#15 クランクアップ
三浦での泊まり込みロケは10日間続き、いったん終了となりました。
スタッフの宿には、映画の中で淳一たち4人が一泊した城ヶ島の旅館を、そのまま流用していました。場所は城ヶ島でなく実は油壷。旅館ではなくマリンパークの隣の京急ホテルのそのまたささやかな釣宿でした。
梅雨真っ只中での10日間、雨での撮影中止は1日もありませんでした。
ちなみに、クランクインの前日が雨で、撮影終了の翌日も雨で……。
きっとヒロキが守ってくれたんだろうなあ。
1日休んで、翌々日からは三浦以外の場所でのロケを再開。もう泊まり込みはなく、すべて日帰りでの撮影となりました。ロケ場所のほとんどは自宅の近所、町田市内です。
三浦での撮影交渉はスタッフにお任せしましたが、町田での撮影交渉はほとんど私が行ないました。
そりゃそうです。地元へのコネは私が一番持っています。先行投資ならぬ先行奉仕が役に立ちました。
先行奉仕……そんな単語、実はありません。私の作った造語です。
──将来のために先行投資するのと同様に、子どもの将来のためにいろいろなことにジタバタと先行して奉仕をしておいた方が、後になってあれこれ見返りは多い。
まあ、情けは人のためならず、と同じような意味です。
30歳までの私は究極の自分勝手人間でした。脚本家として一本立ちすることしか考えていませんでした。
頼れるものは自分だけ。何もかもが自分中心。頭脳労働者を気取って動きもしない。損得感情ばかりの世間知らず。選挙の投票に行った経験すら一度もありませんでした。
それが……ヒロキが自閉症だと分かって、変わりました。
だって痛感したのです。
人間なんて頑張ればなんとかなるもの、って思っていたけど、間違いだった。ヒロキのように頑張ってもどうにもならない人間もいる。
きっと将来、ヒロキは誰かを頼り、誰かに助けて貰いながら生きていくしかない……。
頼らせて貰う限りは、そのぶんお返ししなければ。
借金は嫌いな性格。となると、後で返済するのでなく、先に貸しをつくっておこうかなければ……。
で、いつしか〈先行奉仕〉を始めていました。
ヒロキが生まれてからの15年間は、先行奉仕の連続でした。
最初に飛び込んだのは、町田市障害者青年学級のスタッフ。そこで、先輩の障害を持つ子の母親たち知り合いになり……。
障害者の通う作業所の職員達とも知り合いになり……。
青年学級の子ども版としてフリースペースつくしんぼを立ち上げ……。
つくしんぼをまちされん(町田作業所連絡会)の会員に入れて貰い……。
加速度を上げて人間関係が広がっていきました。
どちらかと言えば引っ込み思案。脚本家時代には友達なんて数える程しかいなかった自分が、です。
活動することが楽しいなんて知りませんでした。ボランティアなんて自己満足、なんてうそぶいていたのは誰だったの?
脚本家廃業宣言の後悔など、すぐに雲散霧消してしまいました。
頑張って動いたぶんだけ、見返りがある。
自分にではなく、きっとヒロキに……。
お偉い(?)皆様とも知り合いになれました。
市長の娘と中学時代のクラスメートだったことは単なる偶然だったとしても、助役は脚本家としての私のファンになってくれたし、つくしんぼの広報紙「つくつく通信」の配布を通して多くの市議会議員と友人になれたし。
公民館活動を通して教育長とも知り合えたこともラッキーでした。
町田市は教室関係施設を映画撮影等に貸し出ししていなかったのですが、障害福祉課のバックアップもあり、無事撮影許可を頂けました。
幼稚園で幼い淳一が駆け回る回想シーンはひかり幼稚園。
幼い健二が作文を読む回想シーンは南つくし野小学校。
ファーストシーンのプールはつくし野中学校。
──ヒロキが11年間通わせて貰ってきた場所で撮影させて貰えたことにひたすら感謝。
偶然ではなく〈先行奉仕〉の恩恵だと思っています。
閑話休題。
私の作った造語には次のようなものもあります。
〈親は療育、子どもは保育〉
──子どもの障害がわかった時、親は早期療育をと焦るけれど、とりあえず子どもは遊びで充分。まずは親自身が自分の療育をした方がいい。
〈医師の診断より親の判断〉
──病気である場合はともかく、子どもの障害の場合は少し診察しただけの医者の診断結果より、まずは親自身の判断を大切にするべき。
名言として広めたかったのですが、あいにく私自身が著名人になれなかったもので……。
頑張り過ぎて疲れてしまう時もありました。
そんな時、目からウロコの名言に出会いました。
「半分は自分のために、半分はみんなのために」
障害児の親としての大先輩、明石洋子さんが自著の中に書いていた言葉です。
これぞ名言!
