#14 クランクイン
「おさんぽいってもいいよ~」がぶどう社から無事に刊行され、遊覧船の代わりのにじいろ観光船でのロケも無事決まり、つくしんぼのステップワゴンが紫色から黄色に塗り代えられて〈ぼくうみ号〉に変身し……。
ホン読みがあって、衣装合わせがあって、最終ロケハンがあって、伊藤クンが通っていた自閉症施設を見学して、支援金のお願い交渉は相変わらず続けつつ、繰り返しの脚本検討の末の青い表紙の決定稿が刷り上がり、オールスタッフによる撮影の無事を祈る御祓いも行なわれ……。
そして七夕の日。2008年7月7日。
前日乗り込みで訪れた城ヶ島は……しっかり雨でした。
霧もひどくて視界はほぼゼロ。撮影現場の事前チェックをお願いしていた釣船の〈えいあん丸〉が海に出られないほどに白く煙っていました。
仕方ないです。
だって今は──梅雨の真っ只中です。
天気予報からして、嬉しい話は一切してくれません。
それでも翌日の7月8日。予定の変更はありません。
いざ、クランクインを強行!
朝一番、雨は落ちて来てはいなかったものの、思いっきり曇り。
太陽が顔を出してくれることもなく、海は灰色。
予定だった最初の撮影は、海を背景とするシーンだったのですが、海の色が悪いと他シーンとのつながりが悪くなってしまうからと、暫くの待機はしてみたものの結局延期となりました。
その結果、クランクインの最初の撮影は、淳一と園長先生の出会いのシーンからとなりました。
記念すべきその場所は──ははは、トイレの中です。
照明も入れるし、ここなら天気は関係ありません。
まあ、ファーストショットがトイレなら、ウンもつくかと……。
なんか天気との闘いが始まりそうな予感。
こうなったら願掛けしかない。私は天気の番人になると決めました。
といっても、私自身が天気を守るわけではありません。私には天気を左右する力なんてありません。
空を守るのは──ヒロキです。
ヒロキとのやりとりの言葉遊びに、こんなのがありました。
「今日のお天気は?」
「雨です!」
最初は「雨です」としか言えないヒロキでした。晴れた日でも曇った日でも「雨です」と決まり文句を言い、ニコニコしていました。
でもしばらくして、私が「違います」と繰り返しているうちに、言葉の意味を考えるようになったのか、空を見上げるようになりました。
そして、晴れた日には「晴れです!」と言うようになりました。
曇った日には「曇りです!」と言うようになりました。
雪の日に「雪です!」と言ったかどうかまでは覚えていません。
私は決めました。
クランクインからクランクアップまで、ずっとロケに付き合い、天気の番人の代理人として、ヒロキの写真を持って立ち続けようと……。
だって、ふと思ったんです。
あっちの世界に行ってから、何にも出来ないヒロキに与えられた最初の仕事なんて天気の守り神の一番下っ端の手伝いかなあ、と。
神様にとって、毎日の天気なんて実はどうでもいいわけで、上司が「今日のお天気は?」と質問して、下っ端のヒロキが「雨です」と応えると、その日天気を雨にしてしまう、とか。
となれば、ヒロキに「晴れです」と言わせなければ……。
よし、言わせてしまおう。
こんなもん、信じるものは救われる、です。
撮影と撮影の合間には、すっぽりと時間が空いてしまったりもして、125ccのバイクで一人出歩く機会が時々ありました。
そういう時には、それまでお世話になった方やこれからお世話になる方へ挨拶まわりをすることにしていたのですが……。
三浦半島の東側にある小網代湾。そのすぐそばに建つ白髭神社に立ち寄り、「三浦ロケの最中、雨は降らせないでください」とお願いしたことがありました。
で、その神社の隣に、長谷川造船さんがありました。
倉庫の中をちょっと覗いてみると、長谷川さんがちょうど船づくりの真っ最中。長谷川さんとは、つくしんぼでお世話になった地元町田の小学校の岸本先生から紹介して頂き、面識がありました。
天気の心配をしていることを伝えると、長谷川さんは言いました。
「関東の梅雨明けはまだだろうけどよ、三浦の梅雨は明けてるよ。この空見りゃわかる。大丈夫、もうだいたい明けてる。50年船つくってきた奴が言うんだから間違いないさ」
