#4 四月になって
事故の起こった3月28日から葬儀が完了した4月2日までのことは『おさんぽ…』の本の中で書いたように、ほとんど記憶にありません。
葬儀の日を待つまでの3日間、私は、ヒロキの遺体と一緒につくしんぼにいて、何人もの方が弔問に来てくれていたはずなのですけど、ごめんなさい、誰が来てくれたのかを全然覚えていないのです。機械的に挨拶していただけのような気がします。
通夜と葬儀を行った2日間も、機械的かつ事務的に動いていただけ。いくつかの断片的な記憶が残っているだけです。
頭の中は、もし自分が途中で壊れてしまったらどうしよう、いう心配だけでいっぱいいっぱいでした。
記憶……事故の直後でさえなかったのですから、還暦を迎えてしまった15年後の今、当然あるはずもありません。
それでも少しだけ記憶を辿ることが出来ます。
当時のブログが残っているからです。
私は律儀に毎日ブログを更新していたのです。ブログを書いた記憶は残っていないのですが……。
ブログを更新するという作業に、私は心の安定を求めていたんだと思います。
告別式の翌日、4月3日のブログには、私が自分で書いて自分で読んだ挨拶文を載せていました。
遺族代表挨拶
本日は、お忙しい中にもかかわらず、長男大輝のためにご会葬下さいまして、誠にありがとうございました。
大輝は、重度の自閉症という障害をもっていたにもかかわらず、すみれ教室・光幼稚園・南つくし野小学校五組・つくし野中学校I組と、周囲の皆さんの温かさに囲まれて成長し、つい先日中学校の卒業式を無事終えさせて貰ったばかりでした。
大輝は、大輝という名の通り、本当に大きく輝く存在でした。
この場所・つくしんぼを創ったのも大輝です。両親である私達を動かし、この指とまれをさせてみんなを集め、10年経った今、大輝はこの場所にこれだけの人たちを集めるだけの輝きをもつ存在になっていました。
大輝が生まれて15年。私達両親にとって、あっという間の15年だったように気がします。それだけに大輝の人生もたった15年というように思えてしまったりします。
だけど、大輝の一生という輝きは15年の月日に収まりきらないほどの光と優しさと温かさを周囲に与えてくれたと、親馬鹿ですが、今はそう思っています。
散歩が大好きで、その散歩の最中、線路に入りこんでしまった大輝です。それについて、今はもう何かを言うつもりもありません。ただ言えることは、もしかしたら大輝はずっと散歩を続けたかったのかな、ということです。
散歩好きなので、そう簡単に天国の階段を登ってってはくれないかなとも思います。「よそのうち入らない」っていういつもの言葉を言いながら、みなさんのおうちに立ち寄るような気がしています。でも、それが大輝らしさなんです。あっちに行ったりこっちに行ったりするけれど、もういいかなと思った時にはダッシュで天国まで駆け上がりますから、心配しなくて大丈夫です。
6月か7月に、ここ、つくしんぼは、NPO法人はらっぱとして再スタートをします。つくしんぼは、はらっぱの一事業となります。さらに、はらっぱには、つくしんぼをはじめに他にもいろいろな植物が芽を出し、成長するのかなと思ってます。
そして大輝は、はらっぱの植物たちを応援する輝く太陽のような温かい存在として、いつもみんなを照らし、いつも一緒にいてくれるんじゃないかと思っています。
大輝はずっとみんなと一緒です。
本日は皆さん、本当にありがとうございました。
そしてその翌日、4月4日には、ヒロキの同級生だった女の子が告別式で読んでくれた言葉を載せていました。
桜が満開のこの時、ヒロキ君は今、神様と「な~あに?」っとお話しているでしょう。
ヒロキ君は、きっと大好きなお散歩をしていたんだよね。
そして天国へ行ってしまったヒロキ君。
私達といつも一緒だったね。歌をうたったね。太鼓を叩いたね。お勉強もしたよね。笑いながらアルプス一万じゃくもしたね。ディズニーランドへも行って、一緒にのりものにのったね。
ヒロキ君の大きな目はいつもピカピカと輝いてたよね。
ヒロキ、天国で私達を見守っていてね!!
私達もヒロキの事は一生忘れません。
ヒロキの分も一生懸命生きるからね。
そしてそして……。
さらにその翌日、4月5日のブログに、私は映画をつくる宣言をしていました。
映画を作ります
まだまだ精神的にも落ち着いたとは言えない状態なのですが……。
「ぼくはうみがみたくなりました」を映画にすることだけは決めました。
自主制作映画になると思います。
2月半ばから発表のためのホームページづくりをコツコツと続けてきており、自閉症関係、障害児者関係のいろいろな方々に相談をしてきていました。
そのホームページを正式公開させて頂きます。こちらです。
http://homepage2.nifty.com/bokuumi/
(※注:旧アドレス。現アドレスはhttp://bokuumi.com)
正直なとこ、今までの気持ちは「出来れば映画にしてみたい」のレベルでした。
でも長男の死から一週間、私の気持ちが「映画にしなければならない」に変化してきているのを感じています。
私は、根っからの脚本家みたいです。
だけど、長男が障害児だったとわかってから、脚本家業界をやめました。
施設を立ち上げ、福祉の業界へ入ってきました。
そのことに後悔はまったくありません。
それどころか、この道を選ばせてくれた長男に感謝しています。
でもやっぱり、脚本家根性はくすぶっているわけで……。
1日24時間、1年365日、長男中心に私と嫁さんの時間は動いていました。
でも、これからは否応なくそれが変わることになります。
「お父さん、ぼくのために15年、いろいろしてくれてありがとう。だけど、もうぼくはだいじょうぶだから。お父さんはお父さんのやりたいことをやってね」
長男が、そう言ってくれているような気がします。
みなさんにお願いです。
「ぼくうみ映画化のためのホームページ」の存在をどんどん営業して欲しいのです。
HPに、掲示板に、ブログに、ネット上でどんどん広めてって欲しいのです。
裾野が広がれば、1万円をカンパしてくださる方も増えると思うのです。
お金さえ集まれば、映画はつくれます。制作のノウハウはなんとでもなります。
なにより、脚本には自信があります。
…って、これから本格的に書くんですけど。(^^;
最近のコメント