« 2022年1月 | トップページ | 2022年8月 »

#9 一人実行委員会

 5月31日付けで「フリースペースつくしんぼ」にNPO法人認可が降りてしまいました。
 2月に申請、3月にヒロキの事故、そして6月には法人化。なんとも皮肉な時間の流れの結果でした。ヒロキがいないことがわかっていたら、法人化なんてしなかったのに……。
 法人の正式名称は「特定非営利法人はらっぱ」。〈つくしんぼ〉が生えている場所なのだから〈はらっぱ〉という、まあ安易な命名でした。
 とはいえ、NPOになったからといって、書類作成が面倒なだけで、特段変わったことはありませんでした。法人であろうがなかろうが、施設の活動は完全に職員たちに任せっきり。私自身はシナリオ執筆に集中させてもらい、7月にはなんとか初稿を完成させました。
 シナリオ内における自閉症に関しての専門的な部分に関しては、パソコン通信時代からの友人だったよこはま発達クリニックの内山登紀夫先生にお願いしました。
 一度は断られてしまったのですが……。
「ギャラは言い値でいくらでも払うから」
と言ったら、かなり驚いた様子。
「その代わりそのギャラ全額は映画へカンパしてもらうから……」
 内山先生は苦笑とともに医療監修を承諾してくれました。
 脚本の完成とともに、企画書も作成しました。企業などに対して制作費のお願いをするための必須アイテムです。
 企業メセナ協議会の「助成認定制度」にも申請書を出しました。認定されれば映画制作費へのカンパ金が寄付金控除金として認めてもらえるという制度です。税制優遇してもらえるとなれば、企業などへの営業も仕掛けやすくなります。

 

 結局私に出来ることは、シナリオを完成させることと制作費募集の営業活動だけでした。
 というのも、映画制作に向けて具体的に何をどうしていいのか? 私には知識がまったくなかったのです。
 誰かに質問しようにも、知り合いがいません。映像の関係者といえばアニメの方ばかり。映画制作へのきっかけをつくってくれた椎名さんは音楽が専門。20代の頃のビデオ映画を書いていた頃のプロデューサーなんてギャラ踏み倒して行方不明だし……。
 私自身の経歴はというと、大学卒業後の最初の仕事は「笑っていいとも!」の構成。それからフリーライター時代を経て、シナリオ作家教室に通い、師匠に拾って貰ってにっかつロマンポルノでデビュー。シナリオ作家協会に入れて貰った後は、先輩の紹介で手塚プロダクションへ……と、一見するといろいろ経験しているような感じなのですが、結局のところやってきたことと言えばもの書きオンリー。完全に頭でっかち。実践的な制作現場なんて未経験。というわけで、どうにもさっぱり話にもなりません。
 制作準備実行委員会のチラシやホームページには、著名な方達の名前を並べさせてもらっていましたが、そのほとんどは福祉業界の方か自閉症関係者。それも無理やり頼み込んでお名前を拝借させて頂いた方がほとんど。実行委員会というのは名ばかりで、実際は一人実行委員会状態でした。
 「協力したい」というメールはたくさん頂いていました。でもそのほとんどは完成した映画の上映に協力したい、という方々ばかり。制作への直接的な協力者はまずいません。
 そりゃそうです。私自身がどう動けばいいのかわからないのですから、協力希望の方だって何をどう協力すればいいのか? それこそさっぱりわからなかったでしょう。

 

 それでもときどき「知り合いに映画関係者がいる」という連絡を頂くこともあり、ありがたく紹介して頂き、企画書とシナリオを持って面会に行ったりもしました。
が、悲しいかな、私がど素人過ぎて……。
 ちなみに寄付金の総額は、4月までが194万円、5月が222万円、6月が210万円、7月が131万円、8月が62万円、9月が53万円、10月が40万円、11月が17万円、12月が12万円。年末までで1千万円弱。たしかに集まった合計金額は凄いのですが、一方で完全に先細り状態。この先どこまで集まるのかはなはだ疑問。
 宣伝手段はホームページとブログのみ。今のようにSNSもなければ、クラウドファンディングもない時代です。新聞やテレビに取り上げて貰えたのは夏まで。その後はマスコミに取り上げられることもなくなりました。
 「本当に3千万以上お制作費を集めることが出来るの?」と、半ば呆れられてしまう始末。
 結局最後に言われるはたいてい同じ言葉。
 「つくりたい気持ちはわかるけど、やめておいた方がいいよ……」