関東でも東京でも神奈川でもない、三浦は三浦なのだそうです。
長谷川さんの言う通り、撮影の前半戦だった三浦での10日の間、雨が落ちて来ることはありませんでした。雲に覆われてのスケジュール変更はたびたびありましたが、雨天中止は一日もありませんでした。
我が家の次男&三男ロッキー(愛犬)がエキストラ出演した白秋記念館前の砂浜での夕暮れシーンでは、綺麗な夕焼けも出てくれました。
ちなみに、北東に約50km離れた町田市では、毎日雨ばかり降っていたとのこと。梅雨明けの前線は、町田と三浦の中間あたりに横切っていたようです。
ただ、そんな細かいことまで気象庁が発表するわけはなく、東京と横浜が雨ばかりだったら、南関東は梅雨のまんまとなるわけで。
ちなみのついで、ぼくうみの三浦でのロケの終了した翌日は、思いっきり〈雨の城ヶ島〉だったそうです。
♪雨は降る降る 城ヶ島の磯に……。
ロケ中の三浦の天気がなんとか持ったのは、あれは今でも間違いなくヒロキのおかげだと思ってます。
天気の番人の他に、私にはもうひとつ仕事がありました。
それは──伊藤クンへの自閉症の演技指導です。
と言っても、天気をどうすることも出来ないのと同様、私には演技指導なんて満足に出来ません。経験がありません。
私に出来るのは、助言だけでした。
私は私の思う〈自閉症〉を伝えるだけです。
自閉症者の登場する映画やドラマ、それまでに何本もありました。
それらの演技に、私はいつも違和感を感じていました。
なんていうか、自閉症を演じる役者がどうにもオーバーアクション過ぎるのです。
なぜそうなるかというと、演出家も脚本家も自閉症を知らないからだと思うんです。知らないからあれこれ追加して誤魔化そうとする。
自閉症の人って、常に自閉症っぽいわけじゃないんです。時々自閉症っぽいだけなんです。
で、電車の中とかで突然自閉症っぽくなるから、周囲の人達にビックリされちゃうわけで……。
私は伊藤クンに、淳一の演技は〈引き算〉で頼む、と伝えました。
自閉症の演技の足し算は、実は意外と難しくありません。それっぽい動きをたくさん盛り込めば、それなりに自閉症っぽく見える。
でもそれは、自閉症っぽく見えるだけで、実は自閉症には見えない。プロ野球選手を演じる役者のバットの素振りや名医を演じる役者のメスの手さばきが本物に見えないのと同じこと。
ではどうすればいいか。
〈足し算〉をやめて〈引き算〉にする。それが私の答えでした。
伊藤クンには足し算は必要ありませんでした。
1ヶ月通った福祉施設で双子の自閉症の青年の動きや立ち振る舞いを完全コピーしてきていました。
となれば、あとはそこから無駄な自閉症っぽさを削っていけばいいだけ。引き算だけで済む……。
それがなければ、足し算から始めなければなりません。施設でコピーしてきてる。
自閉症としての“動”の演技は二の次にして、“静”の演技にこだわって貰うようにお願いしました。
オーディションの時と同様、伊藤クンは朝一番に撮影現場に来た瞬間から〈自閉症〉でした。
そして、その日の撮影が終わる瞬間まで〈自閉症〉でした。
彼は演技でなく、自閉症の青年そのものに徹し、なりきってくれる役者でした。共演の秋野太作さんが呆れて怒り出しても、伊藤クンは自閉症を貫き続けました。
安い製作費の映画です。時間の余裕はありません。三浦のシーンは10日で撮り終える予定でした。
ロケが雨天中止になると、1日100万円が吹き飛ぶと松本プロデューサーから聞き、ひたすらヒロキに祈りました。
昼はもちろん、夜もぶっ通しのように撮影は続きました。私は全部のロケに付き合うといいながら、体調が持たず、時々倒れて寝込んでしました。
本当は最後の城ヶ島へボートで渡るシーン、空撮で撮りたかったんですけど、ヘリコプターをチャーターすると、来て貰うだけで100万円が消えると聞き、諦めました。
今だったら、ドローンを使えば簡単に撮れます。
なんだかなあ、って思います。
もっとも、ぼくうみはフィルムを使わずにビデオで撮っているわけで。
時代ってのはどんどん進むわけで……。
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