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#6 四十九日まで

 葬儀関係の仕事が一段落すると、時が止まったまま流れていくような感覚の中、ヒロキのいない日常が始まりました。

 

 二階への階段を上がると、正面にドアがあります。そのドアの向こう側がヒロキの部屋でした。
 自分の部屋だという認識を持っていなかったと思います。祖母に買って貰った次男とお揃いの学習机が置いてあるだけ。あとは荷物だらけの倉庫みたいな部屋でした。ヒロキのくつろぐ場所は、たいていリビングか布団と毛布に巻きついていられる和室でした。
 そんなヒロキの部屋の模様替えが、私の最初の仕事でした。
 邪魔な荷物を片づけ、壁にフックを取り付けて遺影を飾りました。遺影の前には、DIY店で購入してカッティングしてきた集成板で手製の祭壇を組み立て、遺骨を置きました。壁一面には絵や写真を飾り、学習机の上には造形物を並べ……ヒロキ博物館が出来上がりました。
 つい数日前までゴミとしか思っていなかった学校やつくしんぼで作ったヒロキの作品(?)の全部が、捨てることの出来ない大切な品々になってしまいました。
 だってもう、絶対に増えてくれないのですから……。

 

 葬儀の前後、つくしんぼは春休み期間中でお休みでした。
 それが、学校の新学期が始まり、つくしんぼも活動を再開しました。
 私の自宅の向かいが、障害児のための放課後の遊び場「フリースペースつくしんぼ」です。狭い通りを挟んで、徒歩0分の場所にあります。
 なのに、私はつくしんぼに行けなくなってしまいました。
 ステップワゴンでの送迎も、新年度からは中断させて貰いました。
 無理でした。
 とにかく私は脱け殻でした。
 つくしんぼはヒロキのために作った場所。だけど今はヒロキだけがいない場所……。
 そう思うだけで、私はパニック症状に見舞われました。
 つくしんぼにいたところで、まったく役に立たない私でした。かえって邪魔なだけの存在でした。
 職員たちは「どこか旅行にでも行って来たら」と言ってくれました。
 だけど、どこにも行きませんでした。
 どこにいても、どうせ一緒だし……。
 新年度から来てくれることになった女性職員がいました。教職採用に落ちてしまい、つくしんぼで働きたいと言ってくれていた大学生でした。
 でも、彼女の仕事始めだったはずの4月1日に、つくしんぼではヒロキの葬儀をやっていました。
 迷惑をかけてしまった、とは思いつつも、私は自分のことだけで精一杯でした。
 彼女は、どのぐらいつくしんぼにいてくれたんだろう? すぐに退職してしまいました。
 後日、正式に教職採用されたと連絡を貰い、ホッとしたことは覚えています。他のことは、ごめんなさい、ほとんど覚えていません。 

 

 4月10日には、ヒロキが参加するはずだった町田養護学校(現・町田の丘学園)の入学式に、来賓者として列席させて貰いました。
 本当は保護者として来るはずだったんですけどね。
 先生が「どうぞ」と言ってくださったので、入学記念の写真撮影にヒロキも参加させて貰いました。お別れの言葉を読んでくれた中学時代の同級生の手の中の写真として……。
 嬉しかったけど、悔しかったこともありました。
 入学式で撮った集合写真を私はブログに掲載させて貰ったのですが、その数日後に養護学校の教頭先生からの電話を受けました。
 ブログに載っている写真を削除して欲しい、と。
 理由を尋ねると、匿名の保護者から苦情電話があった、とのこと。
 一瞬、なぜ? と思いました。肖像権のこともあり、私は写真データを顔の判別が出来ない程に縮小してアップしていたからです。
 でも保護者からすれば、並び順から自分の子どもがわかるわけで……。
 私はクレームばかり言っているモンスターペアレンツが大嫌いでした。義務を果たすこともなく権利ばかりを主張する連中だから。
 そんな親たちと同級生にならなくてよかった……。
 結局、写真は削除しませんでした。写真データをさらに小さく、プリクラサイズまで縮小して掲載を続けました。半ば意地でした。
 ヒロキが入学式に参加していたことを否定されてたまるか!
 その後、養護学校からの連絡はありませんでした。再度のクレーム電話があったのか、単に連絡して来なかっただけなのか、私は知りません。
 そういえば、入学式当日にPTA会長からの挨拶がなかったよなあ。
 あ、そっか。
 私が会長を引き受ける約束してたんだっけ……。

