予告編

My Books

アマゾン



  • アマゾンでは古本数冊…。


  • ずーっと売ってくれてます。m(__)m

(^o^)v

« 2006年11月 | トップページ | 2007年1月 »

2006.12.31

2006年のおわりに。。。(16)

29日~30日と、年度末恒例の温泉一泊の家族旅行に行ってきました。
ヒロキが生まれた直後ぐらいから行くようになったので、13~4年連続です。
去年までは、偏食のヒロキが食べられないともったいないので、出来るだけメニューが豊富なバイキング料理の宿ばかりを選んでました。
今年は、ヒロキの代わりがロッキーなので、犬も泊まれる宿選びです。(^o^)

2006年、今日でおしまいです。
「おしまいでーす。おわりでーす。またあした」
ヒロキだったらそう言っただろうな……。
でも、明日はもう2006年じゃありません。
出来ることなら、2006年=平成18年、終わって欲しくないです。
明日からも2006年13月、14月、15月……って、ずっと終わらければいいのに。
そうすれば、いつまでもヒロキの生きていた最後の年が続くのに……。

『ぼくうみ』は、ヒロキのためにも、ちゃんとした作品にしたいと思っていました。
そのためには、ちゃんとお金を集めて、ちゃんとした製作プロダクションに依頼して、ちゃんとしたスタッフ体制を組まなければと思っていました。
でも、今はちょっと違います。『ぼくうみ』のことを理解して手伝ってくれる人達と手作りで良質な作品に仕上げたいと思ってます。

「光とともに…」までは結構嫉妬してたのに、「僕の生きる道」は観ていても全然嫉妬しないで済んだのは、それだけ自信があったってことなんだと思ってます。
『ぼくうみ』の方が圧倒的に良質の作品になるという……。
『ぼくうみ』は、私がヒロキのために書いた、私にしか描けない作品だから……。

どこかのタイミングで「制作準備実行委員会」から“準備”の文字を取り、「制作実行委員会」に昇格させなきゃとも思ってます。
(“制作”と“製作”の文字、どっちの漢字使った方がいいんだろう???)
来年前半は製作費協力のお願いに動き回るとして、後半からは映画でお願いする役者のオーディションなどもはじめるつもりです。
でもって、2008年度には春には撮影に入り、秋には完成させる予定でいます。

日本一のヒロキでした。
中味は3歳9ヶ月だったけど、見た目だけはジャニーズなんかにゃ負けやしない圧倒的にカッコいい奴でした。
私のケータイの中は、待ち受け画面もあれもこれもヒロキの写真ばっかです。
アイドル好きの女子中学生のケータイみたいに……。(^o^)

ブログにコメントくれたみなさん、メールやmixiで応援してくれたみなさん、いろいろありがとうございました。
まだまだ元気になれたってわけでも全然ないので、これからもよろしくです。m(__)m

2006.12.30

2006年のおわりに。。。(15)

なるべく映画の具体的なことを考えないようにしていたこの3ヶ月程でした。
ブログでもほとんど触れないようにしていました。
だからといって、すべてが止まっていたわけではなく、いろいろなことが少しずつはそれなりに進んでいました。

夏頃、あるプロダクションが製作協力してくれる約束をしたのですが……。
そのプロダクション自体の現在進行形である映画企画が思うように進んでいないらしく、私の企画に協力する余裕もないみたいなので、とりあえず製作協力をこちらから遠慮させて頂きました。
その代わり、というわけでもないのですけど、自閉症児の父親でDVD製作関係の仕事をしている方と縁が出来まして、とにかくいろいろと細かいところで協力して頂き、メセナ提出用の具体的な予算書づくりまでして頂いたうえに、映画製作では私が監督をつもりでいるのですけど、そんな私の監督補佐役をしてもいいという方まで紹介して貰いました。
ちなみに、その方の息子さんも「ヒロキ」という名前です。(^o^)v

