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#13  淳一クンと伊藤クン

 気持ちが半分折れ始めていたオーディション初日でした。
 ところが……。
 最後から数組目の5人の中の一人だったように記憶しています。どうにも気になる青年が入ってきました。
 腰にウェストバッグを巻いているのです。ウェストバッグの持参者の応募者なんて朝からはじめてです。
 というか、なんでわざわざウェストバッグを持ってきたわけ?
 オーディション会場の空間に入って来た時から、彼は異様(?)でした。
 かもし出す雰囲気そのものが妙に自閉症っぽいのです。
 それまでの応募者の方々は、みんながみんな、演技の短い時間の間だけ自閉症を演じていました。オーディションだから当然です。
 が、まったく彼は違いました。登場した時から、姿が見えた瞬間から、いやもしかしたらそれ以前から、立ち振る舞いからしてずーっと自閉症みたいなのです。
 これってもしかして本物の自閉症?
 いや、違う。
 自己紹介をする短い時間だけは普通の大学生、という感じでした。
 でもって、自己紹介が終わると、椅子に座っているだけでも自閉症という感じなわけで……。
 演技なの? それとも地なの? 実は高機能なの?
 少なくとも原作の小説を読んで来ていることは間違いない。そうでなければわざわざウェストバッグを持ってくるはずありせん。ウェストバッグの中にはステップワゴンのミニカーが入っていて、それを勝手に取り出してくるくる回転させていたりしていて……。

 

 淳一役のオーディションは2日間に渡り、その後は明日美・慎之助・ハル子・健二・香織・子役……の選考と続いたのですけど。
 私はというと、もう淳一だけで体調的にも精一杯。
 他の配役に関してはキャスティングプロデューサーの古川さんを中心とするスタッフ達にお願いさせて頂きました。
 餅は餅屋です。適材適所の適役を選んでくれることを期待して……。

 

 一次オーディションが終了し、残った淳一役候補の青年は8人だったように記憶しています。
 日を置いて、二次選考は福田監督を中心に行なわれました。
 彼らには、あらためて自閉症の演技をお願いしました。
 そして、あらためて思いました。
 自閉症って、世の中にはまったくわかって貰えてないなあ、と……。

 

 最終選考の後、淳一役には、学習院大学4回生の伊藤祐貴クンが選ばれました。オーディションにウェストバッグを持参してきた青年です。彼を超える自閉症(?)は、ついに現れませんでした。
 それでも全員一致での決定ではありませんでした。他の役者を推すスタッフもいました。
 が、演技力でなく自閉症に見えるか否かで選びたいと言う私の一言が決定打となりました。

 

 あらためて伊藤クンと話してみると、彼には全然自閉っぽさなんてありませんでした。
 全て演技でした。彼はごく普通の大学生でした。
 伊藤クンは、ぼくうみのオーディション情報を知って、原作小説を読み、主人公の浅野淳一役をどうしてもやりたいと思ったとのこと。
 でも自閉症なんて知らない、わからない。そこであちこちの福祉施設にアポをとり、目黒区にある施設に受け入れてくれると言うので、ボランティアとして1ヶ月間通い続け、そこで出会った双子の自閉の青年の動作を完全丸コピーしてオーディションに臨んだのだそうです。
 後日、その話を聞いて興味を持った私がその福祉施設に同行させて貰ったところ……たしかにそこには伊藤クンの演ずる淳一クンがいました。

 

 淳一以外のキャストには、門倉明日美役に大塚ちひろさん。弟の浅野健二役には小林裕吉クン、その幼馴染みの安西香織役に松嶋初音さんが選ばれました。
 吉田慎之助役とハル子役は適役に出会えず、後日になって秋野大作さんと大森暁美さんが選ばれました。
 かなり大物です。ギャラは大丈夫なのだろうか? 私の心配は演技のことよりそっちでした。

 

