#20 激動の4週間(前)
ついに……。
待望のこの日がやって来ました。
2009年8月22日。夏休みも後半にさしかかった土曜日。
『ぼくはうみがみたくなりました』公開初日です。
本当は7月20日あたりからの夏本番のタイミングで公開して貰いたいなあなんて思っていましたが、贅沢は言えません。
恵比寿……。
懐かしい場所です。
大学時代、「BDC演劇映画放送研究会」──演劇公演して、映画作って、放送ドラマも作るという当時の日本大学芸術学部で一番大人数のサークル──に在籍していて、私は当然映画班に所属し、自主制作した八ミリ映画を恵比寿のミニシアターで上映させて貰っていました。駅前の雑居ビル内にあった「恵比寿シネプラザスペース50」という、その名の通りパイプ椅子が50個並べてあっただけの映画館です。自主上映業界のメッカと言われていた場所でした。
映画学科監督コースに落ち、運良く放送学科に合格して入学した私が、それでも映画にこだわり、BDCに入部して撮った八ミリ映画初監督作品のタイトルは「心の悩み解消します!?」。スリの青年と催眠教室の女先生の物語。今考えると、この話って一体何なの? って感じの意味不明のラブストーリーでした。好評だったのは仲間内だけ。ぴあフィルムフェスティバルでは呆気なく一次落ち。監督として人を動すのがストレスで胃潰瘍にはなるし、こりゃダメだと痛感。
で、それ以降、脚本家志望に方向転換した次第で……。
「フィルムキッズ」というプロダクションも恵比寿にあり、頻繁に通っていました。にっかつが倒産し、放り出されたロマンポルノのプロデューサーが立ち上げたプロダクションで、H系ビデオシネマを書きまくっていた頃だから、ヒロキが生まれる直前の頃だったような。当時の恵比寿駅のホームは、オンボロ高架の2階にあり、そのすぐ横の雑居ビル内に事務所はありました。未払いの脚本料が結構あって、結局取り損ねたんだよなあ。
で、その後、恵比寿の景色は一変。お洒落な街に生まれ代わりました。
ちなみに恵比寿ガーデンプレイスがエビスビール工場の跡地にオープンしたのは1994年とのこと。
公開直前に決めたことがありました。
1日4回×4週間。朝一番から夜最後まで映画館に常駐し、全上映に付き合ってみようと。
東急田園都市線で渋谷まで出て、山手線で隣駅まで、片道約1時間半。
通勤定期を購入し、電車通勤することにしました。その方が交通費が安く済むので。電車の定期なんて、26歳の時に詐欺出版社(注文されてない専門書を振込請求書を同封して送りつけていた)に就職し、早々に退職するまでの3ヶ月間、麹町駅まで通勤した時以来です。
ちなみに、私の就職経験はその後にも先にもその3ヶ月だけだったりしてます。手塚プロはアルバイト扱いでしたし……。
期待と不安が交錯。初回は朝10時半から。
私は映画館の入口近くに立ち、深呼吸しながら来客を待ちしました。
地方からはるばる遠征して来てくださった方や早朝から来てガーデンプレイス散策をしていたという方などもいて、みんなが私に声をかけてくれ、もう感謝感激の連続でした。
映画館での舞台挨拶というのもはじめて経験させて貰いました。
上演中のミュージカル舞台の関係で大塚ちひろサンは来て頂けなかったものの、主役の伊藤祐貴クン、老夫婦役の秋野太作さんと大森暁美さん、母親役の石井めぐみさん、弟とその彼女役の小林裕吉クンと松嶋初音さん、それに福田監督と私……。
定員190人の小劇場での単館上映。写真美術館は都の公営施設なので立ち観は許されないし、満員札止め状態になったらどうしよう、なんて心配していたのですが、全然大丈夫でした。結果的には7割程度の入りでした。
公開2日目は日曜日。
ちょっと不安になってきました。休日だというのにお客が来ない。
いや、全然来ないわけではないのですが、1日を通して少ない。半分も席が埋まらない……。
さらに、休館日の月曜を挟んで、火曜日の公開3日目。不安は本格的なものとなりました。