お金集めの方でも、FEDHAN(障害児教育フォーラム)で10年来の知り合いだったある方が企業を回っての製作費依頼のお願いを一緒にして回ってくれるとおっしゃってくださっていて……。
とにかく営業下手の私にとっての心強い味方になってくださっています。

なにはともあれ「ぼくうみ」企画、年明けからは本格的に動き出すつもりでいます。

2006.12.29

2006年のおわりに。。。(14)

これまでにも何回かブログで触れてきましたが、企業メセナ協議会の助成認定も、12/18日付で無事パスしました。
この助成認定、今後「ぼくうみ」への企業からの映画制作費支援のための営業のするにあたって、強い味方になってくれると思ってます。

これまで、企業に対して「寄付をお願いします」と言っても、実はそれは寄付扱いにならなかったのです。
「ぼくうみ」への制作費支援は、投資にはなりません。儲けを期待されるような、売れればそれでよし、みたいな作品を私はつくりたいわけではないので……。
なので、映画制作への寄付は、結局企業側としては、使途不明金扱いにしなければならなかったわけで……。
ところが、メセナの助成認定を受けたことで、「ぼくうみ」への制作費支援が、税制上、社会福祉法人や宗教法人への寄付と同等に扱われるわけです。
企業は「ぼくうみ」という映画への支援という社会貢献をしつつ、なおかつ寄付金控除も受けられるのです。まさに一石二鳥!! v(^o^)v

と、まあ、勝手なこと言ってるわけですが……。(^^;

昨日は9回目の月命日でした。
中学の先生がいらしてくれたり、つくしんぼの職員が来てくれたり……。
最近は、ロッカーなどでは「15」か「28」の番号の場所を選ぶようになってます。

あ、映画の方のHPにメセナの記事を追加するにあたり、ちょっとデザインをマイナーチェンジしてみました。m(__)m

2006.12.28

2006年のおわりに。。。(13)

エールを送るのは、辛いことを知っているから。
これは経験してない人には絶対にわからないことだから。

かっこよく「エールを送る」なんて言ってるけど、本当は羨ましいのです。
あの障害児の子育ての辛さを、私がいつしか醍醐味のように感じていたしんどさを、私はもう味わえないのだから……。

まだまだヒロキと一緒にやりたかったことがいっぱいあったのに。
それが、もう出来ない。
この辛さもまた、経験しないとわからないことだと思います。
でも、無理してわかって貰おうとは思いません。
みんな、頑張って障害児を育ててください。
だから、エールを送るんです。

もし「映画をつくる」って言い出してなかったら……。
私は何もすることがなく、何をする気にもなれず、かといって死に急ぐことも出来ず、廃人のようにヒロキとの15年間の思い出にすがりながら、それでも時は過ぎ、ただただ自分を誤魔化しつつ年明けを迎えてたような気がします。

「映画をつくる」って宣言してよかったです。
今さらながら、自分で自分を無茶苦茶だよなあとも思います。(^o^)

今回の年度末の連載(?)は、実は何が書きたかったかというと、「映画制作を全然諦めていない」ということを言いたくて、そのためにはヒロキの事故のことから思い起こして書かなければと思って、それで徒然書いてきた次第です。

あと3日だ……。(^^;

2006.12.27

2006年のおわりに。。。(12)

私はもともとかなりヘソ曲がりな性格です。
学生時代から「他人が出来ることは他人に任せればよく、わざわざ自分がやる必要はない」とか偉そうに思って生きてる奴でした。
脚本家時代から「自分にしか書けない作品」というものを常に意識していました。
だけど、なんとか脚本家になれたものの、私が書いて映像化した作品のなかに「自分にしか書けない作品」って、実は一本もありませんでした。どれもこれも私でなくても誰が書いても大して変わらない作品ばかりでした。

