道断になってしまいます。
それよりなにより、運転する能力を持ってない人までが免許取れてて堂々と危険な運転してる世の中。すべのの人が危険過ぎて散歩なんか出来ません。
でも、現実はみんな散歩してる……。

結局ヒロキは“神とやら”が決めた順番に沿ってしまっただけだと思ってます。
私は“神とやら”の順番の決め方が不当だと思ってますけど。

こんにちは。

能力、という言葉を使ったのが良くなかったのかもしれません。
ちょっと泣きたい気分です。どう説明したらわかってもらえるのか。なかなか言葉が見つかりません。
でも、健常者の方が誤解されたままだと、自閉症者が事故に遭う確率は高いままだと思います。
自閉症者はバランスが悪いだけ、というのは外側から見た姿です。

自閉症者が町を歩くのは、老人が歩くのより危険が伴います。
例えば、散歩中に飛行機を見つけたとします。
健常者の方であれば、どんなに飛行機が好きな方でも、線路や踏み切りの音には気がつくと思います。
でも、自閉症者は気付きません。
周囲のすべてが消えてしまいます。
世界が飛行機だけになってしまうのです。
そうなると、車が近づいてきても、クラクションを鳴らされても気付きません。
私たちはそういう世界に住んでいます。

私が町を歩くときは、自動車、信号、横断歩道等だけに注意を向けるよう集中して歩きます。
散歩を楽しむ、ということは事故の危険を伴います。
ヒロキくんに、お散歩中ずっと危険にだけ目を向けている集中力があったか、ということです。
能力というのは失礼な言い方だったかもしれません。。。

もし、自閉症者に楽しみとして散歩をさせたいと思うなら、派手な赤い服を着せ、『この子は周囲の危険に気付かないことがあります。どうか、そばにいる方は助けてあげてください』と背中に大きく書いて欲しいのです。
冗談ではありません。
私自身が散歩を楽しむために町を歩くとしたら、そうしなければ事故に遭うだろう、と感じながら日々道路を歩いているからです。

ヒロキくんを失ったレインボーおやじさんにこんなことを言って、失礼にならないかと不安です・・・。
決して責めているわけではありません。
でも、ヒロキくんのような事故に遭う自閉症者の方を増やさないために、伝えなくては、と思ったのです。
うまく言葉にできなくてすみません。

>ヒロキくんを失ったレインボーおやじさんにこんなことを言って、失礼にならないかと不安です・・・。決して責めているわけではありません。

あはは、そういうのは私の場合、全然大丈夫です。パソコン通信時代から徹底的に鍛えあげられてるので、気にしてくださらなくて大丈夫です。(^o^)v

>もし、自閉症者に楽しみとして散歩をさせたいと思うなら、派手な赤い服を着せ、『この子は周囲の危険に気付かないことがあります。どうか、そばにいる方は助けてあげてください』と背中に大きく書いて欲しいのです。

ちなみに、ヒロキは事故のときにもそれをしてました。赤い服よりもっと派手。工事のオッチャンがしているキラキラ光る蛍光のタスキまでして、体の前後に「障がいを持ってます」のオリジナルの黄色い名札も提げて。
でも、相手が電車なので、そんなモンまったく役に立たなかったわけで……。(; ;)

ああ、そうだったんですか。。。
それは悲しいですね。。。
近くに誰もいなかったんですね↓↓

うちの息子も道路でちょろちょろと危なっかしいので、いつも赤か黄色の服を着せています。
そうすると、自動車は大げさに迂回して通ってくれるし、不思議と道行く人も息子の方を見て行きます。
だけど電車が相手だと。。。
息子は踏切が大好きなので、一年前からルールを教えていて、おもちゃでシュミレーションする勢いなのですが、、、多分線路の向こうに大好きな猫がいたら行っちゃうと思います(>_<)
十年後に行かないでくれるかは不明です。
踏み切りや線路沿いは事故が多いだけに、もう少し工夫して欲しいな、と思います。
線路沿いは全部柵を張ってほしいし、踏み切りは絶対に渡れないシャッター式とかに変えて欲しいです。

