#2 思い起こし(前)

 以下の文章は、拙著『おさんぽいってもいいよぉ 自閉症児ヒロキと歩んだ15年』(ぶどう社刊)の94~99ページからの引用です。

 

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2006年3月28日
 今にも雨が落ちてきそうな雲ゆきの、火曜日の朝のことでした。
 この日もヒロキは、「おさんぽいっていいよぉ~」の合いことばを繰り返し、一人での外出をお母サンに要求していました。でも、今日はとりあえずダメです。つくしんぼでの毎年度末の恒例行事、お楽しみ会のイベントがある日だからです。スケジュールボードにも書いてあるのだから、約束です。
 10日前には、中学校の卒業式を無事終えていました。幼稚園の卒園式のときはもちろん、小学校の卒業式もまともに参加できなかったヒロキでしたが、今度は立派でした。校長先生に名前を呼ばれ、ちゃんと壇上で卒業証書を受け取ることができました。
 4月からは町田養護学校の高等部に進学です。「今度はどこへ行くの?」と質問すると「まちだよーごがっこー」と答え、「バス」と言うので、バスに乗って新しい学校に通うことは理解しているようでした。路線バスではなく、通学バスで行くことまでは知らなかったと思いますが……。
 お楽しみ会は午前10時から。場所はご近所、つくし野センターのホール。つくしんぼに通う親子と職員とボランティアのメンバーが集まり、1年間の活動をまとめたビデオを観て、椅子とりゲームで遊び、花いちもんめを楽しみ……一番最後にヒロキは、みんなから卒業おめでとうの花束をもらいました。
 お昼は、全員で近所の和食のファミリーレストランに移動しての食事会。ヒロキは大好物というか、ワンパターンの「カレーライス」と「スパゲティー」を主張していましたが、残念ながらメニューになく、カレーうどんとフライドチキンとフライドポテトを食べ、オレンジジュースを飲みました。
 解散して、帰宅したときには午後3時を過ぎていました。
 ヒロキはやはり「おさんぽいっていいよぉ~」と主張し続けていました。
 天気予報では夕刻から雨。お母サンはあまり行かせたくなかったのですが、スケジュールボードに「おさんぽ」と書いてしまっていたこともあり、散歩のときの決まりごとになっているGPSで位置探索のできる携帯と「障がいをもっています」の名札カードを首から提げさせました。
 ヒロキは、門を出たところで立ち止まり、右に行こうか左に行こうか少し考え、それから左へと駆けだして行き、さらに左のつくし野方面へ曲がって行ったとのこと。そんな嬉しそうな後ろ姿……お母サンがヒロキを見る最後になりました。
 私はというと、帰宅後はパソコンに向かい、新規に立ち上げる予定のサイト『ぼくはうみがみたくなりました制作準備実行委員会ホームページ』の作成作業を進めていました。
 それからしばらくして、バイクでPCショップへ出かけました。なにを買いに行ったのかは覚えていません。結局なにも買わずに、店を出たのが午後5時過ぎ。ポツポツと雨が落ちてきていました。
 もうすぐ暗くなるし、本格的に雨が降ってきたら面倒だなぁ、と思いつつ、私は携帯でヒロキの居場所をチェックしました。
 町田の繁華街の少し手前、町田街道沿いのセブンイレブン付近に、存在位置を示す星印が点滅しています。自宅から4km近くある場所です。
 「またこんな遠くまで歩いて行ってやがって……」その瞬間に私は、このまま迎えに行った方がいいかな、と思ったことを覚えています。でも、ヒロキ用のヘルメットを持ってきてないし、もう暖かいので少しぐらい雨に濡れても風邪はひかないだろうと考え、帰宅してしまいました。
 同じ頃、お母サンもGPS検索をしており、そのときはJRの線路沿いを歩いていたとのこと。今思うと、それが線路沿いの道だったのか、線路上だったのかはわかりません。
 自宅に戻り、映画製作への応援をお願いするメールを書いていると、電話が鳴り、お母サンが出ました。ふと、自分への電話のような気がして、私は椅子から立ち上がりました。でも、お母サンの様子を見ると、とくに私は関係ないような雰囲気です。ついでなので、私はそのままトイレに入ろうとしました。そしたら、お母サンが私を引きとめました。
 「電車に接触……」
 「心肺停止状態……」
 「病院に搬送中……」
 お母さんは、相手のことばを復唱するかたちで、私に伝えてくれました。
 その瞬間、私は思いました。
 ……終わった。
 すべてが終わってしまった、と……。
 次男の夕食をおばあちゃんにまかせ、私とお母サンは車で町田市民病院へ向かいました。ヒロキが産まれた場所でもある病院です。夕方のせいか、道がとっても混んでいて、裏通りを使っても30分近くかかりました。運転している間、私は「覚悟しよう、覚悟しなきゃ」ということばをくり返しつぶやいていたようです。
 一縷の望みも……担当医師の最初の一言が、こっぱ微塵に吹き飛ばしてくれました。
 本人確認は、私一人でしました。お母サンは、見ることができませんでした。
 ベッドに寝かされていたのは、間違いなくヒロキでした。想像とは異なり、外傷があるようには見えませんでした。ちょっと笑顔を見せているような感じで、静かに横たわっていました。
 致命傷は頭部にありました。右後頭部に穴が空いていました。私はよく、自閉症の頭のなかを見てみたい、と冗談のように言っていたのですが、私の見たヒロキの頭のなかは、からっぽでなにもなく、見えたのは頭蓋骨の裏側の壁だけでした。
 即死だったんだな……。
 痛みを感じる余裕もなかったろうな……。
 苦しまなかっただろうな……。
 私とお母サンは、警察署の方に呼ばれました。
 「15歳で自閉症なら、自殺ですね」
 担当者には自閉症の知識などまったくなく、トンチンカンな話を平然と口にしてくれます。私がブチ切れて食ってかかろうとするのを、止めてくれたのはお母サンでした。
 時間が遅くなってしまい、市民病院では死亡診断書を出せないとのことで、ヒロキは民間のクリニックに移されることになりました。自宅の近所の、坂道の途中にある個人医院です。
 待っている間、私は電話をかけまくっていました。市民病院にいたときから、時間さえあれば携帯で誰かに電話をしていました。誰にかけ、なにをどう喋ったのかは、全然覚えていません。
 注文もしていないはずなのに、ヒロキは棺桶に入れられて出てきました。
 「ご遺体はどこへ?……」
 搬送をお仕事にされている人が、私に訊いてきました。
 そんなこと、突然言われても……。
 だって、ヒロキはついさっきまで生きていたんだから……。
 結局、私の口から出たのは、「つくしんぼ」という名前でした。
 ヒロキが一番好きな場所であり、ヒロキのためにつくった場所だからです。
 つくしんぼに戻ったときには、午後10時を回っていました。
 大勢の仲間、ヒロキと親しい人たちが待っていてくれていました。ほんと、嬉しかったです。ありがたかったです。
 ただいま、って、ヒロキの代わりに私が呟きました。
 その夜、ブログにヒロキの事故のことを書きました。ここに書いておけば、誰かが読んでくれて、誰かに伝えてくれると思って……。
 それからあとのことは、ほとんど記憶に残っていません。私の頭のなかには、今でも数日間の〈空白〉が残っているだけだったりしています。

 

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