特にヒロキが自閉症とわかった以降は、私が脚本家としての受注している仕事なんて私でなくても他の誰かでも書けるものばかりと思うようになり……。
そんなヘボな仕事より、自分にしか出来ない仕事はヒロキのために何かをすること、と思うようになり……。
それが、私にとってのつくしんぼの立ち上げでした。
脚本家業捨てて福祉業界に足を突っ込んだ自分に、後悔は特にありませんでした。
(二足のわらじをはくだけの才能もないので仕方なかった部分もありますけど…)

ただ今は、なんていうか、つくしんぼの維持継続は、私じゃなくても出来る仕事だよなあって思っています。
(つくしんぼ立ち上げは、間違いなく私のオリジナルの仕事でしたけど。(^o^)v )

“自閉症の啓発”程度の作品づくりは、実は私でない他の誰かでも出来ます。
だからわざわざ私がやる必要もない。「僕が生きる道」だって充分やってくれましたし。
それより、私は私にしか出来ない“なにか”をしなければならない……。
それは、“障害児の親OBとして障害児を育てている親たちにエールを送ること”のような気がするのです。

2006.12.26

2006年のおわりに。。。(11)

最近は、こんな感じに考えている自分がいます。

「障害児を育てている親たちにエールを送るため」

自閉症児に限らず、です。なんかカッコ良過ぎるような気もするけど、実際そんな感じの気持ちが一番強い今日この頃です。

もちろん、今後の企業への制作費のお願い営業のときは、「自閉症という障害のことを広く伝えるため」を第一にアピールしなきゃならないのかなあとは思ってます。
でも、腹の中の本音はどうにも違うような……。(^^;

自閉症を知らない人に自閉症を伝えるなんて、実はそんなに簡単に出来ることじゃないです。
「レインマン」にせよ「光とともに…」にせよ、今月終わったばかりの「僕の生きる道にせよ」、製作前の段階での企画書にはきっと“自閉症という障害の啓発”という文字があったと思うのです。
でも、本当にそれが出来たのか? と考えると、首を傾げてしまう部分がどうしてもあり……。
そんなことが一本の作品で出来ようものなら、とっくに自閉症なんて世間に認知されていると思うのです。

『ぼくうみ』の場合は、おそらくこれらの作品よりも地味な展開をしていくことになります。
そんな私の作品が“自閉症の啓発”とかを主張したところで、ねえ。(^o^)

それより『ぼくうみ』は、これまでにあったどの自閉関係の作品よりも……。
「自閉症の子を育てている親たちにエールを送ることの出来る作品」になると思うのです。
でもって、そういう意識を持ってつくった方が、絶対いい作品になると思うのです。

2006.12.25

2006年のおわりに。。。(10)

映画をつくる理由として、いろんな言葉が脳裏をよぎりました。

「とにかくつくりたいから」
「自閉症という障害のことを広く伝えるため」
「ヒロキのことを忘れて欲しくないから」
「自分にとってのヒロキへのレクイエム」
「ヒロキのために出来る自分の最後の仕事だから」
「ヒロキのもっていた自閉症という障害に感謝をこめて」

誰かに質問されて、あとどんなこと答えただろう???
なんていうか、どう答えても、自分ではとってつけた屁理屈のように思えてしまい、じゃあなんのために映画をつくるのかって再度考えてみるのだけれど、やっぱりよくわからず……。

営業用には、やっぱり「自閉症という障害のことを広く伝えるため」ということになるでしょう。
けど、自分のなかでは、本当にそうなのか?
本当にそんな仰々しいこと思っているのか?

