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2019.12.30

2019年のおわりに。(2)

生きている理由は、死にたくないから、死ぬのが恐いから、なのかな。
ヒロキの事故以降、生きている理由のなかから、楽しいから、というのが消えてしまってるからなあ。
ヒロキがいなくなってからの15年の間、ロッキー飼って映画をつくって全国行脚して本書いて。母親見送って父親見送って相続で土地売って。以上それだけ。

生きている意味とか、以前は考えたこともなかったです。
考える前に目標というかやることがあったから。
脚本家なりたくて頑張って、ヒロキが自閉症で放課後施設つくりたくて頑張って、ヒロキがいなくなって映画づくりを頑張って、映画の借金返しに頑張って。

今は目標もやることも見つかりません。
だから体調悪くなるのはわかってるんですけど。

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コメント

生きる理由や意味について、ネガティブな私は時々考えてしまいます。でも結果はでない。「生かされている」としか言えない。2019年も何人かの知人が亡くなりました。病を経ての人もいたし、心筋梗塞によるサドンデスの人も。福祉業界でいろんな人を見ていると「生きる」ってなんだろうって本当に考えさせられます。生かされていることを、生きることに変える要因があるのでしょうか。それが目標でしょうか。最近もう一つ強く感じることは、時間が止まらないということ。ひさびさに山下達郎を聞きました。「Ride on time」。波乗りのように、時に乗っていく。時乗り。ポジティブということでしょうか。時乗りから落ちても、死ではなく、生かされる。気力があれば何度もチャレンジできる。でも気力をつくることが大変。私は常に「させられる」受け身の生き方しかできていませんね。結局、生かされている。長くなりました。

生かされていると思ったのは、ヒロキがいなくなった直後で。
10年も経つと、それだけじゃ自分が納得しなくなっています。
困ったもんです。

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