 キャスティングの開始からクランクインまでの期間に、私にとって大きな出来事が三つありました。
 ひとつは、4/7の「おさんぽいってもいいよぉ~ 自閉症児ヒロキと歩んだ十五年」の刊行です。三回忌までになんとか書き終えた原稿を、ぶどう社の市毛さんが出版してくださいました。
 表紙に使って貰ったヒロキとのツーショット写真は、通う予定だったけど通えなかった町田養護学校の庭でのソフトボールの試合の時に撮ったもの。
 「来年からこの学校に通うんだよ」と言ったら、納得してくれたように覚えています。
 本文の中にも、我儘言ってヒロキの懐かしい写真を掲載して貰いました。
 本当はもっともっと沢山載せて貰いたかったのですけど……さすがに市毛さんに怒られました。「この本は自費出版じゃないんだよ」と。
 ラスト前の章のタイトルは「映画をつくります」となっています。
 市毛さんは、営業のこともを考え、しっかり映画制作前に出版を間に合わせてくださいました。もう感謝しかありません。


 
 二つめは、名づけて「ゆーらんせんがありません事件」。
 私は何度ものシナリオハンティングを経て脚本を書いていました。城ヶ島一周遊覧船にも何度も乗り、船上シーンをイメージしていました。
 ところが、4/30の下見ロケハンの時のことでした。
 久しぶりに遊覧船乗り場に行ってみて呆然自失。
 前の年の10月に遊覧船は廃船になってしまったとのこと……。
 さらに、驚く情報も知り得てしまいました。
 城ヶ島大橋の完成とともに廃止になった渡し舟が、まもなく復活してしまうとのこと……。
 そんな、ぼくうみの設定がぐちゃぐちゃだあ!
 ただ、よく話を聞くと、渡し舟の運行はまだ先、映画完成後のことらしい(計画はかなり遅れ、実際の就航は2017年)ので、そっちはまあ誤魔化せるかなと……。
 でも、渡し舟はともかく、遊覧船はないと困ります。絶対必要です。
 シナリオハンティングの時に「映画のロケに使えますか?」と質問したら、もちろんオーケーです、と答えてくれたのに……。
 淳一のパニックのシーンは小説と同様、船上以外の場所に代えたくはありません。
 城ヶ島以外の場所も、横須賀の猿島をはじめ、あちこち探し回りましたが、いい場所は見つかりませんでした。
 結局、ロケーションのコーディネイト等を行なってくださるみうら映画舎さんも加わっての交渉の末、遊覧船の代わりには城ヶ島水中観光船「にじいろさかな号」を借りることが出来たので撮影に関してはホッとひと安心。小さい船なので、私のイメージとしてはかなり違和感があったのですが、シナリオ的には少しの修正で済みました。

 

 三つめは、ぼくうみロケ用の黄色いステップワゴンの完成です。
 完成、といっても、新しく車ではありません。フリースペースつくしんぼで送迎用に使っていた古い紫色のステップワゴンに全面塗装を施しただけのリメイクカーです。
 実は映画に使う車に関しても紆余曲折がありました。
 映画にはよく車が登場します。そしてその車の多くは、タイアップのかたちでメーカーが提供してくれたものらしいのです。
 なので、ぼくうみでもホンダと交渉すれば撮影用のステップワゴンを貸して貰えるだろうと簡単に思っていたのですが……。
 まったく話になりませんでした。相手にもして貰えませんでした。
 映画撮影のための車提供の希望依頼が無数にあるらしいのです。そんな中、メジャーの作品であれば営業用の相乗効果も狙えるものの、自主映画など相手にしていたら、それこそ車が何台あっても足りないと。
 悔しくて、こうなったらステップワゴンでなくてもいい。トヨタのノアでもニッサンのセレナでもいい!
 でも全滅でした。
 それで苦し紛れに思いついたのが、つくしんぼのステップワゴンを使う方法でした。
 ヒロキの事故以降、私はつくしんぼでの送迎を辞めていて、買い物以外に車を使う機会もほとんどないので、これを使ってしまおうと。
 我が家のグレーのステップワゴンでもよかったのですけど、そっちはつい少し前にモビリオに乗り換えてしまっていて。一回り小さいモビリオでは車内が狭すぎて撮影には使えそうもなく……。
 ただ、紫色なんて絶対ダメ! 福田監督がどうしても「原作小説の表紙と同じ色でなければダメ!」と言い張ったことで、黄色への全面塗装となった次第です。
 最近は黄色い車が流行の感じですが、当時は黄色い塗装の車はもちろん、黄色いステップワゴンなんて世の中に存在していないので、走っていてかなり目立ちました。
 つくしんぼの送迎車としては、地味な紫色なんかより輝く黄色で、幼稚園バスみたいでかえってよかったのかも……。

 

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