どうにもなんかちょっと違うのです。

(ヒロキの好きなケンタッキーを食べただけのクリスマスイブでした)

2006.12.24

2006年のおわりに。。。(9)

製作費のことを含め、映画の具体的な動きことはなるべく考えないかわりに、「なぜ映画をつくるのか?」だけを考えるようにしていました。

ヒロキが生きているときからつくりたいと思っていた映画です。
それが、ヒロキがいなくなって、映画をつくる目的というか理由というか、そのへんが自分のなかで曖昧になってしまいました。
「とにかくつくりたい!!」という気持ちばかりが先行するばかりで……。
かといって「なぜ映画をつくるのか?」を質問されてもうまく答えられない状況がずっと続いていました。
新聞等の取材のときにもNHKのロケのときにも訊かれたのですが、どう答えてよいかわからず、質問されるたびに違う返答をしていたような……。(^^;

(ヒロキがいないウチには、クリスマスイブなんて関係ありません。。。)

2006.12.23

2006年のおわりに。。。(8)

毎日新聞に記事として掲載して貰ったり、NHKニュース9で特集を組んで貰ったり……。
なによりも「ぼくうみ」の脚本を仕上げるために必死だったし……。
応援メールの返信もまったく追いついていなかったっけ……。
とにかく、ヒロキの事故以後は忙しさに追いまくられるような日々がずっと続いていました。

ずっとヒロキの世話一辺倒だった嫁サンは、教育関係のバイトを始め……。
ゲームとマンガばかりだった次男は、高校受験に向けてのガリ勉に変貌し……。
長男ヒロキの代わりに三男ロッキーがやって来て……。
私だけがなんにも変わらず……。

8月後半ぐらいから、それまで悲しさと闘っていればよかっただけの状態から、悲しさが空虚感に変わってきて、精神的に辛くなってきました。
加えて、毎年恒例の夏バテと、どうやって映画製作を進めていいのかさっぱりわからないというストレスもあり、それこそ十何年かぶりに胃潰瘍にもなってしまい、ますます精神的にまいってきてしまい……。(; ;)

いろんな人からのアドバイスもあり、映画製作のことを考えず、とにかく精神的に休もうと決めました。

2006.12.22

2006年のおわりに。。。(7)

3月    70000円
4月  1870000円
5月  2227000円
6月  2093000円
7月  1310000円
8月   619220円
9月   531500円
10月   404760円
11月   175000円
12月   113000円(途中)

上記の数字は、映画製作へのカンパ金の月ごとの集計です。
今日までの合計額が 9,413,480円。
8月から半減。さらに11月からも半減してますけど、これは仕方ないです。
ヒロキの事故の日からどんどん月日が経ってしまっているわけですし……。

でも、ほんと、ありがたいなあって思っています。m(__)m

テレビを観れば、毎日のように悲惨なニュースばかりです。
どれを観ても、その時は見ているのも辛いようなニュースだと思うんですけど、3ヶ月も経つと結構忘れてしまっていたりする。
悲しいニュースが溢れ過ぎているから……。
これじゃヒロキのことも忘れられてしまうよなあ、って思ってしまい……。(; ;)

2006.12.21

2006年のおわりに。。。(6)

3月  5244  10900
4月  29886  63737
5月  39950  103612
6月  18225  33501
7月  25207  51055
8月  19122  33386
9月  16657  26861
10月 15869  27000
11月 12855  22457
12月  8577  13378 (12/20まで)
     (のべ)   (トータル)

上記の数字は、当ブログのアクセス解析状況です。
ヒロキの事故の日までjとそれからしばらくは、「自閉症の小説!?」というタイトルで書いていて、1日に多くてもせいぜい100アクセス程度だったmyブログでした。

ちなみに、5/28日には15147(のべ)、53521(トータル)というとんでもないアクセス数を記録しています。
これは知る人ぞ知る、2ちゃんねるでのお祭り記念日のものです。
いやはや恐るべし2ちゃんねる。(^o^)

最近はどんどんアクセス数が減ってきています。
ヒロキがいなくなって10ヶ月も経つからなあ……。
私が書かなかったせいもあるんですけど……。(^^;

2006.12.20

2006年のおわりに。。。(5)

それから後の記憶が“空白”です。
私はそれから3日間ぐらい寝てなかったみたいで……。

でも、ブログにはヒロキのことをちゃんと書き込んでいるし、葬儀に関してのほとんどのことも私が決めたみたいで……。
とにかく冷静でいなければ、と振る舞っていたような気がします。

