#17 完成
映画完成直前の2009年3月19日。
町田養護学校高等部(現・町田の丘学園)の卒業式があり、保護者ではなかったものの、私も顔を出させて貰うことが出来ました。
卒業生の代表として壇上から立派に答辞の挨拶をする生徒会長は、よく知っている男の子でした。
だって彼は、幼い頃からずっとつくしんぼでヒロキと一緒に遊んでいた同級生なのですから。
彼と一緒にヒロキも高等部に入学していたら、約束通りPTA会長を引き受けていて、養護学校内版の町田おやじの会を立ち上げたりして……。
だけど想定していたことはことごとくキャンセル。
代わりに想定外だったはずの映画制作なんかしていて……。
その翌週の3月26日。
あれから3年、いや、正確には2年と363日目。3回目の命日の2日前。
映画『ぼくはうみがみたくなりました』がついに完成し、朝10時半より五反田にあったIMAGICAの試写ホールにて、初号試写(関係者による初の試写会)を行なって頂きました。
試写ホールといっても、設備と雰囲気は映画館とまったく一緒。私と妻と次男は最前列の真ん中の席に陣取らせて頂きました。
いや、正確には自宅から持って行ったヒロキの遺影と4人、並んで観させて貰いました。最初の予定では、生きているヒロキと4人並んで、のはずだったのですけど……。
大スクリーンで観る『ぼくうみ』には、自分で言うのもなんですけど、とにかく無茶苦茶感動しました。
原作・企画・脚本、最初から最後まで制作に関わった丸ごと思い入れのかたまりのような作品です。
それまでにもにっかつでの映画やテレビドラマやアニメなど、自分の脚本の作品はかなりの数があって、それらを初めて観た時にはそれなりにジワーッと感動したものですが、まったく比べものになりません。
終わった直後の拍手の中、友情出演してくれた声優の津久井教生(現在ALSで闘病中)が「おめでとう!」と抱きついてきてくれて、それまで我慢していた涙が一気に吹き出してきて止まらなかったこと、鮮明に覚えています。
実は、冗談のようにスタッフ仲間と交わした公約がありました。
その頃、私は禁煙をしていて、映画が完成するまで絶対に吸わないと決めていたのですが、映画が終わった直後に一服し、それで本当に煙草をやめる、と……。
火をつけてくれたのは福田監督でした。
久しぶりの煙草の味、ちっとも美味くなかったように記憶しています。
引き続きの3月29日。
ヒロキだけのための卒業式を開催しました。会場は町田市民フォーラムのホール。3/28の命日当日は土曜日でもあり都合もばっちり、早々に予約に動いたのですが、残念ながら既に先約あり。仕方なく翌日の日曜日に決めました。
生きていれば、3年前に入学し、先々週にみんなと一緒に卒業式を迎えていたタイミング。そう思うと、なんか無性に悔しくて……。
だからとにかく卒業式をやりたい!
そんな単なる親の我が儘なイベントに、つくしんぼの職員をはじめ、大勢の皆さんを巻き込んでしまいました。
声をかけさせて頂いたのは、まずは赤ん坊の頃から中学を卒業するまでにヒロキが直接お世話になった方たち。
次に、ヒロキが一緒に過ごしたつくしんぼの仲間たちとその家族。
そしてこの3年の間、私たち家族を応援してくださった方たち。
それだけでも定員の180人を超える人数になってしまいました。
開始は夕方から。
結局、準備不足のドタバタ卒業式になってしまいました。
直前の時間までテレビの取材があって私自身が遅刻してしまうわ、卒業証書授与をお願いしていた養護学校の校長先生が別の葬儀で急遽来られなくなってしまうわ、準備したメモが行方不明となって頭が真っ白でしどろもどろの意味不明の挨拶になってしまうわ……。
でもまあ、出来なんて二の次。やったことに価値があるわけで。
気にしていたのは私だけで、来客の皆さんは気にする様子もありません。
だって、お楽しみは卒業式の後の〈オマケ〉の方なのですから。
卒業式本番は実質15分。その後のオマケは1時間43分もありました。
「ぼくはうみがみたくなりました」初試写上映!
それがオマケでした。
オマケの上映を一番喜んでくれたのは、私の母だったような気がします。
ちなみに、耳の聴こえない父は来てくれませんでした。
まあ仕方ありません。最初はまだ字幕もありませんでしたし……。
さらに引き続きの4月5日。
川崎市自閉症協会の自閉症啓発週間のイベントとして、ぼくうみの特別公開試写会を開催して頂きました。
明石洋子さんから「最初の上映会はぜひ川崎で!」と頼まれており、もし映画の完成が遅れたらどうしようとビクビクしていましたが、間に合ってよかったです。
第1部が明石洋子さん徹之さん母子の講演、第2部がうすいまさとさんのコンサート、そして第3部が福田監督・大塚ちひろさん・伊藤祐貴クン・私の舞台挨拶 & 映画の上映という盛りだくさんの内容でした。
500人定員のホールは超満員。
「こけら落としの映画を絶対に観たい!」とばかり、ぼくうみのためだけに飛行機やら新幹線やらではるばる地方から駆けつけてくださった方が大勢いて、ひたすら恐縮してしまいました。
「自主上映会をやりたい!」という声もたくさん頂きました。
でも、まずは夏の全国ロードショー公開が目標です。となると配給会社との関係等の問題も生じることになり、すぐに自主上映会というわけにもいきません。
「必ず自主上映会の開催をお願いする時が来るので、その時はよろしくお願いします」ということで納得して頂きました。
こんなにまで完成を待たれていたなんて……。
こんなにも喜んで貰えるなんて……。
スポットライトの中心に自分がいるなんて……。
裏方志向の性格ゆえ、どうにも気恥ずかしくてたまりませんでした。
なにはともあれ、映画は完成しました。
完成させるという公約の“ファーストステージ”は無事クリアです。
「映画を作れなかったらカンパ金を返す」という公約も反故にしなくて済みました。実際、返すと言っても、それまでに集まったお金は制作に費やしてしまっていてスッカラカン。返済金なんて残っていません。
次は上映に向けての活動、ぼくうみ“セカンドステージ”へ突入です。
とはいえ……。
「劇場にかけるのはとにかく大変だよ」とは聞いてはいたものの、完成させればあとはなんとかなる、とばかり思っていました。
だからこそ、ずっと完成させることに集中してきました。
でも、甘かったみたいです。
全国の映画館で公開して貰うためには、それぞれと太いパイプをもつ配給会社にお願いするのが、この業界の常識とのこと。
なので、ぼくうみも制作会社を通していくつかの配給会社に完成版を観て貰いました。
だけど反応は……どうにも今いち。
内容の善し悪しとは関係なく、とにかく地味な作品であることは事実で、ゆえに集客力のない作品として判断されてしまっているようです。
このまま理解のある配給会社とのめぐり逢いを待っていたとすると、劇場公開なんて一体いつになるの?
「夏に全国公開、秋からは全国縦断自主上映!」なんて宣言してしまっている私の立場は一体どうなるの?
運良く配給をお願い出来る会社が見つかったとしても……次には全国各地で「上映してもいいよぉ~」と言ってくれた映画館に対して委託金を払わなければないとのこと。
1件が100万円とすると、10件で1千万、全都道府県でとなると5千万。
そんなの払えません。
カンパ金ももうこれ以上無理です。借金ももうこれ以上無理です。
制作するより上映する方が難しい、という言葉の意味、この頃になってようやく思い知らされました。
はてさて、どうすりゃいいのさ思案橋……。
« #16 空白の半年 | トップページ | #18 母の死 »
コメント