午前中の初回とお昼過ぎの2回目はまだましなのですが、夕方からの3回目からはぐっと観客が減り、夜の最終4回目なんてほとんどガラガラ……。
ヒロキの卒業式の時も、川崎でのイベントの時も、町田市民ホールでの試写会も、ずっと満員状態だったので、本番も満員大入り確実だと思っていたのですけど。
マスコミ報道にしたって、新聞各紙にはあちこち掲載されたし、NHKはもちろん、ニッポン放送・TBS・文化放送とラジオ各局でも取り上げて貰ったし、反応は上々だと思っていたのですけど。
「製作費の半分を宣伝費に注ぎ込まなければ興行は成功しない」
そう言われる理由を目の当たりにしたような気がしました。
「でも、入ってますよぉ~。ウチの劇場は入らない方ですから。お客さんゼロの回もありますから」
笑顔でそう言ってくれたのは、映画館の受付嬢サン。
さすがは都立の映画館です。来客数なんて気にしてません。
そもそも「東京都写真美術館」という建物だけあって、写真の展示がメイン。映画館はある意味オマケ。都のお偉いさんの審査会で合格した映画でなければ、客に媚びているだけの駄作はお金を積んでも上映してくれないという、思いっきり上から目線の映画館です。
「あの、観客ゼロの時って、上映はどうするんですか?」
「んー、途中で映写を停めちゃいますね」
そ、そんな……。
そしてついに。4日目の夜の最後の回のことでした。
この日は福田監督と2人、祈るような気持ちで来客を待っていました。
が、上映開始の10分前になっても、なんと来客ゼロ。
「監督……」
「仕方ない。二人で観るか……」
幸いにも、ぎりぎりになって数人の方に駆け込みでいらして頂けて、上映中止はなんとか回避。ホッとしたことを覚えています。
でも、実のところ、それほど悲観はしていませんでした。
映画館は4週間分の上映費用を前支払い済みなので、観客がいなくても打ち切られる心配はありませんし。
マイナスイメージになるゆえホームページやブログには強気の文章を綴り、弱気の本音は書けませんでしたが、逆境を結構楽しんでいました。
なんてったって、たった一人ぼっち、何にもないところからスタートした映画制作です。
それから3年半かけて、一歩ずつコツコツと階段を登ってきて、ロードショーまで辿り着いたんです。
星の数ほどの自主制作映画がある中で、ロードショーに辿り着ける映画なんて、毎年数本だけです。
ぴあの週間好感度ランキングでも、1位は人気大作(20世紀少年だったかなあ)に奪われたものの、しっかり2位に食い込んでくれましたし。
観てくれたお客さんが、帰りがけに大量のチラシを持ち帰ってくれたりしてます。
これは絶対「他の人にも観せたい」と思ってくれたという気持ちの現れに間違いありません。
ドン底は1週間続きました。
でもその後、少しずつお客さんが増え始めました。
そんなお客さんの中に、リピーターの方がぽつぽつといました。
それも「初回は1人だったけど、2回目は誰かを誘って観に来た」と話してくださる方が結構多いのです。
「だって、知り合いに観て貰いたかったから……」
何人もの方からそう言われました。
私は、どちらかというと、自分が気に入った映画や小説などを他人に勧めることってあまりありません。
気に入った作品に単純に嫉妬してしまっている、というのもあったりするのですが……。
サスペンスが好き、ラブストーリーが好き、ホラーが好き、等々。作品の好みというのは見事なくらいに千差万別、人それぞれなので、自分の趣味を他人に押しつけるのがどうにも苦手だったりするのです。
否定されると悲しいし……。
だからこそ、第三者の方に口コミで紹介してくださるリピーターの方々が、神様仏様のように感じてしまい……。
ホームページで使っていた「永遠の1+1+1…」のキャッチコピーそのままだ、と思ってしまったりもして……。
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