周囲のみんなは、腫れ物にさわるように接してくれました。
普段なら、そういうふうにされるのって好きじゃないんですけど、このときばかりはほんと嬉しかたっし、助かりました。
まあ、それも全員というわけではなく、なかには腫れ物を切り捨てるような態度を取る人もして、そういう相手とは縁を切りましたが……。(-_-;)

喪に服した方がいい、とか、静かにおとなしくしているべきだ、とか助言してくれる人もいましたが、一般論でしかものを言わない人の意見は無視させて貰いました。
私は、自転車みたいな性格の人間です。漕いで前に進んでいないと倒れてしまいます。止まってなんかいたら、それこそ頭が変になってしまいそうで……。

あんまり記憶にないけど、映画製作をブログ上に発表してしまったのも、とにかく自分の心のバランスを取るためだったような気がしています。
4月5日かあ。ヒロキの事故の日からまだ9日目。考えてみれば無謀だし、思いっきりムチャクチャなことしてるよなあ。> 自分 (^^;

2006.12.19

2006年のおわりに。。。(4)

それから私は家に戻り、パソコンに向かい、毎日新聞記者からRKB毎日放送に転職した神戸さんにぼくうみ映画製作のことでメールを打ってる最中、電話が鳴り……。
私はその瞬間、電話に出ようと立ち上がり、でも嫁さんが先に電話に出て、私はついでだからとトイレのドアを開けたときに後ろから嫁さんに引っ張られてトイレに入り損ない……。

電車に接触……。
病院に搬送……。
心肺停止状態……。

嫁さんが電話の向こうの言葉を復唱するかたちで私に伝えて……。

うちは二世帯で、次男は1階のじいちゃんばあちゃんのところでテレビを見ていて……。
私と嫁さんは「ヒロキが電車に轢かれた」と声をかけ、車で出かけて……。
でも、道が混んでいて、市民病院まで時間がかかり……。
私は嫁さんに「覚悟しよう。覚悟しよう」と繰り返していて……。

病院では、長い時間廊下のベンチで待たされて……。
その間、とにかく連絡しなければと思う人に、携帯で連絡して……。
遺体の確認は、嫁さんはだめで、私一人で……。
頭蓋骨の一部が割れているだけで、意外に綺麗なままのヒロキを確認して……。

そのあとは、私たちは警察署に行かされ、細かいことを訊かれ……。
「自閉症ならば自殺では?」とか質問してくるアホな刑事にブチ切れそうになった私を嫁さんが止めたりもして……。

時間が遅く、市民病院には担当医がいないということで、死亡診断書のために別の病院に移され、そこで注文もしていない棺桶に入れられ……。
「ご遺体はどこへ?」とか質問されても、そんなことは決めているはずもなく……。

とにかくつくしんぼへ運んで貰うことにして、つくしんぼに戻ると、大勢の人が集まって来てくれていて……。

2006.12.18

2006年のおわりに。。。(3)

3月28日のことは、今でもフラッシュバックのように蘇ってきます。

午前中は、つくし野センターのホールを借りて、毎年恒例のつくしんぼの年度末のお楽しみ会。一年間の活動の風景をまとめたビデオを見て、ゲームなどをして……。

お昼は成瀬の和風のファミレスに移動し、お食事会。ヒロキは好物のポテトフライを追加して頬張っていたっけ。あれがヒロキにとって最後の食事……。

朝から行きたがっていた散歩には午後3時頃に母親に見送られて出発……。

私は、何を買いに行ったのかまでは忘れたけど、バイクでつきみ野のPCショップに行き、でも目的の品物がなくて、駐輪場に戻ってバイクに跨がったのが5時頃。
雨が降りそうだし、暗くなる前にヒロキを探しに行った方がいいかな、と思って、携帯の安心ナビで検索すると、町田街道の三塚のセブンイレブンの前あたり。また遠くまで歩いて行きやがって、とその瞬間に思ったっけ。