 

 4月16日には「小犬ください」という記事をブログに書きました。
 次男が「弟か妹が欲しい」と言い出し、「さすがにそれは勘弁、その代わり犬を……」ということで納得して貰いました。
 柴犬みたいに耳がピンと立っていて、雑種でよくて、妹より弟がいいから雄が希望、とのこと。
 ブログへのコメントで「いつでも里親募集中」というサイトを教えて頂き、次男と妻がさっそく覗いてみたところ……気に入った犬が見つかり、すぐに連絡をしました。
 千葉の空き家の床下で発見された二匹の小犬のうちの一匹、とのこと。
 それからわずか一週間後、愛護協会の方が町田まで連れて来てくださいました。一見して柴犬風。でも他の種類も混ざっている感じ。元気な雑種のチビ犬でした。
 名前は「ロッキー」としました。
 「ヒロキ」から「ヒ」を取って、「ロキ」→「ロッキー」と。映画のロッキーとは何の関係もありません。
 ロッキーは我が家の三男ということになります。私は次男と三男の父親ということになります。というわけで「二児の父親」→「虹の父」→「レインボーおやじ」は継続ということになりました。
 ロッキーは、漢字で書くと「緑輝」になります。
 ヒロキの戒名〈緑雲輝宝〉から二文字取っての当て字です。
 もうすぐ、ヒロキの生きた年月、15年と6ヶ月をロッキーが越えます。

 

 ブログの執筆は、5月3日で丸2年になりました。
 書き始める2年程前にTIA(一過性脳虚血性発作)という軽度の脳梗塞症状に見舞われ、その直後からは得体の知れない体調不良に苦しむようになり、心療内科にお世話になるようになり、自分の寿命はたいして長くないんだろうなあと思うようになり……。
 いろいろ書き留めておこうと思い、遺書代わりにするつもりで始めたブログでした。
 当初のブログのタイトルは『自閉症の小説!?』。映画化へ向けての布石になればいいな、なんて思っていたりもしました。始めてから二年間は読んでくれているのはほぼ友人だけ。一日の訪問者は数十人。読者なんてほとんどいない、日記のようなブログでした。
 それが……。
 ヒロキの事故を境に、アクセス数が一気に増大しました。設置してあるカウンターのカウント数が毎日数千単位で増えていくのです。
 コメントの他に、メールもたくさん頂くようにもなりました。
 『ぼくうみ制作準備実行委員会』のホームページを見てくれて、ヒロキの事故のことを知ってくださった方が大勢いました。自閉症児の親御さんからのものが一番多かったっけ。メールの文面には、ヒロキへの弔意の言葉と、映画制作への応援の言葉が溢れていました。
 「自分の持っているブログに紹介記事を書いてもいいですか?」「管理しているホームページに映画応援用のバナーリンクを貼らせて貰ってもいいですか?」という、ありがたくて嬉しい申し出をたくさん頂きました。
 新聞社やテレビ局の記者の方からは次々と取材依頼を頂き、もちろん全て受けました。
 私は毎日、大半の時間をメール返信に費やしていました。返信のメールを書いている最中は、集中していたんでしょうね、不思議と気持ちが落ち着いていました。
 ブログのタイトルを『おさんぽいってもいいよ~』に変更したのは、ヒロキの事故から2ヶ月が過ぎてから、6月に入ってからでした。たぶんその時期、ぶどう社の市毛さんにヒロキのことをまとめた本を出したいと頼んだ頃だったような気がします。

 

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