#16 空白の半年
超ハードな撮影期間が終わった途端……。
私にはつくしんぼの代表としての日常が戻ってきました。
子どもたちの外泊活動につきあったり、すっかり溜め込んでいた事務経理作業を始めたり。夏休みはまだ序の口。ずっと残っていました。
ヒロキが事故から撮影終了までの2年半近く、思い返せばよくまあ思いっきりサボらせてもらったもんです。
職員達にはひたすら感謝しかありません。
まもなくして、クランクアップ・打ち上げの会を開催しました。
場所は渋谷。ホールの広いお洒落なお店を貸し切り。参加者は全役者と全スタッフ交えて約50人。映画を撮ったからには、一度はやってみたかった盛大(?)なパーティーでした。
飲食経費にいくらかかったかは知りません。制作プロダクションの方で支払いを済ませてくれたので。
ただ、それも製作費の一部。めぐりめぐって、結局は私に戻ってくるわけなのですけど……。
撮影期間中、大塚さんに変な顔をアップしないで欲しい、とかブツブツ言われつつも、日々の様子をずっとブログを報告し続けた成果なのか、8月半ばにはカンパ金の総額が2000万円を超えました。
とはいえ、それはあくまで計算上の数字でしかなく……。
実際のところ、そのほとんどの金額分の現金は撮影の経費として既に支払い込み済みでした。
結果、ぼくうみ実行委員会の通帳に残っているは少額の数字のみ。
しかもそれは、私が個人的に借金をしたお金を含めての残金。
実質的にはかなりの借金状態ってことで……。
完成までの作業はまだまだ続きます。
・映像の仮編集~本編集。
・カラーコレクト、マスター制作。
・音の編集。
・音楽(サントラ)の制作と録音。
・主題歌の制作と録音。
・映像と音とのダビング作業。
・フィルムへのキネコ作業。
・配給の手配もしくは劇場への営業。
・宣伝、広報。
まだまだお金が必要です。
にもかかわらず……。
カンパ金が集まりません。
夏を境にピタッと増えなくなってしまいました。
「撮り終わったんだから、カンパ金はもういいよね」
どうやらそう思われてしまったようです。
「とーんでもない!」です。
製作費総額5000万が目標です。
理由は単純、文化庁からの助成金は5000万以上の作品でないと頂けないからです。
助成金の振込は年末。製作費が5000万円以下の場合、返金しなければなりません。そんなの絶対に嫌です。
カンパが集まらなくなった理由は、撮影完了のせいだけではありませんでした。
なんせ2008年です。
何の年だったかわかります?
〈リーマンショック〉です。
この年の秋からだったんです。
世界の景気が一気に急降下。株価も急落。倒産する企業が続出。
直接的にも間接的にも、世の中の皆さんの懐が急に固くなってしまった模様。そんな時に、寄付する気にならなくなるのって当然です。
でも、リーマンショックの直前までに2000万円までもの寄付金を集められたのは、ある意味で幸運だったのかも知れません。
その幸運もやっぱり、ヒロキパワーのおかげだったのかなあ……。
と、お金の苦労は続くのですけど。
ない袖は振れず……。
今後の作業にかかる必要経費は、とりあえず制作会社のコクーンさんに肩代わりして貰うことになりました。
編集作業は福田監督とアソシエントプロデューサーの岡田さんが協力してやるとのことなので、素人の私が口を出す必要もないだろうし、完全にお任せすることにしました。
なにはともあれ、撮影までは終えられたわけで……。
その安堵感は、私の心をすっかりクールダウンさせてくれました。
が、クールダウンだけでは済みませんでした。
秋になり、私自身の体調が一気に急降下してしまい……。
いわゆる〈鬱〉の症状です。
ヒロキの事故の2年前、TIA(一過性脳虚血発作)で一度倒れて以降、それまで元気だけが取り柄だった私が時々寝込むようになっていました。
そんな体調を悲観して、遺書代わりにブログを始めたりもしました。
(それがずっと続いて、今の「おさんぽいっていいよぉ~」のブログだったりしています。)
が、ヒロキがいなくなって、倒れてなんていられなくなりました。
映画製作という名の弔い合戦の開始です。
足を停めることも出来ない自転車操業をずっと続けてきました。
そして、やっと辿り着いたクランクアップ。
張り詰めていた私の気持ちが、フッと緩んでしまったみたいでした。
この頃には、協賛を頂けたニコニコ動画さんに「ぼくうみチャンネル」を開設して頂き、宣伝用の動画撮影などを行なったり。
(佐々木正美先生までもが参加してくださいました。)
「光とともに」のアニメ化企画が動き始めそうになったり。
(戸部けいこ先生の癌での急逝で立ち消えになりました。)
それなりにやることはあったものの、実際には動くのがやっと。とにかくしんどさを必死に堪えて、やらなければならないことだけをぎりぎり済ませて、あとはずっと寝ている状態が続きました。
そんなわけで、この頃の記憶があまりありません。
私にとっての空白の半年です。
それでも、私が寝込んでいる間が編集作業期間中だったのは、今思えば幸いだったのかも知れません。
年末には、無事に文化庁からの映画製作支援助成金が振り込まれました。
さらに、ニコニコ動画さんからも多額の寄付金を頂けました。
でも、それでもやっぱり、借金は残っているわけで……。
鬱状態の時は落ち込みますが、回復すると「まあいいや」っていう感じになるのが、どうにも不思議です。
後援・協賛団体も続々と決まりました。
日本自閉症協会/三浦市/三浦市社会福祉協議会/三浦市観光協会/NPO法人みうら映画舎/京浜急行(株)/町田市/町田市地域福祉部・障がい福祉課/町田市社会福祉協議会/町田文化・国際交流財団・神奈川県自閉症児者親の会連合会/横須賀地区自閉症児者親の会/NPO法人まちされん/町田おやじの会/湘南おやじの会/川崎おやじの会/(株)ドワンゴ/ぶどう社……。
加えて、文化庁と企業メセナ協議会。さらにその後には厚労省と文科省の後援も受けることが出来ました。
これだけ並ぶとかなりハッタリが効きます。
歩き回ってお願いしまくって、本当によかったです。
年が明けて2009年1月。最終編集作業がやっと完了しました。
引き続き、音楽作業とアフレコ作業に入ります。
音楽担当は椎名邦仁さん。町田おやじの会会員。ぼくうみの映画化の際、私の尻を叩いてくれた人です。
メイン曲、初めて聴かせて貰った時は、泣けたなあ……。
アフレコでは、ラジオDJのシーンに大学時代の同級生で、淳一役探しの時にも協力してくれた声優、にゃんチュウの声で全国的に有名な津久井教生氏に友情出演して頂きました。
令和に入ってからALS(筋萎縮性側索硬化症)に罹患してしまい、ブログ等でずっと病状報告してくれていたのですが、2022秋には30年続けてきたにゃんチュウの声を教え子の後輩声優に交代。その直後、完全に動けなくなってしまい、声も失ってしまったとのこと。
24時間介護の最重度の状況だろうし、会いたいとか言っても迷惑になるだろうなあ……。
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