そのセブンイレブンは、事故現場から数100メートルのあたり。
あのとき、探しに行けば、ぐるりと踏切を回って線路に入っているはずなので、見つけられれば間に合ったはず、とあとになって後悔……。
なんであのとき探しに向かわなかったんだろう?
覚えていない……。

2006.12.17

2006年のおわりに。。。(2)

ヒロキの事故の直後、私は結構冷静でした。
いや、冷静でいられるようにと必死になって足掻きました。
自分をなんとかしなければ。でないと、気が狂ってしまうんじゃないか、と。

生まれて来てから30年。自分のために生きてきて、いろんなこと楽しんで来たんだから、もういいや。これからはヒロキために生きてみても……。
そう思って、脚本家になるためだけに頑張ってやってきて、実際に脚本家になれたにもかかわらず、脚本家人生を捨てて方向転換した先が福祉の世界。それまでまったく知らない世界だったので、ほんと楽しかったです。
弱肉強食の業界から一転、助け合いの業界へ。それまでの持病だった慢性の胃炎も胃潰瘍も、面白いぐらいに呆気なく消散しました。

でもそれは、ヒロキがいたからこそ楽しかったわけで……。
何をやっても、いろいろしんどくても、きっとヒロキにフィードバックされることだと思うから。先行投資ならぬ先行奉仕とギャグ飛ばしてやってきたわけで……。

今はまだ、これからどうやって生きてっていいか、よくわかりません。
どうしていいのかわからないので、とりあえずこれまでのパターンを繰り返しています。

2006.12.16

2006年のおわりに。。。(1)

今年も、あと2週間で終わってしまいます。
3月までの記憶がほとんど何もないので、実質9ヶ月の1年でした。
早く過ぎた1年だったのかゆっくり過ぎた1年だったのか、よくわかりません。
2006年。平成18年。私にとって、死ぬまで忘れられない年になってしまいました。

中学校の卒業式も終わり、4月からは養護学校の高等部。ヒロキが次のステップに進むにあたり、私も次のステップの楽しみを模索していました。
自立支援法も動きだし、世の中はこれからも甘くはなかったけど、これからはますます厳しくなりそう。ヒロキが卒業する頃には、受け入れてくれる施設は障害児の人数計算上、町田にはありません。
でも、それはウチだけの問題ではないわけで……。

つくしんぼはNPOを取得して新たに動きやすくしたし、さて具体的に何が出来るか???
養護には新たに父親の会も仕掛けたし……。
映画は、ヒロキがぼくうみ主人公“淳一”の年齢である19歳までにはつくりたいと考えているので、リミットまであと4年……。
ヒロキに関係するしんどさを楽しみに代えていくのが、脚本家人生を捨てた時点から私の生き方になっていました。

それが、3/28を境に、すべてが変わってしまいました。

2006.12.14

映画のハナシ。。。

気がつけば、一ヶ月以上、ブログで「ぼくうみ」の映画製作の話題に触れてませんでした。
ある意味、意図的に触れなかった部分もあります。
その間、いろんなことを考えました。

そんなあれやこれやを書こうと思いますが……。

ノロウィルス君に撤収して貰ってからにしますです。(^^;
(トイレで生活してるような気分…)

2006.12.11

もうひとつのおやじの会

町田には、もうひとつ障害児のおやじの会があります。
町田養護学校で今年からスタートしている「町養父親の会」です。

ヒロキも今年から高一で養護。飲んでるばかりでなく、ちゃんとした勉強会の出来るおやじの会をつくりたくて、入学以前から校長とも連絡を取り合って企画し、入学式の日に配るビラまで用意していた会です。
ところが、入学前にヒロキが事故でいなくなってしまい……。
私も養護に行くことがなくなってしまい……。
会はそのまま立ち消えかなと思っていました。