 

 無茶なことはわかっていたんです。
 それでも映画をつくると宣言してしまった。
 そしたら多額の寄付を受け取ってしまった。
 なんとなく自動的に動き出してしまった。
 となると、なんかもう引っ込みがつかない。
 かといってどうしていいかもわからない。
 精神的にはぼろぼろだけど、前進しなければならない……。

 

 実写はやめてアニメで、とも思ったりもしました。
 だけど、それも甘い考えでした。
 友人のアニメ監督に相談してみたところ「絵をちゃんと動かすためには、実写の何倍もの制作費がかかるよ。でないと紙芝居になる」とのこと。
 やっぱり実写しかないか、と思い、かといって頼める人もいないし。
 自分で監督をやることも考えました。が、それもまた無茶な話でした。
 思い出してみれば、大学時代の八ミリ作品でさえまともに演出できず、監督は諦めて脚本家を選んだ私です。今さら監督をやったところで、出来る作品なんて超駄作間違いなし……。

 

 9月半ばになって、以前一度メールをくれた自閉症児の父親の方から再度連絡を頂きました。企画書や予算書のことで相談にのってくださるとのこと。たしかに、予算計画に触れていない企画書なんて説得力ありません。
 彼は岡田俊生さん。自らの会社を立ち上げて映像関係の仕事をしている方でした。最終的にぼくうみのアソシエイトプロデューサー(プロデューサー補)を引き受けてくださった方です。
 物静かな方でした。ど素人の私に対しても上から目線的に何かを言うことなど決してなく、常に横の対等の立場で相談にのってくれました。それまでに会った映画関係者の方々とは全然違いました。
 そりゃそうです。思いが違いました。
 ただの自閉症児のお父さんなのですから。
小説の「ぼくはうみがみたくなりました」を読んで、「映画にしてみたい」と思ってくださった方ですから……。

 

 岡田さんに出会って、ようやく何かが変わりました。
 それまで一人実行委員会だったものが、二人になったのです。
 何度か話を重ねているうちに、岡田さんが私に伝えてくれました。
「この作品をやりたい、という監督がいるんですけど……」
 11月に入り、福田是久さんという方を紹介して頂きました。リーゼント頭に革ジャンという出で立ちのおじさん。主にミュージックビデオ等を演出されている方でした。
 福田監督が加わり、二人だったものが、三人になりました。
 その後、シナリオ会議を重ねているうちに、福田さんが私に伝えてくれました。
「カメラを回してやる、というのがいるんだけど……」
 友人のカメラマンの青木正さんでした。目がぎょろぎょろしているおじさん。映画やビデオパッケージの撮影をされている方でした。
 青木さんが加わり、三人だったものが、四人になりました。
 さらに福田さんは新しい情報を伝えてくれました。
「制作を引き受けてくれそうなプロダクションがあるんだけど……」
 青山にあるコクーンという名の制作会社でした。
 社長の松本朋丈さんが加わり、四人だったものが、五人になりました。

 

 「永遠の1+1+1+1…」というキャッチコピーがあります。制作準備実行委員会用のホームページ内で使用していたものです。
 実はこのコピー、応援していた某候補者が選挙に出馬する際に使っていたのですが、その言葉の響きを私が気に入ってしまい、了解を得て譲り受けたものでした。
 たった一人から始めた制作準備実行委員会だけれど、「永遠の1+1+1+1…」の力があればきっと映画が出来る、と……。
 ヒロキがいなくなり、一人実行委員会を始めて半年。ようやく「永遠の1+1+1+1…」が動き始めました。

 

924

« 2022年1月 | トップページ | 2022年8月 »