カメラ博物館。。。
素朴な疑問。
これまでに一体何台のカメラを買っただろう???
ちょっと頑張って調べてみました。
どうでもいいこと始めたがるのは、体調のいい証拠。。。(^o^)
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物思いついた頃、家には父親が買ったらしいカメラがありました。
それがこれ。
ヤシカ エレクトロ35 (発売年 1966年)
露出が足りないと上部の赤ランプが着き、露出オーバーだと黄色ランプがつく。
ファインダー内にもランプがつき、ランプが消えるように手動で絞りを回して調整してました。
ピントも手動。ファインダー内の中央の二重に見える景色を、重ねるとピントが合ったような。。。
いつしか乗っ取るような感じで、私の専用機になりました。
中学に入った頃まで使っていたように覚えているのですが、当時の写真が一枚もありません。
もしかしたら、フィルムを入れずに撮っていたのかも。。。(^^;
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小学校高学年の頃から、星に興味を持ち始め、月刊天文ガイドという専門雑誌が一番のお気に入りになりました。
天文ガイドには、天体写真がたくさん載っていて、それを見ているうちに、自分でも天体写真が欲しくなりました。
中学の1年か2年の時、天体望遠鏡は親にねだって買って貰ったものの、カメラはお年玉等を貯めて自分で買いました。
それがこれ。
アサヒペンタックスSPF (発売年 1973年)
55mm F1.8
新宿ヨドバシカメラで、店員と値段交渉して、5万円ピッタリで買ったと記憶しています。
本当は50mm F1.4 の方を買いたかったけど、それだと次の正月を待たなくてはならないので、こっちにしたと記憶しています。
選んだ理由はというと、月刊天文ガイドに載って写真撮影で一番よく使われていたカメラだからです。(^o^)
ただ、星の撮影をしていたのは少しの間だけ。その後はDPEそのものに興味を持ってしまい、道具は買い集め、いろんな写真を撮ってきては、現像・引伸しを夜通しやっていました。
ペンタックスは、高校・大学までずっと使っていました。
その頃のフィルム、捨ててないからどこかにあるはずなのですが、どこにあるのかわかりません。(^^;
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大学に写真学科があったのと、八ミリ映画にはまっていたこともあり、すっかりDPEをやらなくなくなりました。
毎日飲み歩いていたから、DPEなんてやってる時間なかったような。(^o^)
で、どのタイミングで買ったかわすれましたが、次のカメラを買いました。
それがこれ。
コニカ CF35AF (発売年 1977年)
通称、ジャスピンコニカ。井上順が宣伝していて、当時はみんな知ってるカメラでした。
選んだ理由は、ピント合わせが自動だったから。
カメラ熱が醒め後は、もともとが面倒臭がりな性格。露出とかピント合わせとかが億劫で。
それを全部やってくれるカメラなら、一眼レフなんかじゃなくても充分かなと。
どうせ使うのは、嫁サンとのデートの時ぐらいなので。(^^;
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大学を卒業。就職はせず、フリーのライターに。
脚本家になりたくて、シナリオ作家教室にも通い直し。。。
ロマンポルノを書かせて貰い、手塚プロダクションに拾って貰い。。。
結婚式という一大イベントの前だったか、直後だったか、新しいカメラを買いました。
それがこれ。
リコー TF-500 (発売年 1987年)
35mmと70mmの切り換え式二段ズーム付きだったことが、選んだ理由だったような。
プラスチックボディで安っぽかったけど、カメラなんて写ればどれでもいい、と考え方も安っぽかったので、これで充分でした。
あと、はじめてビデオカメラを買った頃で、写真なんてほとんどオマケ気分。どうだってよかったし。(^^;
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1990年にヒロキが生まれ。。。
ビデオもいいけど、俄然スチール写真も撮りたくなりました。
ただ写ればいいだけじゃなく、ちゃんと写るカメラが欲しくなり、次のカメラを買いました。
それがこれ。
オリンパスL-10 (発売年 1994年)
28-140mmの4×ズーム付。一眼レフもどきだけど、ホールドがとってもいい。
背景がちゃんとボケてる幼い頃のヒロキの写真は、すべてこれで撮ってます。
視線を合わせてくれないヒロキの写真を撮るのには、苦労しました。
偶然カメラを見た瞬間にシャッターを押すので、隣にいる次男はいつもそっぽを見ている始末。(^o^)
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まだまだ続きます。
だけど続きは、またこんど。。。(^o^)/
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