それを、町田おやじの会の方の会員でもあるダメおやじさん(ハンドル名)が、引き継いでくれて、会を結成し、今年は2回の学習会を行ないました。
先週の土曜に2回目の学習会と忘年会がありました。
でも私はFEDHANの忘年会に行ってしまいました。(^^;

で、その会の席で、ダメおやじさん、会の名前を提案されたそうです。
で、その会の名前のことで、私の了解を得るために、つくしんぼにまで来てくれました。
会の名前を「大輝会」にしたいとのことでした。
私はもちろん、OKさせて頂きました。
さすがに“ヒロキ会”でなく“タイキ会”とでも読んだ方がいいとは言いましたが。(^^;
ヒロキの通えなかった養護学校。4月からバスで行けることを楽しみにしていた学校の父親の会の名に、大輝の文字を使って貰える……。
なんか嬉しいです。(; ;)

2006.12.10

町田おやじの会の忘年会

昨夜は町田おやじの会の忘年会でした。
規約にある通り、単に障害児の父親達が集まって飲む会を、と思って立ち上げ、早6年……。
特に個人的に呼びかけるわけでもなく、HP上の掲示板と参加確認用CGIで連絡を取り合う程度なのに、今回は新人おやじも含めて18人も集まりました。ちなみに、総会員数を誰も把握していないみたい。おやじの会の本を出版しているか否かとは関係なく、思いっきりいい加減な会です。(^o^)

先日、湘南おやじの会の方々とお会いしてきました。
立ち上げてからまだ日の浅い会みたいなのですが、とっても勉強熱心なおやじ達で……。ただ飲んでるだけのウチらとは大違い。(^o^)
で、実は驚いたことがありました。
代表サン、お子さんを亡くされた方だったのです。
これから続く子供たちのために今を変えていかなければと、それに生まれてきてくれたお子さんへの感謝も込めて……とのこと。
私は、ヒロキがいなくなって、おやじの会もOBになっちゃうんだよなあ、って淋しい思いでいたのに……。
なんか、すごいなあと思うとともに、私も町田おやじの会にずっといていいんだって思えてきて……。

ちなみ昨日の忘年会、一次会の店を出たあたりから記憶がありません。(^^;
二次会行ったのかなあ??? > じぶん
朝起きても二日酔いどころか、まだ酔ってる状態。最低……。
ちゃんと家まで辿り着いているし、財布も携帯もしっかりカバンに入っていたので、よかったです。(^^;

2006.12.04

FEDHAN忘年会

やきいも大会を途中で抜け出し、土曜の夜はFEDHAN(障害児教育フォーラム)の忘年会でした。
場所は新宿。いつもの店……。

ニフティのパソコン通信時代からのフォーラム、実はまだ細々と続いているんです。
でも、今年度3月まででついに完全終了。
私など、このフォーラムを覗きたいがためにパソコンを買った奴なので、なんとも淋しい限りです。
っていうか、パソコン通信って何? っていう人の方が今はもう多いのかも。
ま、仕方ないか……。(; ;)

私の参加した頃はまだインターネットなんて普及し始めたばかりの頃だったし、個人が掲示板を持つなんてシステムもまだなかったし……。
パソコンを使って自閉症に関する情報を集めるためには、FEDHANに参加するしか方法がありませんでした。
で、私にはこの場所が、自閉症児の親としてのスタートでもありました。
ちなみに、レインボーおやじというハンドル名は、そのときから使ってます。(^^;

今は誰でも検索すればネット上でたくさんの情報を収集することが出来るけど、FEDHANのように心の通った障害&福祉情報の宝庫みたいな場所はもうどこにもありません。匿名で誹謗中傷し合うようなとこばっかだし……。

