2008.05.08

幸楽苑

以前にもアップしたことある写真なのですが……。
2006年3月11日に、注文を待っているときに携帯で撮った写真です。
この時が、ヒロキにとっての最後のラーメン屋さんになってしまいました。
この頃は、地元の中学の温水プールで泳いで、そのあと幸楽苑で大盛りラーメンを食べるというのがヒロキの決めごとでした。
とにかく幸楽苑のシンプルなラーメンが好きな奴でした。もっとも、質より量の奴なので、安く食える店にしか連れて行かなかったからですけど。(^^;

一人で散歩してたときにも幸楽苑に寄ってたことは、全然知りませんでした。
考えてみれば、まあ、寄るだろうなあ。ばぁんに寄って、ビデオ屋に寄ってと、好きな場所に順番に立ち寄っていた奴だから。
散歩の途中にもラーメン食べたかったんだろうなあ。「お父さん」って言ってたのは、いつもお父さんと一緒だけど一人でも食べたい、って言いたかったんだろうなあ、たぶん。
お金払わないと食べられないってこと、理解できてなかったろうなあ……。

コメント、ありがとうございました。m(__)m >大島恵さん
南郵便局につくつく通信置いて貰っててよかったです。(^o^)


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2008.03.26

先行予約、はじめます

Sanpo2_2
最終の校正チェック、ようやく終了しました。
誤字脱字、まだ残ってたら嫌だなあ。
ぼくうみのとき、星の数ほどあったので。(^^;

おさんぽいってもいいよぉ~  
 -自閉症児ヒロキと歩んだ十五年-

    山下久仁明 著
    ぶどう社刊 A5版 128ページ
    定価1300円(税込みで1365円)


とにかくヒロキとの15年を書き綴ってみました。ヒロキの写真もいっぱい載ってます。
お母サンと次男も1章ずつ書いてます。

発売は4月中旬の予定です。注文用サイトから先行予約を受け付けます。
注文用サイトはこちら
発刊の日に、ぶどう社から発送します。送料は無料です。

印税分は全額映画制作費に回してしまうつもりです。それが公約だったし。。。(^o^)v
だから、よろしくお願いしますです。m(__)m

※表紙のデザインがまだ出来ていません。完成データを受け取り次第、差し替えます。


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2007.10.18

本を出版します

昨日の助成金説明会のあと、神田のぶどう社さんに立ち寄り、久しぶりに市毛さんと話をしてきました。で、以前からお願いしていた企画の件にOKを頂いてきました。

新しい本を出版して頂ける約束をしてきました。
「おさんぽいってもいいよぉ~ ─自閉症の長男ヒロキと歩んだ15年─」
がタイトルです。そう、まるごと“ヒロキとの思い出”の本です。

〈企画意図〉
重度自閉症の長男を電車事故で失った父親(山下)が、長男とともに過ごした15年間の奇跡を辿るとともに、自閉症を描いた小説『ぼくはうみがみたくなりました』映画化への思いを織りまぜながら、障がい児の親たちに「たとえ障がいがあっても、子どもが生きていること、子どもと過ごせることの幸せ」をメッセージとして伝えたい。障がい児の親たちに送る“エール”のような書籍にしたい。

こんなノスタルジーのかたまりみたいの本、売れるかって言われそうですけど。
なんとか買って貰えるように、頑張って仕上げるつもりです。
ヒロキとの思い出に向かい合って書かなければならないので、 自分としてはかなりつらい作業ではあるんですが……。

初版は、映画の完成の直前頃の予定です。来年の夏以降かな。
映画とのコラボというか、タイアップというか、そういう専門用語、よく知らんのですけど、要はそんな感じでいきたいと思っています。
最初の頃の上映会とかのタイミングで一気に売りさばいてしまう予定です。
その他のタイミングじゃ売れないでしょうし。(^^;

印税は、まるごと映画製作費に回すつもりでいます。
ぶどう社さんに映画製作費の協力をお願いするのはかなり忍びないので、こういうかたちで映画に貢献して貰います。
って、私にしてみれば、一石二鳥……。(^o^)v

ちゃんと売れることの証明として、来年に入ってからになるとは思いますけど、ネット上で先行予約注文を受付させて貰おうかなって思っています。
最初に何冊ぐらいさばけるかを伝えることが出来れば、出版サイドの市毛サンにホッとして貰えると思うので。
って、注文全然なかったら逆効果なんですけど。(^^;