息子が大きくなって一人で散歩に行きたいと言ったら・・・十メートル後ろをついて行きます。
息子以外が見えなくなって、私の方が事故に遭っちゃうかもしれませんけどね(^^;
ちなみに私、川沿いで凧あげてて、世界が凧だけになって川に落ちたことがあります。
浅かったので助かりましたが、深かったら溺れて死んでましたね。周囲に誰もいなかったので。
やっぱり発達障害者は基本的に事故に遭いやすいんだと思います。
あまり一人にしないでやって下さい、ってのが本音です。(私も含め。)

なんかダラダラとすみません。
自閉症がテーマの映画に期待するところが大きいから、と思ってやってください^^

>息子が大きくなって一人で散歩に行きたいと言ったら・・・十メートル後ろをついて行きます。

あはは、甘いです。(^o^)
子どもの十メートル後ろをついて行くことがどれだけ大変か、これからわかりますから。
親を振り切るために、坂道をいきなりダッシュで登られた日にゃ、心臓がバクバクでもうどうにもなりません。
そのへんしっかりちゃっかり計算して、ダッシュポイント考えやがるんだよなあ。(^o^)
頑張るつもりであれば、今から体を思いっきり鍛えておいてください。(^o^)

見つかったときは・・・お菓子の袋を掲げて、「おやつ忘れたよ~」じゃだめですか?
甘いですか(笑?
私ならそれで止まっちゃいますけど・・・
こんな風に書いてても、いつもとっさに相手を疑えないんで(^^;
いろんな子がいるんでしょうね。

裏庭さん。
横からごめんなさいね。


裏庭さんに、そんなおつもりがないのは十分承知ですが、
この場で、これ以上この話は広げないで欲しいのです。


どんなに言葉を尽くしても、「こうすれば事故を防げたのに・・・」と言ってるように聞こえてしまうから。


ごめんなさいね。

ダージリンさん>
失礼ですが。
「どうすれば事故を防げたのか」という風にレインボーおやじさんがお考えでないなら、古傷に触れないで欲しいというようにお考えなら、映画など作らないでほしいのです。
ヒロキくんとの思い出を胸にしまって、それでいいじゃないですか。
はっきり言って、本心は自閉症者について本人と専門家以外に語ってほしくはありません。
「アスペルガー 死の団欒」という題名で映画が放映されそうになったのをご存知ですか?
ただでさえ最近はTV、雑誌等が面白がって、殺人犯が発達障害者であったと取り上げています。
メディアの影響はとても大きいのです。
それが私たち発達障害者をどれほど生き辛くさせるか。
そういったものには敏感にならざるを得ないのです。

「映画を作る」そう言われているからこそ、私はレインボーおやじさんと話したい、と思いました。
それがなければ、私は息子さんを失って後悔されている方のブログにあえて書き込みなどしないし、ここまでしつこくコメントを残すことはしません。
映画を作る上で、何万人といる私たち発達障害者のことを意識して欲しかったのです。
自閉症者のための映画でないなら、映画など作らないでください。これが私の気持ちです。

ほんとは人の作る映画のことなどには無関心でいたいです。
でも、今私たち家族が抱える生きづらさがそうさせてはくれないんです。。。


>>ダージリンさん
コメント、ありがとうございます。
ダージリンさんのお気持ち、私には充分伝わってきていますので。(^-^)