ニフティがもう少し頭よければ、mixi的なかたちでフォーラムを残すことも出来たはずなんですけどねえ……。

2006.12.03

やきいも大会

昨日はつくしんぼの庭でやきいも大会でした。
11年間、毎年欠かさず続けてきているイベントです。
当初は、つくしんぼのメンバーでのやいきもでしたけど、ここ数年は障害児とか健常児とかに関係なく、地域の子どもたちの親が集まりである「にこにこくらぶ」というグループが主催しています。
やきいもの他にも、子どもたちの参加できる“お店”と名づけられたイベントがいくつも用意されていて、今年も数えたわけじゃないけど、100人を超える親子が参加していた感じです。
社会福祉協議会からの助成金を利用してのイベントなので、参加費はもちろん、やきいもや豚汁の料金もすべて無料です。

50kgのサツマイモを一気に焼きます。
そのため、相当量の木材と落ち葉を燃すことになります。
ゆえに、相当量の煙が発生します。

いちおう消防署には届けてあって、やきいもぐらいの落ち葉焚きであれば、ダイオキシンが出るわけでもなく、「どんどんやってください」なんて言って貰えるぐらいで、なんの問題もないんですけど……。
それでも今の時代は、庭とかでゴミ燃すのはヒンシュクの時代です。
そのせいか、今年もやはり、苦情を言いに来る人がいました。

今の子どもたちがやきいも出来る機会や場所なんて、まずないんだし、毎日やってるわけでなく年に1回だけなのだから、僅かの時間、許してくれてもいいと思うんですけどね。
心が狭いっていうかなんていうか……。
ま、いちおう「スミマセン」とか謝りはするんですけど、全然心が籠もってないわけで……。(^^;

いつもと変わらぬやきいもの光景でしたけど……。
やきいも食べるのなんか好きじゃないけど、それでもみんなに混ざっていつも砂場で遊んでいたヒロキの姿だけが、今年はありませんでした。。。
それがやっぱり、淋しいです。。。

2006.12.02

アニメ脚本のこと

7年ぶりに書かせて貰った脚本のこと、何人かの方から質問を受けました。
特に隠すようなことでもないので、紹介させて貰っときます。m(__)m

引き受けていたのは、清水義範さん原作の「やっとかめ探偵団」というシリーズ作品。
名古屋の7人の侍ならぬ7人のばあちゃん達が活躍する物語です。

全編が名古屋弁でにゃあ。これに苦労したんだぎゃあ。

ネット上に名古屋弁変換サイトがいくつかあるので、そこに東京弁入れて無理やり変換してみたりもしたんですけど、どれもこれも完成度低くて全然役にたたず……。(; ;)

オンエアーされるテレビ局は未定とのこと。
なんでも、これから広告会社が名古屋のテレビ局と交渉して決めるらしいのです。
当初は1月スタートと聞いていたのですが、どうやら4月スタートになるみたいです。
私は単なる物書き業しかやってきてないので、企画進行の段取りの詳しいことって全然知らず、そんなアバウトな感じでアニメ製作しちゃっていいのかなあ、なんて思ったりもしてしまうんですが……。(^o^)

1本目に任された原作が、バラバラ殺人事件の話でして……。
長男のことがあった直後だっていうのに……。
でも、不思議なぐらい仕事だと割り切れちゃって、特になんとも感じないままに書き上げちゃいました。(^^;

2本目と3本目はオリジナル話を要求されて、特に福祉ネタを盛り込んで欲しいとか言われたので、結構苦労しました。
福祉と言っても、ネタがネタなので、障害者福祉ではなく老人福祉ネタです。
ほんとは軽度発達障害の子どもとかの話にしたかったんですけど……。(^^;

で、久しぶりにアニメ脚本書いてて、「光とともに…」のアニメ化の仕事がしたくなってきました。
ドラマはほら、なんていうか、あんな感じだったし……。(^o^)

戸部けいこさんに相談してみようかなあ……。

その前に、映画の方をなんとかせねば……。(^^;

« 2006年11月 | トップページ | 2007年1月 »