#24 そしてそれから…

 映画が一段落したらつくしんぼの活動に戻るつもりでした。
 でも、最後まで気持ちが戻ることはありませんでした。
 時が解決してくれるだろう、と思っていたのですが、無理でした。
 以前はヒロキがいたけど、今はいない……。
 ヒロキがいて、はじめて他の障害児のことも一緒に考えられる。それが楽しかったのです。
 ヒロキがいた時には楽しかったつくしんぼだけど、ヒロキがいないとどう頑張っても楽しめない自分がそこにいました。
 新しく「放課後デイサービス事業(2012年~)」という制度が始まり、無認可施設から法内事業に移行させたことで収入面では安定しましたが、法律にがんじがらめにされている感じがして、ますます楽しめませんでした。

 

 体調の悪化も私を苦しめました。
 頭がぼーっとし、思考が停止。とくに季節の変わり目の春と秋は最悪。つくしんぼに顔を出すことも出来ず、自宅で寝込む期間がどんどん増えていきました。
 男の更年期を心配して大学病院の泌尿器科に通ってみたものの、ホルモン注射の代わりに処方された高額の塗り薬(保険が効かず5g程度で5000円もした)を使っても効果なし。
 セカンドオピニオンの心療内科に出向けば、それまでの双極性障害にくわえ、新たに季節性感情障害という病名を頂いてしまい、さらには鬱病で低下した脳の働きを改善する最新の治療法〈TMS:経頭蓋(けいとうがい)磁気刺激〉を受けないかと誘われ、施術費用が50万円以上もするとのことで結局断り……。

 

 2014年4月、NPO法人はらっぱの理事長兼つくしんぼの代表という立場から引退。その頃通所して来ていた子のお父さんに施設をバトンタッチさせて貰いました。
 施設をつくり、足かけ18年…でした。20年目まで頑張りたいと思っていたのですが、心も体も持ちませんでした。
 年を追って躁鬱の波が頻繁になり、どうにも動けず、職員をはじめ、みんなに迷惑をかけてばかりの状態に陥っていました。

 

 と言いつつ、退職の直後は運が良いことに双極性障害の躁の状態。
 その勢いを借り、ヒロキの事故以降ずっと回りたかった〈四国八十八ヶ所霊場巡礼〉を、めでたく結願(けちがん)したりもしました。
 ちなみに、かけた願は「夢でヒロキと逢わせてくれますように……」
 あんまり効果はなかったみたいです。私の夢にどうしてもヒロキは出て来てくれません。
 ちなみに、徒歩ではありません。そこまで無茶出来ません。2週間かけて車で回るのがやっとでした。
 それでも最後にはフェリーで紀伊半島に渡り、総本山の高野山・金剛峯寺に立ち寄ることも出来ました。

 

 それから4ヶ月。
 8月末に約束した上映会は北海道でした。名寄と美瑛の2か所での講演を予定していました。
 が、相変わらず躁鬱の波は激しく、タイミングも最悪で出発前から頭ぼんやりの超絶不調状態。
 羽田空港までの間に電車を何回も降りてホームで深呼吸……。
 飛行機を降り、旭川空港からの移動は予約していたレンタカー。薄れそうな意識と格闘しながら80㎞の道のりをなんとか運転し、宿の部屋のベッドに倒れ込んだ途端、ついに失神。
 名寄での講演ではお医者さんに付き添って頂き……。
 もうレンタカーを運転する自信もなく、翌日の上映会を企画してくださった方を名寄まで呼んで美瑛まで代行運転を頼み……。
 その美瑛での講演では2人の看護師さん付き添って頂き……。
 頭の中はずっと「もう生きて東京へは戻れないかも…」という思いでいっぱい。地獄のような3泊4日でした。
 この時の経験したパニック発作が原因のような気がします。トラウマというかPTSDというか、私はすっかり外出恐怖症になり、以降は上映会での講演依頼を全て断ろうと決めました。
 積み上がった10年間分の心療内科のカルテのおかげで、精神の障害者手帳まで取得出来てしまいました。
 耳の聴こえない父親が「身体障害者手帳」、自閉症だった長男が「知的障害者手帳」、そして双極性障害の私が「精神障害者手帳」と家族三代で3種制覇、と……。
 ヒロキの事故と映画製作の開始から丸8年。
 全国行脚の講演は丸5年。
 借金返済も終わっているんだから、もういいかな、と……。