>>裏庭さん
ごめんなさい。「どうすれば事故を防げたのか」を私は特に深く考える気はありません。後悔はしているけど、長男の事故のことを古傷とはまったく思っていません。
後悔よりも……大好きな散歩の最中に事故にあってしまった。それは半ば長男の運命であり、寿命であったとも思いの方が強いです。
だったら後悔なんかするな!! と言われそうですけど、やっぱり後悔もするのです。
この微妙なニュアンスは、おそらく裏庭さんには理解出来ないだろうなと思います。他の方にもどれだけわかって貰えるか、あんまり自信ありません。ある種、子どもを失ってみないとわからない部分かなと思っています。

私は「ぼくはうみがみたくなりました」という作品を映画にしたいのであって、長男の思い出と作品の内容は特に関係はありません。
もともと映画化は、元映画監督志望だった一人の脚本家の“夢”だったんです。
それに共感してくださる方には応援して欲しいし、そうでない方がいても、それはそれで仕方ないことだと思っています。

映画は絶対につくります。
それが、自閉症児の父親としての私の出来る最後の仕事だからです。

レインボーおやじさんの気持ち、とてもよくわかりました。
それが、聞きたかったことです。
私にはブログからそういったことを読み取ることができず、こういった形で関わることしかできませんでした。
障害ゆえのことですが、申し訳なさでいっぱいです。

これが最後です。
はっきり言わせてください。
どうか自閉症をただの物語として描かないでください。

私がレインボーおやじさんを知ったきっかけは、前にも書いたとおりTVの番組です。
そのビデオを渡されたとき、お義母さんにこう言われました。
「全然違うわ。あんたらのは性格やろ」
ショックでした。ちょうど私と夫、息子が診断を受け、そのことを両親に伝え、それなりに納得してもらっていた矢先のできごとでした。
それまで私たちの行動(コミュニケーション障害、こだわり行動等)から非難されることが絶えませんでした。
それが私たちの努力で少し改善された、と思っていたのに、あの番組のせいでふりだしに戻ってしまったのです。

以前『君が教えてくれたこと』というドラマが放映されたときは、自閉症=高機能というイメージが広がり、低機能児を持つ母親が親から「この子はただの知能障害じゃないの?自閉症って言うのはともさかりえみたいなのを言うんでしょ」と言われたという話を聞きます。
また、『ひかるとともに』が放映されたときは、まだ自分が自閉症と知る前だったので、「自閉症ってちょっと閉じこもりがちな知能障害者なんだな~」と誤解しました。

低機能を描けば、高機能が誤解され、高機能を描けば低機能が誤解される。そういう現状があります。
同じ発達障害なのに、足を引っ張りあっているんです。
自閉症というテーマは愛だの恋だのとは違います。
なるべく主観的であってほしくないのです。
もし、どちらか片方を描くにしても、発達障害全体を説明する時間、ドラマであれば大河ドラマのように終わり10分を解説にするであるとか、映画であれば初めか終わりにそういうカットを入れるとか、または会場に来た人にビラを配るであるとか。そういったことをしていただきたいのです。
レインボーおやじさんは低機能の少年を描かれる、とのことですが、それによって影響を受ける発達障害者のことも考えていただきたいのです。

私の夫は高機能自閉症であることを職場に公表しています。
映画を見た人が夫に「君のは性格じゃないの?」と言わないような配慮をしてほしいのです。
それは私たちだけではありません。私と夫はもう大人ですから、ちょっと泣き寝入りするだけで済みますが、世の中には普通学校に通う多くの軽度発達障害児がいます。重度の発達障害を描くのであれば、その子たちが傷つくことのないように、お願いします。

とにかく私は「ぼくうみ」の映画をつくります。
その主人公の浅野淳一クンは、ニキ・リンコさん言うところの狭義の自閉症の青年です。
必然的に、ニキ・リンコさん言うところの広義の自閉症を描くのは難しいと思っています。
でも、それでも今まで存在するどの作品よりも、“自閉症”を伝えることの出来る作品になるんじゃないかなって思っています。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 後悔・・・:

« (1+2+3+4+5+6+7+8+9)+1 | トップページ | 休みたいと言いつつ・・・ »