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2007.06.17

父の日


中学校の障害学級では、美術の時間になのかな、毎年必ず父の日用の何か品物をつくり、メッセージを添えてくれてました。
(右フレーム一番上の絵もそうです。)

そんな父の日の作品がなくなって、2年目です。
新しい作品は、もう増えません。。。

写真は、中二のときのメッセージです。

 おとうさんへ
 つくしんぼがんばってね
 いつもありがとう
 ひろき

これ読むと、私にはヒロキの声がヒロキの喋り方で聞こえてきます。

中三のときのメッセージには、

 バトミントンいっしょにやろうね
 ひろき

と書いてあります。
これでも、高校時代は都の大会のダブルス個人戦で準優勝までいきました。
ただ、今より15kg以上痩せてはいましたけど。(^^;
私がバトミントンやってたことなんて、ヒロキも中学校の先生達も知らないはずなのに。。。


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2006.12.11

もうひとつのおやじの会

町田には、もうひとつ障害児のおやじの会があります。
町田養護学校で今年からスタートしている「町養父親の会」です。

ヒロキも今年から高一で養護。飲んでるばかりでなく、ちゃんとした勉強会の出来るおやじの会をつくりたくて、入学以前から校長とも連絡を取り合って企画し、入学式の日に配るビラまで用意していた会です。
ところが、入学前にヒロキが事故でいなくなってしまい……。
私も養護に行くことがなくなってしまい……。
会はそのまま立ち消えかなと思っていました。

それを、町田おやじの会の方の会員でもあるダメおやじさん(ハンドル名)が、引き継いでくれて、会を結成し、今年は2回の学習会を行ないました。
先週の土曜に2回目の学習会と忘年会がありました。
でも私はFEDHANの忘年会に行ってしまいました。(^^;

で、その会の席で、ダメおやじさん、会の名前を提案されたそうです。
で、その会の名前のことで、私の了解を得るために、つくしんぼにまで来てくれました。
会の名前を「大輝会」にしたいとのことでした。
私はもちろん、OKさせて頂きました。
さすがに“ヒロキ会”でなく“タイキ会”とでも読んだ方がいいとは言いましたが。(^^;
ヒロキの通えなかった養護学校。4月からバスで行けることを楽しみにしていた学校の父親の会の名に、大輝の文字を使って貰える……。
なんか嬉しいです。(; ;)

2006.12.10

町田おやじの会の忘年会

昨夜は町田おやじの会の忘年会でした。
規約にある通り、単に障害児の父親達が集まって飲む会を、と思って立ち上げ、早6年……。
特に個人的に呼びかけるわけでもなく、HP上の掲示板と参加確認用CGIで連絡を取り合う程度なのに、今回は新人おやじも含めて18人も集まりました。ちなみに、総会員数を誰も把握していないみたい。おやじの会の本を出版しているか否かとは関係なく、思いっきりいい加減な会です。(^o^)

先日、湘南おやじの会の方々とお会いしてきました。
立ち上げてからまだ日の浅い会みたいなのですが、とっても勉強熱心なおやじ達で……。ただ飲んでるだけのウチらとは大違い。(^o^)
で、実は驚いたことがありました。
代表サン、お子さんを亡くされた方だったのです。
これから続く子供たちのために今を変えていかなければと、それに生まれてきてくれたお子さんへの感謝も込めて……とのこと。
私は、ヒロキがいなくなって、おやじの会もOBになっちゃうんだよなあ、って淋しい思いでいたのに……。
なんか、すごいなあと思うとともに、私も町田おやじの会にずっといていいんだって思えてきて……。

ちなみ昨日の忘年会、一次会の店を出たあたりから記憶がありません。(^^;
二次会行ったのかなあ??? > じぶん
朝起きても二日酔いどころか、まだ酔ってる状態。最低……。
ちゃんと家まで辿り着いているし、財布も携帯もしっかりカバンに入っていたので、よかったです。(^^;

2006.03.27

お風呂

長男の決め事のひとつに“お風呂は父親と入る”というのがあります。
「お風呂~」と言って、毎夕必ず私を呼びに来ます。私が出かけている日は諦めるようですが、私が家にいる場合は絶対に私が一緒でないと風呂には入りません。
脚本書きを本業にしていた私は、打ち合わせがない限りほとんど家で仕事をしていたし、夕方はたいてい家にいたので、長男が赤ん坊の頃から風呂は私の担当でした。