この言葉で、私はずいぶん楽になることができました。
だって、半分はヒロキのためでいいわけなのですから……。
町田での撮影も順調に進みました。
一番記憶に残っているのは、町田での最終撮影日。メインタイトルのバックに使われるシーンの撮影です。
坂道をステップワゴンが登って来る長回しのシーンなのですが、これがなかなかうまくいかない。我が家の近所の長い坂なのですが、バス通りでもあり、車もわりと多く、週末には渋滞すら始まってしまう通り。
坂の上の歩道にカメラを構え、住宅街を背景にした見降ろしの構図。
途中、3か所ある信号の赤から青に代わるタイミングを計算し、テストを繰り返した後の本番だったのですが、これが何度やってもNGの連続。途中で前の車がいきなり停車してしまったり、ふいに横から車が入って来てステップワゴンが見えなくなってしまったり。交通を遮断しての撮影ではないため、文句の言える立場ではないのですが、どうしても腹がたつ……。
テイク10数回目。やっとのことでOK!
と思いきや、一番手前の赤青信号を無視してステップワゴンの前を無理やり横切る老人三人組が出没し、あえなくNG……。
「轢かれて死ね!」と叫んだのはスタッフの誰だったか……。
仕方なく、再度トライと思った時、今度は天気が急変。
一気に曇ったかと思うと物凄い雷と土砂降りの雨。当時はまだ、ゲリラ雷雨、という単語はありませんでした。
クランクインから一度も降雨がなく、雨の降り出すシーンではホースを使って雨を降らせたぐらいなのに。このタイミングで何故?
そのまま車内待機となり、2時間以上。
主演の大塚ちひろさんが「今日はもうやめようよ」とゴネ始めましたが、そうは簡単に諦められません。1日延期するたびに、私の借金が積み重なって増えていくのですから。この日は大塚さんの撮影最終日でもあり、花束も購入済みなので、なんとかなだめて待機して貰い……。
まさにスコールでした。
やみ始めたかな、と思うや否や、天気は一気に回復。
となれば、すぐさま撮影再開。
幸運にも一発OKで坂道をのぼってくるステップワゴンのロングショットを撮り終えることが出来ました。
ホースで雨を降らせたシーンから続くこのシーン。雨あがりのロングショットが撮れるなんて、実は想定外でした。最高です。
これも天気の神様、ヒロキのいたずらなんです。たぶん。
その翌日の撮影最終日は、もう一度三浦へ。
伊藤クンが秋野さんを乗せて海にボートを漕ぎ出してからの後半、朝陽を浴びてのツーショット。
「OK」「お疲れさまでした」
こちらの二人にもしっかり花束を渡すことが出来ました。
7月8日~31日。のべ23日間。撮影日数21日。
事故もなく無事クランクアップとなりました。
で、私はというと……感動とかしたのかなあ。よく覚えていません。
覚えているのは、とにかく体力ぎりぎりで、最後まで寝込むことなく終えられてホッとしたことぐらいだったりしています。
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