 

 〈つくしんぼ〉と〈映画〉、ふたつのプレッシャーから解放され、楽になれるかな、と期待したのですが、逆でした。
 なんていうか、まさしく〈潮が引く〉という感覚に押しつぶされそうな感じで……。
 周囲のみんなは「〈燃え尽き症候群〉だよ。暫くゆっくりすればいい」とか言ってくれましたが、私自身は精神的に焦るばかり。
 ぼくうみの続編の小説をゆっくり書けるかな、と思ったりしていたのですが、全然ダメでした。
 体調不良がどんどん悪化するばかり。
 さらに追い打ちをかけるかのように……父が自転車で転んで膝のお皿を割って動けなくなって以降、痴呆が一気に進み、私のメインの仕事は父親の介護になりました。
 〈老老介護〉ならぬ〈病老介護〉。
 介護の時間以外は私の方が寝込んでいる、という生活が3年近く続きました。

 

 2017年1月。父が肺炎で逝去しました。
 この年の梅はとんでもなく早咲きで、自宅での葬式の当日は満開でした。
 最後にその梅を見せてやろうと、入院中の病院と交渉しましたが……私の希望は叶いませんでした。
 二世帯として家を建てたのは1995年。家族は7人でした。
 それが、祖母が亡くなり、ヒロキが亡くなり、母が亡くなり、父が亡くなり……3人になってしまいました。
 そして、その家の一階につくしんぼを引っ越しして貰うことにしました。
 理由は……相続税対策です。
 多額の相続税を支払うために、私の生家であるつくしんぼの建物と土地を売らなければなりませんでした。
 脚本家を辞めてから、私にはまともな稼ぎがありません。脚本家を続けていれば払えたかなあ。
 いや、やっぱり無理だったでしょうね。才能なかったし。仕事なくて焦って、もっと早く鬱になっていたような気がする……。
 一階には八畳の和室二間続きがありました。葬式が出来るようにと設計の段階で母が決めたものだったのですが、それが父の葬儀で役立ち、運良くつくしんぼの転居先としても役に立つことになりました。
 で、私たちはどうしたかというと、臨地に平屋を新築し、そちらに引っ越しました。

 

 介護生活が一段落すると、私の体調も少し快方に向かいました。
 それでやっと映画の講演で回っていた頃の公約を果たそうかな、という気になりました。
 ぼくうみ映画の続編として小説『ぼくはうみがみたくなりました・その後』を執筆を再開してみたのです。
 「映画の続編をつくって欲しい」
 講演で出会った方々によくそう言われました。
 私は、製作費のこともあり、当然無理に決まっているので、
 「続編は、映画の代わりに、小説で書きます」
 と応えていました。
 でも、体調の悪化で、小説なんてとても書く気になれず……。
 内容としては、映画の1年後、ぼくうみが重度の自閉症の物語だったので、続編は軽度自閉症の物語として組み立ててみました。
 毎月こつこつ1章ずつ書いてはネット上で発表する、という連載小説の形式を取りました。読んで下さった方から声をかけて貰った声がエネルギーになり、挫折しないで済むかもと思ったからです。
 おかげさまで1年を超える連載を続け、無事に完成に至りました。
 1冊目のぼくうみと同様、ぶどう社から出版して貰いたいと考え、相談もしてみたのですが。
 市毛研一郎さんが亡くなり、奥さんと娘さんが引き継いでいる小さな家族出版社です。
 なんせ続編。2匹目のどじょうなんて到底無理な地味な作品。出したところで赤字確定なのは私にでもわかります。結局諦めました。
 で、今回は自費出版で行こう、と。
 映画だって寄付でつくったのだから、続編小説も寄付でいこう、と。
 最近流行のクラウンドファンディングを仕掛けた結果、50万を超える金額が集まりました。アマゾンからも販売して貰い、なんとか赤字にならずに刊行することが出来ました。
 もっとも、まだ100冊近くが我が家の押入れに眠っていますが……。
 小説としての出来は、1冊目よりも上だと思っているんですけど。
 元祖ぼくうみや映画に比較して、決定的にインパクトが足りないよなあ。
 ただ、自分で納得出来たので、これはこれでよし、と。

 

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