なんだかんだいって、一人で体を洗うし(背中は洗えと命令してくるが)、着脱も一人でするし(濡れたまま着てしまうが)、苦しいながらも全介助ではなく、結構なんとかなってはきています。
ただ、指示されないと動けないところがあり、風呂から出るときも「出るよ」と声かけしない限り、茹だってヘロヘロになっても一人で出ることができません。

にもかかわらず、指示されなくても、ちゃんと最後に電気を消すことはいつしかきっちり覚えていまして……。
たいていは私より先に出るので、いつも私は真っ暗な風呂に一人残されてしまうのです。

だからいちいち消すなっちゅーの。。。

2006.03.17

卒業式

本日、長男の中学の卒業式がありました。
ちゃんとステージ上に立ち、一人で校長から卒業証書を受け取ることも出来ました。
かなり笑いを取れる感じの光景でしたが、さすがにみんな我慢してくれ、誰も笑うことはありませんでした。
というか、前日までの練習で、爆笑した生徒達がしっかり先生に怒られていたようで。(^o^)

当人が卒業というものをどう捉えているのか、親にはわかりません。
4月になったらまた中学校に行けると思っているのか、もう行けないことを理解しているのか???
つい先日の療育手帳の更新での再検査の際の「3歳9ヶ月レベル。IQ30」という結果に、あらためて頭をかかえてしまったばかりです。

ウチの息子は、どんな環境でも楽しめるというトクな性格をしているみたいです。
3歳までの療育施設での環境も楽しそうにしていたし、幼稚園も楽しく通えたし、小学校6年間の障害児学級も楽しかったみたいだし……。
障害児学級としてはかなりレベルの高い中学での環境のなかでも、3年間楽しそうに通学していたし……。

で、4月からは片道70分の送迎バスに乗っての養護学校高等部通いとなります。
それはそれで、また楽しみになってくれればいいかな、と。

ただ、なんていうか、いよいよカウントダウンに入ってしまうんだなあ、という気分。
泣いても笑ってラスト3年。それが終われば“学校”という守られた環境はおしまい。
ところてんが押し出されるが如く、器もない世の中にムニュ~ッと押し出され、そのあとをどうすりゃいいのか思案橋……。
ま、なるようにしかならんのだろうけど。。。

2005.05.31

シナリオ誌バックナンバー

バサッと落ちた古い月刊シナリオに付箋紙が挟んであったので、何かと思って開いてみると、こんな文章が載っていました。(^o^)

 最近「月刊シナリオ」が私の部屋の本棚の一等席を占拠するようになった。部屋の隅の横積み状態を定位置としていたバックナンバー達が、である。
 一番古い一冊の背表紙を見ると……わぉ、荒井さんの「赫い髪の女」が載ってる号だ。うーん、懐かしき習作時代。
 理由は……突如としてウチの息子(自閉症)のお気に入りとなってしまったから。二十数年分の全冊をずらり並べ、バサッと床に落とし、また年月の順番に並べ、それを眺めては満足そうにしているのが毎日の日課。同じことを何度も繰り返すから、一冊一冊がどんどんボロくなっていく。まあ、積まれているだけの存在よりは、明らかに役に立ってはいるわけで。シナリオ誌達も喜んでくれてるかな。
 障害児の施設を始めて、六年になる。私に「作品」の発注をしてくれる人も、いつしか一人もいなくなってしまった。覚悟はしていたつもりだが、現実となるとやはり淋しい今日この頃……。
(月刊シナリオ2001年9月号「作家通信」より)

うーむ、結局私の文章は愚痴が基本なわけだ・・・。(^^;

2004.10.17

二本の柱

町田市公民館障害者青年学級とニフティーサーブ障害児教育フォーラムへの参加が、障害児の父親になった私に影響を与えた二本の柱と言えるような気がします。
青年学級からは知識福祉という視点を、障害児教育フォーラムからは全国的な視点を教えて貰いました。

でもって、どちらでもかなりの有名人になってしまい……。
思いっきり有頂天にもなっていました。(^^;
三十代前半の私は、障害児の親ってのも結構楽しいもんじゃない、って本気で思っていたほどにノンキな奴だったようです。

で、どうにも先細り感のある脚本家業をズルズル続けて失業してしまうより、さっさと転業して福祉業界の人間になった方が楽しいかも、なんて考えるようになったのもこの頃だったように思います。

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